THE SAPPORO TRANSIT AUTHORITY (S.T.A)

札幌で活動しているブラスロックバンド、STA(The Sapporo Transit Authority)です。

TATSURO COVERS FROM COAST/THE NEXUS

2013-08-14 17:15:50 | free form space

日本の夏が似合うギタリストが高中ならば、大御所ミュージシャンとして山下達郎氏を紹介しない手はないでしょう。

STAの中にも熱狂的ファンが多いこのミュージシャンのアルバムには残念ながらシカゴのメンバーは参加したことがありません。でも写真の達郎カヴァー企画盤にはジェイソンとビルが参加しています。

この盤は達郎氏の楽曲を英語詩に書き換え、L・Aのトップ・ミュージシャン達のバック演奏にのせて有名海外ボーカリスト達が歌うという贅沢な1枚。

1990年発表、9曲入り。

ミュージシャンはトム・キーン、ティム・ピアースら超豪華な布陣。ビルはバック・コーラスでの参加。

ジェイソンは1曲目「BOMBER」、8曲目「WAR SONG」で熱唱。

他にもボーカルでマリリン・マーティン、ジノ・ヴァネリ、ピーター・ベケット、マイク・レノ達がいい仕事しています!

 

補足ながら達郎氏の愛妻、竹内まりやさんのアルバム「MISS,M」にはビルがデヴィッド・フォスター、ジェイ・グレイドンらと全面的にバックアップ。

彼女のトリビュート・アルバムにもビルは参加しています。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

GEORGE DUKE 死去

2013-08-14 16:38:20 | free form space

月曜日(8月5日)、ジャズ・ピアニストのパイオニア的存在、ジョージ・デュークが、LAの病院で亡くなりました。慢性リンパ球性白血病を患っていたそうです。享年67歳。

あらゆるジャンルにわたって大活躍したジョージ。

私の記憶しているもっとも古いところでは、あの鬼才フランク・ザッパのバンド、マザーズ・オブ・インヴェイションです。

1971年のザッパ映画「200 MOTELS」(100MIN)にも若きジョージの姿を見ることができます。

ザッパはこの映画で出演はもちろんのこと音楽、アレンジ、ストーリー、映像と殆どを手がけています。

そんな中にマザーズの面々もライブに演技にと頑張っていますよ。ジョージはキーボードの他にもトロンボーン演奏も披露。

面白いところではリンゴ・スターがヒゲと髪型をソックリに扮装してフランク・ザッパ役を怪演しています。

80年代にはフュージョン&AORが吹き荒れた音楽界に天才ベーシスト、スタンリー・クラークと「クラーク・デューク・プロジェクト」を結成。

この奇跡のスーパー・グループは2人にとってもライフワークとなりアルバムもシリーズ化されました。

1枚目からのスマッシュ・バラードヒット「スィート・ベイビー」に聞かれるジョージの甘いファルセット・ボーカルは必聴です。

もちろん彼自身の作品。スタンリーのベースも的確にサポートしつつも主張しています。

来日公演も数多く、ここ札幌へは2011,9,14(WED)でのマーカス・ミラー、デヴィッド・サンボーンとのZEPPが最後となしました。



合掌。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ROBERT LAMM THE BOSSA PROJECT

2013-08-14 16:11:58 | free form space

四国・四万十市では観測史上最高気温41度ですか!?

一体全体地球はどうなってるんでしょうか・・・?

夏のピークは越えたと言われていますが、そこで我らがシカゴの中心メンバー、ボビーが2008年5月に発表したCDをここに紹介します。

彼がこよなく愛し、長年温め続けていたボサノバ・アルバムです(日本未発売)。

長年の盟友、JOHN VAN EPSをプロデュース、アレンジャーに迎えての12曲入り(3曲のJVE REMIX含む)。

爽やかなブルーを基調に、もはやシリーズ化されつつあるボビー自身の手によるカヴァー・アート。

今回のコンセプトは深海に優雅に漂う海藻がイメージかな?

