似たモノ・ジャケットで前回にクリームとシカゴを並べて見ましたが、その直後に冬季五輪選手が続々と銀メダルに輝きました。
何気なく、音源棚を覗いたらそのクリームとシカゴで銀色ジャケットを発見(他にはメダルっぽいものまで)!
更にドンドンを出てくる出てくる。やはりああいうビジュアル的にも派手でロックっぽく(メタルっぽい)、単純にかっこいい色は見栄えが最高です。事実、私もジャケ買いするほど。
しかもエンボス加工物も多いのです。
多分材質&作業工程に通常物よりもお金がかかっているものと思います(よって大物が殆ど)。
ここでは写真に選りすぐりの数枚をアップしてみました(私の好みや思い入れを考慮して)。
まずは国内バンドでダウン・タウン・ブギウギ・バンド「ブギウギどん底ハウス」
1975年発表、10曲入りでアメリカ録音もしています。ホーンセクションもバリバリに入ってます。
DTブギウギバンドもこのころは、すっかり人気が安定期に突入してグッと豪華なジャケットが実現。
名曲「涙のシークレット・ラブ(バラードの傑作)」「商品には手を出すな(ベースがロッコしています)」
ライブにもってこいの痛快ロックンロール「ほいでもってブンブン」「トラック・ドライヴィング・ブギ」など素晴らしい内容。
マサとケンは高校時代のバンドでよくこのダウンタウン・・・・をコピーしてライブで受けていました。実際に多くのことを学びました。
私は何度となくこのバンドのライブを見ましたが(ファイティング時代も含め)、竜童氏のカリスマ性溢れ出る才能に圧倒されたものです。
グランド・ファンク・レイルロード(後にグランド・ファンクと改名)「戦争をやめよう(原題:E PLURIBUS FUNK)」
これはアメリカ輸入物の赤盤です。1971年発表、7曲入り。
このバンドはアメリカン・へヴィー・メタルの元祖といわれているのになぜだか未だに過小評価されているのですよ。
マサ、ケンもノブも若き頃はGFRのお世話になりました(というか、我々世代は皆、洗礼を受けているものと思われ・・・)。
トリオ編成ながら迫力あるサウンドとリフ、ワイルドなステージング、ノリの良いキャッチーでストレートな楽曲で大成功。数多くの記録を樹立しました。
初来日、突風吹き荒れる中での嵐の公演は今も語り草です。
当時のコピーが「レッド・ツェッぺリンもぶっ飛んだ!」という物凄い怖いもの知らずの物。
やり手プロデューサー、故テリー・ナイトのもと、20歳前後の3人でデビュー、立て続けにアルバムをリリース、時代の流れでベトナムに対する反戦メッセージを込めて発表したのがこの作品。
ツアーのオープニングでも一発で客のハートを鷲掴みにする「フット・ストンピン・ミュージック」、大作「戦争をやめよう」、壮大なオーケストレーションを導入した「ロンリネス」(アイム・ユア・キャプテンの発展形)、グイグイとグルーブが波打つ佳曲がおしげもなく納められています。
コインをあしらったジャケットも当時、話題の的に。表にはメンバーの並んだ横顔、裏面にはマジソン・スクエア・ガーデンが描かれています。
再発時には普通の四角いジャケットで生産、まあ仕方のないことですが、このバンド、他のジャケットにも工夫が施されています。
「アメリカン・バンド」では金色(盤面初回分は金色)、メンバー達のヌード、「シャイニン・オン」では3D仕様。ご丁寧にも専用メガネ付き。これは後にユーミン、LA,GUNSなどもやっています。「世界の女はご用心」ではメンバーがムキムキのボディビルダーに(もちろん首は挿げ替え。そのボディの中にはシュワちゃんもいます。マークは筋骨隆々なのですがね)。「ボーン・トウ・ダイ」ではメンバー達が棺桶に入っているデザイン(この時、マークと他のメンバー達の意見がぶつかり緊迫状態ななったそうです)
音楽性、ステージングなど世間のうるさ型陣営からは「下手、いも、B級」と散々叩かれたものですが、(シカゴもGFRを良く言ってなかったですね)今のロック界に与えた影響は絶大です。