ボサノバの創始者でもあるアントニオ・カルロス・ジョビンなどの楽曲とボビー、ジョンのオリジナルを織り交ぜてまさに今うってつけのサウンドを聞かせてくれます。

それにしても現在でもキーボード&作曲などのあらゆるジャンルを興味の赴くまま貪欲に追求し続けるボビーの姿勢にはただただ敬服しちゃいますね。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一念天に通ず

2013-08-13 21:53:00 | リハーサル

ファイターズ、頑張って・・・としか今は言えないですね。

後半戦に入ってからイマイチ活気に欠けていますが10日に応援に行った際は鶴岡の延長一発で今年初のサヨナラ勝ち。旭川ナイター13日も勝利。

以前、札幌ドームでコンサートを行った海外ミュージシャンの記念展示品の一部をここで紹介しましたが、国内アーティストのサインや手形、衣装、ギター、CDなども一緒に陳列されています。

上の写真はB'Z,小田和正、安室奈美恵。まだまだたくさん公開されていますよ。

そうそう小田和正のトリビュートCDには元シカゴのビル・チャンプリンが息子のウィルとともにいぶし銀のボーカルを披露しています。

ビルはシカゴを脱退後、ソロワークの他にもウィル、妻のタマラらとアクティブに活動を展開しています。

 

今回のSTAスタジオ・リハーサルはサックス抜きの6人編成で合流。

いつものようにブラス用にマイク2本をセッティング。

(ミツとMDは本番では専用の自前マイクを持参します)

MDとミツは久しぶりの共演。

セットリストをサッと流そうと思っていたのですが予定変更。

18日の小樽・北運河屋外ライブ・イベントに向けての練習だったのですが、本番1週間前になって急遽、同日に小樽・高島漁港納涼花火大会ライブにも出演することになりました。

そこで1曲追加ということに。

シン率いるBNPも一緒に参加決定。

つまりシンはこの日、4つのライブを行うことになりました。こりゃあ体力勝負だね。

まあ、小樽北運河と高島漁港は車で5分ほどの距離なので移動はスムーズに行くと思われます。

花火大会ライブ・・・う~~ん・・・懐かしいね。一昨年の小樽マイカル・テラスでのライブ以来だ。

スタジオには早々と6人が集まったためにいつもよりは早めに音出し開始。

ミツとMDはともにジャズ・プレイヤーなのでお互い進行の打ち合わせもスコアに照らし合わせて円滑に。

Kスタも数週間ぶりに入ったのですがハウリングも音量コントロールもほとんどなしにスムーズ。

ただ毎回の悪癖、走り気味だよ!とクレーム。

ケンのドラム・スティック先も折れるわけだ。

良い演奏以前にまずはテンポ・キープ。せっかく各自が練りこんできた構想も台無しになってしまっては意味なし。

どうもワルツ部分から加速していくようだ・・・。

お次の曲もイントロに駄目だしでやり直し。

いつもはスルーする個所も今回は厳密・入念にチェック。

MDはエアー・パーカッションをやってノリノリ、ノブはテリー・キャスのギター・ソロをクライべィビーに至るまでコピーしてプレイしていたのでマサとミツはニンマリ。

新たに食い込んできた1曲にはさすがに張りつめた空気の中で取り掛かります。

とにかくジミーのブラス・アレンジはこれでもかというくらいに難解。

まず旋律を口ずさめむのが難しいんだから参っちゃう。

でもミツ曰く「それをジミーは腰振りながら吹くんだよね・・・」

合間には、来月の予定曲や未だに完成をみない曲を嬉々として取り上げる。

ファスト・ジャズ・ワルツはシンの独壇場。

相当に鍛錬してきた形跡が見えますね。ハモンドの響きが軽快と皆が絶賛。また歌いながら鍵盤から弾きだされるアクセント・サウンドがかっこいい。

シン曰く「ミツが言っていたように、こういう曲って本来ならばクールにサラッと演じなければいけないよね」。

とにかくシンはこの曲にそうとう入れ込んでいるようです。まさに一曲入魂。

手つかずの曲のほうはあっという間に異様なほど加速したので、一旦リセットし直してから注意点を説明。

意識的に速度警戒気味(!?)に再演した後にマサから「中間部分のギター・ソロ、そしてブラス・セクションにわたるところをもう一度やろう」の一声で抜粋演奏。

MDもシンも「この曲って最初のイメージで舐めて取り掛かったらとんでもなく痛い目を見るよね。それなのに聞くほうにはその複雑さが伝わらないような適度なポップ・ブラスロックなんだから報われないよなあ…必死なプレイヤーは。」

休憩中はワイヤレスについて各自の意見が飛び交う。

ちょっとのんびりしている間にワイヤレスの世界も急激に進化したんだなあ・・・と痛感した次第。

性能、値段、形状のコンパクト化と羨ましい限り。

またノブからジョージ・デュークの訃報を聞き、メンバーらはビックリ。

彼はミツのお気に入り「フランク・ザッパ&マザース・オブ・インベイション」の一員だったのですね。

そこではキーボード、トロンボーンを担当。

マサは「クラーク・デューク・プロジェクト」のシリーズをコレクションしているけれど第1作からのスマッシュ・ヒット「スィート・ベイビー」の美しさを今改めて再確認。

マサはミツにお願いしていたダニー・セラフィンのプロジェクトバンド「カリフォルニア・トランジット・オーソリティ」のセカンドCD(直筆サイン入り)SACRED GROUNDを受け取り有頂天。

MDいわく「シカゴってⅢの頃に格段にテクニックが向上している」とのこと。

若いとはいえ、あれだけ過酷なツアーとレコーディングの日々の連続ならそりゃあ、技術も備わるはず・・・と納得。

最後はスタジオ・オーナーからチョコレートの差し入れで全員がリラックス!!

さあ、ライブ本番の快晴を祈りましょう。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

湘南バンドを南国バンドがカヴァー

2013-08-09 22:48:08 | free form space

そういえば真夏のサウンドで、このバンドも忘れられませんね。

KALAPANA1991年発表の「楽園~SINGS SOUTHERN ALL STARS」10曲入り。

タイトルが示す通り、全曲がサザンの楽曲です。

カラパナのベース&ヴォーカルはSANO KENJIが担当。

シカゴからはトリス・インボーデンがドラマーとして客演。

また元ウエザー・リポートのアレックス・アクーニャもパーカッションで参加しています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

元祖・真夏のフュージョン・ギタリスト

2013-08-09 15:23:28 | free form space

ケンも大ファンの高中正義は「ブルー・ラグーン」一発でギター小僧、はたまたそれまでこういった世界にまったく興味のなかったOLや女子大生、サーファーや洒落た男子学生らをもトリコにしました。

誰でも気軽に口ずさめるポップで甘いトーンのギターから奏でられる旋律、カラフルなステージング、親しみやすいキャラクターにルックスと日本バンド界の救世主でした。

セッションワークも多岐にわたり積極的に活動していましたが、元々はノブも敬愛する伝説のバンド「フライド・エッグ」がデビュー。

故・成毛滋、つのだ・ヒロとのトリオによるプロジェクトでベースを担当(長髪でした!)。その後はあのサディスティック・ミカ・バンドで脚光を浴び、スター・プレイヤー揃いのサディスティックスを経てソロにて大ブレーク。

ヤマハ・ギターのSGが飛ぶように売れ続けてCMにも登場。各方面のBGMにも彼の楽曲は重宝され毎夏発表されるアルバムは大ヒット、コンサート・ツアーも大盛況、大ブームを巻き起こしました。

写真上部は1993年発表の「アクアプラネット」。タイトルといい、ジャケットといい、涼しそう。

中身のカラー写真も全てが深海で悠々と泳ぐ熱帯魚で美しいです。

全12曲入り、何と!というか遂に!というか、5曲目にはあのサンタナの永遠の泣きの官能曲「哀愁のヨーロッパ」も収録。

参加ミュージシャンとして鍵盤で元カシオペアの向谷実が好演。

最後の12曲目「エピローグ」のみシカゴからトリス・インボーデンがドラムを担当。

ただ、クレジットには「TRIS IMBODER」と記載されています・・・・ああ・・・。

下段左はずばりその名も「COVERS」

1995年発表、10曲入り。

高中自身の代表曲を3曲セルフカヴァー、他にもアレサ・フランクリン、ジミヘン、マレーナ・ショウ、ビートルズ、シャカタク、EW&F,ラストは「星に願いを」などをセレクト。

売れっ子ベーシスト、ボブ・グローブとともにラスト曲以外でリズムを紡ぎ出すのは我らがTRIS IMBODEN(今回はちゃんとスペルが正確に記載されています)。

下段右は同メンバーによるLIVE・DVD。

COMPLEXでの収録。1995年発表の9曲入りで演奏時間60分。

ラストは「ウッド・チョッパーズ・ボール」で弾きまくり大会!!

この映像収録のためのライブだったらしく、日本公演は残念ながら実現しませんでした。見たかったなあ・・・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

謎のサーフィン覆面オール・スターズ・バンド登場!?