GFRは鬼才フランク・ザッパをプロデューサーを迎えて起死回生を図るものの思ったほどに成果を得られずに解散、ソロ、セッション、プロジェクトを経たのちに再結成するも再度枝別れとなります。(KBのクレイグ・フロストはボブ・シーガー&ザ・シルバー・バレットに在籍。ドウエインやドンもここでバンドメイトだった時代があります)
私はマーク・ファーナーのギタークリニックを目前で見て、その後は握手してもらいサイン入りポスターを貰ったりと夢のようなラッキーなひとときを経験、彼は文句なしのナイスガイでした。武道館でも再結成コンサートを体験。
いまだに衰えぬ王道アメリカン・ロックの真髄を体感しちゃいました。
カナダのシカゴ、BS&T!と言われていた「ライトハウス(灯台という意味)」。
1969年のアメリカ盤、10曲入り。大阪万国博覧会会場において来日公演を行っています。(フラワー・トラべリン・バンドも出演)それがきっかけで、その後、ライトハウスのキーボディストはフラワー・・・のアルバム「メイド・イン・ジャパン」をプロデュース。
現在も地道に本国においてライトハウスは活動中。
STAも彼らの最高傑作「ある晴れた朝(ワン・ファイン・モーニング)」をレパートリーに組み込ませてもらっています。
シカゴのプロデューサー、ジェームス・ウィリアム・ガルシオが監督、製作、そして音楽までをも担当した1974年作品「エレクトラ・グライド・イン・ブルー」のサウンド・トラック盤。個人的にも珠玉の曲目は思い入れたっぷりです。よく映画サントラって退屈なものが多いのですが、これは独立した1作品としても立派に成立するものです。さすがガルシオ入魂の1枚。
シカゴのメンバーも映画に重要な役として出演(ピーターは暴走族のリーダー、テリーは殺し屋、リーとウォルターはコミューン住まいのヒッピー)、もしくは演奏に参加しています。(ボビーとダニーのクレジットはなし)
シカゴの弟分、マデュラもあらゆる個所で貢献。この映画が公開された時、マサとケンはもちろん何度も映画館に足を運びました。(同時上映作品はジェームズ・コバーン主演、スリ達のサスペンス作「黄金の指」)
銀色のジャケット内には分厚い写真集、ハーレー・ダビッドソンの図面風ポスター、モニュメント・バレーに佇む主演ロバート・ブレイク&ハーレーの超特大横長ポスター付き。
最後の2つは、やはりクリームとシカゴ。
かたやサイケデリック風、かたやCGを駆使したデザイン。時代の差ですね。
シカゴはバレンタインのチョコレートの時にも紹介したもの。あの表ジャケットがこれです。5CD&1DVDの2003年発売。
2つ目のボックスセット。
前回のBOXに比べても、こちらのほうが内容の貴重度では圧倒的に勝っています。
「クリームの素晴らしき世界」は彼らの最高傑作(全米1位)、13曲入り。
2枚組で実質的にはラストアルバム(当初日本では、ばら売りされていました)、人気絶頂期のこの直後に彼らは突如として解散するのです。
1枚目はスタジオ録音、2枚目はフィルモアにおけるライブ音源。
ブルースのスタンダートから永遠のオリジナル・ヒット曲、各メンバーの火花散るソロ、インプロビゼーションがふんだんに盛り込まれています。
代表作「ホワイト・ルーム」、先日の来日公演でも披露されたロバート・ジョンソン作品「クロスロード」、他にも甲乙つけがたい名演、名曲がたくさん。この頃のロック界ではちょっとした2枚組の名作が続々とリリースされています。
ビートルズの「ホワイト・アルバム」、ボブ・ディラン「ブロンド・オン・ブロンド」、ジミ・ヘンリックス・エクスペリエンス「エレクトリック・レディ・ランド」、アル・クーパー「フィルモアの奇蹟」、そしてフランク・ザッパのマザース・オブ・インベイション、シカゴ・トランジット・オーソリティー・・・・。
おまけに、この選からもれたアルバムを。
スコーピンズ「アンブレイカブル」
キッス「ダブル・プラチナム」
B'Z「ザ・ベスト、トレジャー」
チューリップ「白書(ベスト)」
スティーリー・ダン「(ザ・ベスト・オブ)ア・ディケード・オブ」・・・・・