2013-08-09 13:18:38 | free form space

1996年、発表。全オリジナル18曲収録(うち日本盤のみ2曲のボーナス・トラック入り)。

 曲名もユニークで「ラン・ドント・ウォーク」(笑)や「WAVE」「SEA」「MALIBU」「AIR」「BLUE LIGHTS」「HOT BOOGIE」「RED TIDE」などの単語が散りばめられています。

見るからにズバリ真夏!!という感じのジャケットですね。

これは「レイク&ザ・サーフトーンズ」というバンドの「サーファーズ・ドライブ・ウッディーズ」というアルバム。

実は名ギタリスト&プロデューサーでもあるジェイ・グレイドン(盟友デヴィッド・フォスターと結成したAORの至宝エアプレイのメンバー)のプロジェクト作品なのです。

自身のルーツでもあるディック・ディル、ヴェンチャーズ、ビーチ・ボーイズに捧げられています。

このアルバムが発表された経緯について(解説からの抜粋)。

ジェイのプライヴェート・スタジオ「ガーデン・レイク・スタジオ」は1994年1月のLA大地震で甚大なる被害を受けたのですが幸い本人はジャパン・ツアー中で東京に滞在していたのです。

でもスタジオのモニター、スピーカー、コンソール、楽器、エフェクト類は無残なほどに壊滅状態。

修理代金は災害保険でカヴァーできたようですが、いつまたこの地震がくるかもという不安もあるために、LAから北に3時間くらいのところにあるケンブリアという街に仮住まい。ところがほんの一時的な移住の予定が、ジェイのスタジオ復旧工事が難航しているらしくやっと完成したのが1995年の夏。

さあ、それでは新スタジオ・スタートのために何かレコーディングしよう、本格的にアルバム制作にとりかかろう!と思うも準備も何もできていない。

それならばビジネスのプレッシャー抜きで気心の知れた仲間たちでパーティー気分、エゴ抜きに楽しめるものでも作ろうよ!ということになった。

青春時代に熱中したサーフィン・ミュージックがまたリバイバルしているみたいだからと友人たちに連絡を取り始めたら次々と賛同者続出。

蓋を開けてみたらば超大物ミュージシャンたちが多忙な中レコーディングをわざわざキャンセルしてまでジェイの元に集結。

夢のような三日間を過ごし「仕事抜きで60年代当時のまだ無邪気だったティーンエイジャーに戻ったような気分」を思う存分味わったとか。

内容はまずユニークなところで、参加ミュージシャンの名前が全て変名、偽名で書かれていること。

60年代サーフ・ミュージック第一次ブームの時は、この「サーフ・ネーム」が重要なポイントをしめていたらしく、その辺に対するこだわりはそうとうなもの。

リーダーのジェイは「TODD LABREA」

シカゴからはジェイソン・シェフ(G!&VO)が「PACO PT.LOMA」とこれを書いていったら物凄いスペースを使うので参加ミュージシャンの名前だけを紹介します。

ディーン・パークス、デヴィッド・ハンゲイト、スターリング・ボール・・・ミュージックマン&アーニーボールの社長)、ステーブ・ルカサー、ジョセフ・ウィリアムス、ケンジ・サノ、ダン・ハフ他多数・・・・。

圧巻は16曲目「SURFERS TOE JAM」

27人ものミュージシャンが12小節のソロ・バトルを展開するのです。

もちろんジェイソン・シェフもギターソロに参加しています。

皆が童心にかえり嬉々とした表情で弾きまくっている姿が見えてくるよう。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サーフィン・サウンドの重鎮

2013-08-08 16:59:45 | free form space

やっぱり夏ともなれば絶対的に無視できないのが山下達郎氏も絶大なる影響を受けた「ビーチ・ボーイズ」です。

60年代にはイギリスのビートルズに対し、アメリカのビーチ・ボーイズと言われるくらいに双方が多大なる影響を及ぼしあった仲。

この辺のことは、書き記していくと膨大な量になりますので割愛させていただきます。

その後、中心メンバーともいえるブライアン・ウィルソンがほとばしる才能に歯止めがきかなくなりスタジオ・レコーディングに没頭。

ただ所属レーベルが求めるあの「海、車、女の子」のイメージとは程遠い実験的内容ゆえにニュー・アルバム発表はオクラ入り。

ツアーを固辞し続けて録音に入れ込んでいたブライアンはその後、心身共にボロボロ状態に・・・・。

メンバー間の確執も伴って、バンドはほぼ崩壊寸前、発表するアルバムも次々チャート上では惨敗。

そんな頃に、救いの手を差し伸べたのが4つめの所属レーベル、カリブ・レコード。

運営するのはバッキンガムス、BS&T,シカゴを育て上げた敏腕プロデューサー、ジェームス・ウイリアム・ガルシオその人だ。

彼はメンバーが流動的だったビーチ・ボーイズ1973年頃、コンサートにベース、ギターで参加。それが縁となり1976年まではツアー・マネージャーに就任。1975年5月からはあの伝説のジョイント・ツアー「BEACHICAGO」を決行、各地で絶賛の嵐が吹き荒れて大成功を収めました。

そんな中で1979年3月にリリースされたのが写真の移籍第1弾アルバム「L.A.(ライト・アルバム)」です。(8年ぶりにブルース・ジョンストンが復帰。ガルシオはメンバー達との共同プロデュースも担当、カリブ・スタジオでも一部レコーディング)

幾度ものトラブルにまみれながらもようやく完成にこぎつけたこのアルバム、やはり散漫な1枚になってしまった感は否めませんが、1曲、1曲の完成度はさすがです(全米チャートは最高100位止まり)。

10曲収録、スマッシュ・ヒットの「グッド・タイミン」、イントロにバッハの「主よ人の望みの喜びよ」を流用した「レディ・リンダ」、怪しい日本語歌詞が挿入されてエキゾチック・ムード溢れる「思い出のスマハマ」、当時のディスコ・ブームを意識したリメイク・バージョン「ヒア・カムズ・ザ・ナイト」など・・・・。

シカゴ・ファンに注目して欲しいのは野次馬根性で8曲目。

ボビーの最初の妻カレン・ラムは1971年シカゴ初来日にも仲良く同行しましたがその後、離婚。

デニス・ウィルソンの3人目の妻となります。

夫婦共作の美しいバラードが「ベイビー・ブルー」。もともとデニスのセカンド・ソロに収録予定だったのですが、アルバム自体が未発表に終わったといういわくつきの1曲。カレンに捧げられたものですが、本盤発売時にはもうすでに離婚していました。

シカゴのほとんどのメンバーも、もちろんビーチ・ボーイズのファンで、最も交友関係が深いバンドだと思われます。

ボビーは故カール・ウィルソン、アメリカのジェリー・ベックリーと「ブラザー」なるプロジェクトを組んでアルバムを発表、ゲルシオもカールのソロ・アルバムをプロデュースしています。

近年は奇跡のメンバー揃い踏みによるワールドツアー、来日、アルバム発表とファンを熱狂させたビーチ・ボーイズ。

何人かはすでに鬼籍の人ですが今後のビーチ・ボーイズの動向にも注目してみましょう。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

きみがここに居てくれたなら・・・・・

2013-08-08 13:12:30 | free form space

夏に聞きたい曲、シカゴ編。

1974年発表「シカゴⅦ(市俄古への長い道)」からの第3弾シングル「渚に消えた恋(WISHING YOU WERE HERE)」。

ピーター・セテラお得意の切なくも女々しい男心を歌ったロマンチックかつムーディーで美しいラブ・ソング(計測タイムLP 4:38  EP 4:26 EP・PROMO 2:54,4:26)

後の大ヒット曲「愛ある別れ」に繋がるとも言えるアコースティック系の名曲ですが、残念なことに、ここ日本ではシングルカットされませんでした(写真はアメリカ・コロンビア盤NO,3-10049、最高ランク11位。B面はバンドが敬愛してやまないビートルズ臭プンプンのボビー作「愛の女神」)。

LPで言えば2枚組の2枚目B面1曲目、CDならば12曲目に収録。

各演奏パートはガルシオとピーターがギター、テリーがベース、ダニーとラウジールがパーカッション、シンセはバンドの弟分的存在で後にルーファスで大活躍するウォリンスキー、ピアノはボビー、そしてシカゴ・ホーン・トリオ。

曲の導入部分で効果音として聞こえてくる波の音に導かれて紡ぎ出されるバラード。ピーターが海の家で波の音を聞きながらこの曲のイントロを思いついた時、横には恋人が眠っていた。次の日からツアーに出る時期でもあり、そういった旅の心情を歌にしたんだそう。

裏話・・・実はバックトラックのキーは何故か低めに録音されてしまい、そのことに歌入れまで誰も気づかなかったそうです。

本来ならばもう1音半高かったはずなのに。そこでヴァース部分はとてもじゃあないがピーターには低すぎる、ということで急遽テリーが担ぎ出された次第。まあそこに関しては誰も気にしている様子もなく事なきを得たよう。

またピーターはずっとビートルズかビーチ・ボーイズのメンバーになることが夢だったとか。

ビーチ・ボーイズとはレーベルの関係で何度も会う機会が有り、特に故カール・ウィルソンとは親友の間柄に。

ビーチ・ボーイズ風に曲を録音して完成したカリブー・スタジオにはガルシオがマネージメントして復活計画を立てていたビーチ・ボーイズが滞在していた。

セテラは勇気を振り絞って彼らにサビとコーラスを歌って欲しい!と依頼。

彼らは快諾してくれて即その晩一緒ににハーモニーを付けピーターは一夜限りのビーチ・ボーイズになったそうです。

う~ん、いいお話ですね。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

WEST COAST ALL STARS

2013-08-07 01:29:17 | free form space

真夏に聞きたいお薦めアルバム・シリーズ。

写真のグループW・C・A・Sは名プロデューサー、ジョーイ・カルボーンが日本のレーベルに企画を売り込んで実現した夢のようなアルバムです。

全てが4人の声のみで録音されたアカペラ盤。

日本でこのジャンルが浸透したのは山下達郎の「オン・ザ・ストリート・コーナー3部作」からでしょう。

ここではボーカルはもちろんのこと、ギターソロ、サックスソロ、ベースギター、ドラムやパーカッションまでをも声で演出しています(手拍子、指ならし、膝叩き音も効果として録音)

左上が1997年のデビュー盤「カリフォルニア・ドリーミン」10曲入り。右はサンプル盤。4人のボーカリストはシカゴからジェイソン・シェフ&ビル・チャンプリン、TOTOからはボビー・キンボール&ジョセフ・ウィリアムス!ね!夢の共演でしょう!!彼らの活動の拠点がそのままバンド名に反映されています。でもこのバンド名を彼らはあまり気に入っていなかったらしく、よって決定伝達は事後報告だったとか(笑)。

ちなみにジェイソンのお父さんはエルビス・プレスリー晩年の頃の専属名ベーシスト、ジェリー・シェフ、ジョセフのお父さんは映画音楽の巨匠ジョン・ウィリアムスです。

さあ、収録曲は2曲のオリジナル以外ウエスト・コースト・サウンドの名曲目白押し。

ママス&パパス「夢のカリフォルニア」、シンもB・N・Pで取り上げていたスティーリー・ダン「リキの電話番号」、ドゥービー・ブラザース「テイキン・イット・トウ・ザ・ストリート」、イーグルス「ホテル・カリフォルニア」、ビーチ・ボーイズ「神のみぞ知る」、アメリカ「金色の髪の少女」、ボズ・スキャッグス「ふたりだけ」、ジェームス・テイラー「ユア・スマイリング・フェイス」。

 

左下はセカンド・アルバム「ナチュラリー」1998年発表、10曲入り。

ここではビル・チャンプリンは再結成したサンズ・オブ・チャンプリンが大盛況で活動が忙しく欠席、新たに伝説のAORグループ(ジェイ・グレイドン&デヴィッド・フォスター)、エアプレイのボーカリスト、トミー・ファンダーバーグが参加。

曲目も1970年代の思い出の洋楽に対するトリビュート・ソングという趣向に。

また録音も前回のような効果的指ならし、手拍子を極力排してより純粋な声のみに徹するような方向性に焦点を絞っています。

今回は全曲カバーでEW&F「暗黒への挑戦」、ビージーズ「愛はきらめきの中に」、ギルバート・オサリヴァン「アローン・アゲイン」、ステーヴィー・ワンダー「愛するデューク」、ロッド・スチュワート「今夜きめよう」、マーヴィン・ゲイ「ホワッツ・ゴーイング・オン」、ポール・マッカートニー&ウィングス「マイ・ラブ」、エリック・クラプトン(ボブ・マーリー&ウェイラーズ)「アイ・ショット・ザ・シェリフ」、レッド・ツェッペリン「天国への階段」。

 

下右は上記2枚のアルバムからのベスト・セレクション盤2006年発売、16曲入り。うちボーナストラックとして4曲のカラオケ、そして2作目のプロモーション来日時の名古屋某インストア・ライブ音源2曲含む。

 

これらに耳を傾ければ爽やかな西海岸の涼風が・・・なんて気分に浸れるかも。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする