THE SAPPORO TRANSIT AUTHORITY (S.T.A)

札幌で活動しているブラスロックバンド、STA(The Sapporo Transit Authority)です。

三寒四温

2014-03-11 23:50:22 | リハーサル

今時期、雪ってえのはなかなかにしぶとくてちょっとやそっとでは溶けてくれませんね。

インフルエンザで休校になっている学校もありますが、STAのメンバーも予防接種している者が何人かいるにも関わらず、体調すぐれない者もいます。

ああ、春が待ち遠しい・・・・ってこのセリフ、毎年言ってますね。

15日土曜日ホットタイムのライブに向けての最終スタジオ・リハーサルには久しぶりに7人が集まりました。

前半はいつものようにブラス不在だったために、ブラスロックではない曲を先週の反省点も含めてチェックの意味も込めて練習。

イントロからギター・ソロ、コーラス、ボーカルとの絡み、もっとも問題多き箇所のエンディングまでととりあえずは息も合ってきて申し分のない出来。

そうこうしているうちにタツが到着。

ケースからトランペットを取り出し、オイルを注入、スコアを立ててぴったりのタイミングでトランペット・ソロに突入で演奏合流です。

ついで、ミツも駆け込んできて鉄壁の布陣が出揃いました。

セット・メニューを一通り消化し終え、ゲスト・ボーカルを交えて談笑。テンポの最終チェック、そしてシンのアイディアでよりコーラスを充実させるべくもう1曲にもゲストに急遽歌ってもらうことになりました。

ボーカル・トレーニング方法もいろいろとご教授してもらおうっと!

今回、シンにボーカルとピアノが前面にフューチャーされた曲をリクエストして快諾してもらいましたが、来月用にまた別口で同様のリクエストをしました。この曲はミツが熱望していた曲ですが、ずっと復活のタイミングを狙っていたもの。

このことをミツに伝えると大喜び。まあ、他のメンバーらもお気に入りの曲です。ちょっと軽くデモンストレーション演奏もしてみたさ。懐かしい!この曲が導入されたらライブの前半だけでもそうとうにヒートアップすること間違いなしです。

ノブがチラチラとギターを奏でながら「このシカゴ曲はいつ日の目をみるんだろうねえ・・・」

お答えします、6月位を予定しています。

というわけで、こいつも数週間ぶりに演奏してみました。

まだまだまとまりには程遠いけれども着実に前進しています。

手ごたえは各自で感じています。各パートごとに問題の個所はわかっているのでそこを集中的に克服すれば案外早く完成すると思いますよ。

それにしてもやたらにボーカルがきついですね。3分の2がハイノート出っぱなし。

3回も連続で歌ったら喉が酷使に耐えきれなくなってぶっ壊れてしまいます。こいつも試行錯誤繰り返して打開策を見つけていきましょう。ビートルズの「ツイスト&シャウト」でもジョンが数回歌ったら喉が潰れたとか言われていましたね。レインボーのグラハム・ボネットも数行の歌詞をシャウトしたらその日のレコーディングはもう歌えなかった・・・ということを聞きました(あの歌い方ならそれも納得だけど)。

演奏もハードなので今のところ、コーラスに加わる余裕がつかめない。

メンバー達が若かりし頃にこの曲を聴いていた時には「案外普通だね」と軽く思っていたのですが実際に取り組んでみたら驚きの連続。

いやはやさすがにシカゴだ。しかもリズム隊が作った曲だからアクセントの取り方がユニーク。そこへジミー流ブラス・セクションのアレンジが追随するのですからただものではありませんでした。ごめんなさい…しゃかりきにがんばります(STAメンバー一同)

 

それでは今週のホットタイムで会いましょう!!

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LIVE IN TORONTO 1969

2014-03-07 20:59:43 | CHICAGO

ジョン・レノンがビートルズに対する興味も失せてやる気がなくなったためメンバーたちに脱退の意思を宣言した頃、ヨーコ・オノと結成したプラスティック・オノ・バンドで同年3月2日、ケンブリッジはレディ・ミッチェル・ホールにおけるフリー・ジャズ・フェスティバル出演に続く2度目のコンサートを実現、この模様は音源&映像ソフトとして発表されています。

時は1969年9月13日カナダはトロントのヴァー・シティ・スタジオアムにおける野外ステージ。

2万5000人もの観衆を集めて盛大に催されたこのイベントはラインナップも豪華なうえにビートルズの1人が登場するだけに当時ウッドストックをはじめ数多くのロック・フェスティヴァルの中でもかなりの注目を集めることとなりました。

実際には会場に向かう飛行機の中でジョン達はリハーサルを行い、ジョン自身かなりのプレッシャーのために嘔吐していたとか。

実際の演奏内容もかなりミスが目立ったりで、荒削りな内容は否めませんね。明らかに練習不足。まあ、ジョンの数少ないソロ・ライブということを考慮すれば貴重以外の何ものでありません。

メンバーも物凄いメンツ。妻のヨーコさんを筆頭に、この時はスーパーバンド、ブラインド・フェイスに在籍していたエリック・クラプトン、イエス加入前のアラン・ホワイト、リボルバーのジャケットを描いたことで有名になったクラウス・ブアマン。

音源タイトルは「LIVE PEACE IN TORONTO 1969」

映像は「SWEET TORONTO」(他のミュージシャンのライブ映像含む、57分)、共に8曲入り。

上記に記した映像ありの他ミュージシャンは大御所達から列挙しますと、ボ・ディドリー、ジェリー・リー・ルイス、チャック・ベリー、リトル・リチャードの4人。

そしてジーン・ヴィンセント、ザ・ドアーズ、アリス・クーパー、ロード・サッチ(!)。

ここに何とデビューしたばかりの新人バンド、シカゴも出演しています。奇しくもこの日はピーター・セテラ25歳の誕生日。

私がこのライブ音源を発見したのは80年代初期、新宿の地下レコード店においてです。

いつものようにシカゴのコーナーを物色していたらいきなり輸入盤で地図にチケットが描かれた盤に遭遇。メーカーも違うしロゴは描かれていないので胡散臭く思っていたのですが曲目に目をやるとこれはまぎれもないシカゴのライブ盤。

しかも、デビュー作のレパートリーがほとんどを占めているではありませんか!?。もちろん購入して喜び勇んで帰宅、即拝聴。

その瞬間、迫力ある若さみなぎる音圧に圧倒されたことは言うまでもありません。

音のバランスや多少のラフ差を差し引いても余りあるその勢い、凄まじさに何度も何度も繰り返し酔いしれました。「解放」が収録されているのも嬉しいですね。

絶対今ではライブ体現できることは不可能ですから。そしてこの時はまだ未発表の「長い夜」がボビーの紹介によって演奏されています。

この音源はその後、レコードからCDにいたるまでとんでもない数が発表されています(私も相当な数をコレクションしていますがいまだに追いつかず・・・)。それこそジャケット、タイトル、メーカー、発売国、曲目、曲順もさまざま。中にはピクチャーレコード、カップリング物、缶入り物、曲のタイトル・ミス&メドレー形式に編集した掟破りなものまで。

この現象は今でも継続中。その後レコードでもCDでも国内発売されていましたので怪しいものを差別化する意味で、それを代表盤として写真でアップしてみました(LPの片方はサンプル盤)。現在のライブでも重要な位置を占めている曲多数あり、7曲入り。

改めて聞けば聞くほどにテリーの神がかったギタープレイは異彩を放っています。やっぱりこの人は別格ですなあ。

ただしこの代物はシカゴ公認ではありませんので、正式なアルバム・カウントには組み込まれてはいません。でも結成47年を経たシカゴの長い歴史上、絶対に無視することのできない貴重な初期ライブの記録であることに間違いありません。

残念なことに大物出演者等の映像はオフィシャルで発表されていますが、シカゴはいまだに未見です。存在するのならば是非とも見てみたいなあ・・・。

そしてビートルズを敬愛するボビーの作「サウス・カリフォルニア・パープルズ」後半の歌詞にインサートされている「アイ・アム・ア・ウォルラス」の一節をジョンは聞いてくれたのかな??

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DVD-AUDIO

2014-03-06 13:59:18 | CHICAGO

10年程前にたくさん見かけたDVDオーディオ、最近はとんと見かけなくなりました。

ほんの一瞬のソフトとして消えてしまったのでしょうか?シカゴもご多分にもれず2枚が国内からも2003年に発売されました。

「シカゴⅤ」「シカゴと23の誓い(Ⅱ)」

アルバム音源をDVDプレイヤーで再生。

DVDというだけあって映画のようにサラウンド方式で迫力のサウンドを体感できます。

また、曲ごとに未発表のシカゴ・メンバーらのフォトを楽しめます。

他の形式ソフトとの混乱を避けるためか、プラケースが一回り大きめ。

ライノからの発売ですがCDのようにボーナス・スタジオ・テイクは無し。ところが「Ⅴ」にはなんとダイアログのライブが収録されています。

THE AERIE CROWN THEATRE,CHICAGO1972年の貴重なバージョンです。

「Ⅱ」はアナログでは2枚組なので、1枚組だった「Ⅴ」へのバランスを考慮してのことか。

最近はこの2枚のソフトがびっくりするほどの高値で取引されているようです。

私は他にもシカゴの仲良しグループ、アメリカの「ホームカミング」、テクニシャン・ドラマー、ビリー・コブハムのジャズ・フュージョン大傑作「スペクトラム」のDVDオーディオを持っていますが、これらにはインタビュー画像、ビリーの方には更に盤面両サイドにいくつかのサウンド・テイクでアルバムが収録されているという贅沢な内容です。

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ひな祭りも練習

2014-03-05 02:58:18 | リハーサル

2月15日でシカゴはめでたく結成47周年を迎えました!

物凄いことですよね、これは。しかもニュー・アルバムの発売も秒読み段階とのこと。

こりゃあ、来日公演も近いね。益々元気いっぱいのアメリカン・ブラスロック御本家。

STAもこれを励みに頑張りたいと思います。というわけで3月3日もスタジオ入り。雛祭りですね。

「五人囃子の笛太鼓~」これを聞くといつも日本の元祖プログレバンド、四人囃子を思い出します。

一度だけ、彼らのコンサートを見たこともありますよ。高校生の時に内田裕也主催の第1回ワールド・ロック・フェスティバルで。

場所は真駒内屋内競技場アイス・アリーナ。

四人囃子が全盛期の頃です。

でもギターの森園氏いわく「札幌ではあまり調子良くなかった・・・」、たしかに観客の受けがイマイチでした(こちらのロック感覚が単に遅れてるだけでバンドにはなんら責任はないですよ、絶対に)。でもコンサートは物凄くクオリティの高い内容でしたよ。

代表曲の「一色触発」はもちろん演奏しましたが、私が一番好きなのは当時の新曲「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」です(EP探したけど結局は入手いまだにできずじまい。再結成音源は無事に入手)。

これメルヘンチックなストーリー仕立ての歌詞と変拍子バッチリの構成が圧巻。とてもよくできた曲で何度聞いても、あの歌の中の仲良し兄弟が夜のススキが揺れている野原での夢のようなUFO体験による情景が浮かんできます。宇宙人とではなくてUFOと会話するところも可愛らしくて好きです。興味のある方は是非とも歌詞を読んで曲も聴いてみて。ベーシストの故・佐久間正英氏があれほどたくさんのバンドやミュージシャン達をプロデュースしていたとは私はあまり知りませんでした。まさに日本のバンドブームまっただ中に次々登場した有名バンド達のほとんどに関わっています。そうだ!思い出した。銀座ナウ(!)に四人囃子が出演した時に、佐久間氏が「新曲でナスの茶わん焼きをやります」と言ってカッコよく決めまくっていました。もちろん生放送のスタジオライブ。

 

さあ、3~4月はいろいろと多忙を極める時期でもあり、スケジュールの都合でSTA6人がスタジオ入り。

うちゲスト1人、小樽より1人。

管楽器は1パートのみです。

よって先週とほぼ同じ内容のリハーサルで進行。

もちろん半分近くは今回のライブ用に久々復活の曲を。

みゆき嬢はリペアから戻ってきたばかりのバリトン・サックスを構えていますが、あれってかなりの重量ですね。

マサのベースと重さ比べをしてみましたが相当なものです。女性があれを持って延々とプレイするのはかなりの体力が必要。

それでもホーンが単体なので頑張っていました。「ガイドラインの管がいないから不安・・・」と言いつつも。スコアもマサが持ってきた中からピックアップ。バリトン・サックス譜面がないのでとりあえずはトロンボーン用で代用。前もって渡しておいた音源もかなり聴きこんできた様子。

風邪をひいちゃったメンバーもいますが、根性で乗り切り。コーラスもいろいろと試行錯誤した結果、ほぼ固まりました。ゲストが瞬時に合わせてくれるので助かります。

以前の場合だと、おかしな場面があっても「せっかくここまで演奏しているんだから・・・」とおざなり状態で最後まで突っ切っていました。でも今は瞬間にバシッと止めてとことん追求。何度も何度も原因を究明して突き詰めていきます。これが当たり前なのですがね。

そして、宿題として個人個人で次回までに修復して改善。皆に迷惑のかからないように、同じミスを繰り返さないように。

エンディングに不安のある曲も念入りに合わせてみたのですが、こいつはちょっとやっかいです。

譜面を見てどうこう合わせるという代物ではなくて、その場の全員の呼吸とムードで進行、絡みで移動。

音楽理論ではなくて、あれはまさに魂、ソウルですね。これも一つの勉強。

ガチガチの譜割にこだわっているとそうとうに難しいのでは?というわけでいろいろなタイプの曲をSTAはコピーしてきました。

夏に向けて、面白い物も用意しています。

みゆき嬢ももっと毛色の違うやつを希望していますが、今回はとりあえずライブ用から彼女のリクエストで順次演奏。

彼女曰く「STAは数年前にライブで見たときよりも今は別のバンドのようにかなり変化したね。編成も臨機応変に便利」とのこと。

う~む、新鮮な目で見たSTAの印象や意見、感想をもっと聞いてみたいものです。自分達は入りこんじゃっているから気付かない点が多々あると思うのでね。

 

シカゴのごく初期、テリー在籍時のライブ映像(タングルウッド)の話題で盛り上がってしまいました。ノブ「やっぱりテリーは別格。圧倒的」、マサ「テリーってあれだけ派手に力強いパフォーマンスしているのにまったくといっていいほどにリズムやピッキングが乱れない。」

曲目も鳥肌物、涙涙の超レアが続々と飛び出してきます。オフィシャルであの時代の物、発売されないかなあ・・・。ドカン!とボックスでさ。

そして・・・早く春よ来い!

 

 

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HERB ALPERT

2014-03-01 23:40:36 | free form space

せっかくシカゴなどのブラス・ロックを中心にアップしているのだから、他の管楽器奏者も紹介して!!とのお声を頂戴いたしましたのでブラス・ロックではありませんが、トランペッター「ハープ・アルパート」を。

1935年アメリカはカリフォルニア州ロスアンジェルス生まれのハーブはミュージシャンはもちろんのこと、歌手、プロデューサーとしてもその手腕を思う存分に発揮してアメリカ音楽界に多大なる貢献を果たした人物です。

かの有名なA&Mレコードの創設者だという話は有名ですが、それまでの道のりは険しく、スチーム・バスでたまたま知り合って意気投合したジェリー・モスと100ドルずつ出資し合って立ち上げお互いのイニシャルから「A&M」と命名。(当初はハーブの楽曲を売り出すのが目的だったとか)

その後、ヒット曲連発、数多くのミュージシャンを擁する巨大な音楽産業にまで成長したのです。

カーペンターズを発掘したのもハーブですし、その他にもセルジオ・メンデス(ここのボーカルだったシャロンは後のハーブ夫人)、ジャネット・ジャクソンなど錚々たる面々が所属。

しかし、ハーブ自身もミュージシャン活動を並行してこなしていきます。

ここまで書いてきても「よく知らないなあ・・・」という方、あの深夜放送の伝説的番組「ニッポン放送オールナイト・ニッポン」でオープニングテーマに長年にわたって使用されて世の深夜族の耳に染み込むほどにおなじみとなったあのインスト曲「ビター・スィート・サンバ(1:44)」と言えば「OOOH!!」と青春時代蘇りつつも思い出されることでしょう。(写真上段左の2枚組ベスト、ダブルデラックスに収録)

乾いたギターのストロークから引き続き流れてくるトランペットの音色、更にはビブラフォンのソロ。

あの曲は(S・LAKE作)ハーブ・アルパート率いるテイファナ・ブラスの演奏ですが、ここ日本では特に超有名ソングですね。

バンド解散後もハーブはフュージョン・ブームに挑戦するがごとく、ソロ作を立て続けに発表、大ヒットします。

「RISE」、この作品は彼初の1位を獲得、グラミーにおいてもベスト・ポップ・インストウルメンタル・パフォーマンス部門を受賞。日本でもあらゆるCMに起用されてハーブ本人が出演したものもあります。

「BEYOND」「RED HOT(BLOW YOUR OWN HORN)」「WILD ROMANCE」などはここに写真紹介したものですが、その他にもまだまだあります。

バックのミュージシャンも豪華で、ポウリーニョ・ダコスタ、カルロス・リオス、ミッシェル・コロンビエ、スティーブ・フォアマン、ブレンダ・ラッセル、エイボラハム・ラボリエル、スティーブ・ガッド、アーニー・ワッツ、マイク・ベアード、ネーザン・イースト、ポール・ジャクソンJR,ジョン・ロビンソン、ニール・ラーセン、レニー・カストロ、グレッグ・マティソン、リー・リトナー、カルロス・ヴェガ、スティーブ・ルカサー、ジョニー・ギター・ワトソン、スティーブ・カッツ(エンジニア)、ピーター・フランプトン、ハービー・メイソン、ルイス・ジョンソン、ジェームス・ジェマーソン、ジョー・サンプル、トム・スコットETC,ETC・・・・・

そして、シカゴ3代目ギタリスト、1984年のみシカゴでの来日経験のある体型、髭、ハムバッキングPUマウントのテレキャスターやらテリーにそっくりのゴジラ大好きっ子、クリス・ピニックもいくつかの作品で弾きまくっています。

 

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SILVER JACKET

2014-03-01 20:21:06 | CHICAGO

似たモノ・ジャケットで前回にクリームとシカゴを並べて見ましたが、その直後に冬季五輪選手が続々と銀メダルに輝きました。

何気なく、音源棚を覗いたらそのクリームとシカゴで銀色ジャケットを発見(他にはメダルっぽいものまで)!

更にドンドンを出てくる出てくる。やはりああいうビジュアル的にも派手でロックっぽく(メタルっぽい)、単純にかっこいい色は見栄えが最高です。事実、私もジャケ買いするほど。

しかもエンボス加工物も多いのです。

多分材質&作業工程に通常物よりもお金がかかっているものと思います(よって大物が殆ど)。

ここでは写真に選りすぐりの数枚をアップしてみました(私の好みや思い入れを考慮して)。

 

まずは国内バンドでダウン・タウン・ブギウギ・バンド「ブギウギどん底ハウス」

1975年発表、10曲入りでアメリカ録音もしています。ホーンセクションもバリバリに入ってます。

DTブギウギバンドもこのころは、すっかり人気が安定期に突入してグッと豪華なジャケットが実現。

名曲「涙のシークレット・ラブ(バラードの傑作)」「商品には手を出すな(ベースがロッコしています)」

ライブにもってこいの痛快ロックンロール「ほいでもってブンブン」「トラック・ドライヴィング・ブギ」など素晴らしい内容。

マサとケンは高校時代のバンドでよくこのダウンタウン・・・・をコピーしてライブで受けていました。実際に多くのことを学びました。

私は何度となくこのバンドのライブを見ましたが(ファイティング時代も含め)、竜童氏のカリスマ性溢れ出る才能に圧倒されたものです。

 

グランド・ファンク・レイルロード(後にグランド・ファンクと改名)「戦争をやめよう(原題:E PLURIBUS FUNK)」

これはアメリカ輸入物の赤盤です。1971年発表、7曲入り。

このバンドはアメリカン・へヴィー・メタルの元祖といわれているのになぜだか未だに過小評価されているのですよ。

マサ、ケンもノブも若き頃はGFRのお世話になりました(というか、我々世代は皆、洗礼を受けているものと思われ・・・)。

トリオ編成ながら迫力あるサウンドとリフ、ワイルドなステージング、ノリの良いキャッチーでストレートな楽曲で大成功。数多くの記録を樹立しました。

初来日、突風吹き荒れる中での嵐の公演は今も語り草です。

当時のコピーが「レッド・ツェッぺリンもぶっ飛んだ!」という物凄い怖いもの知らずの物。

やり手プロデューサー、故テリー・ナイトのもと、20歳前後の3人でデビュー、立て続けにアルバムをリリース、時代の流れでベトナムに対する反戦メッセージを込めて発表したのがこの作品。

ツアーのオープニングでも一発で客のハートを鷲掴みにする「フット・ストンピン・ミュージック」、大作「戦争をやめよう」、壮大なオーケストレーションを導入した「ロンリネス」(アイム・ユア・キャプテンの発展形)、グイグイとグルーブが波打つ佳曲がおしげもなく納められています。

コインをあしらったジャケットも当時、話題の的に。表にはメンバーの並んだ横顔、裏面にはマジソン・スクエア・ガーデンが描かれています。

再発時には普通の四角いジャケットで生産、まあ仕方のないことですが、このバンド、他のジャケットにも工夫が施されています。

「アメリカン・バンド」では金色(盤面初回分は金色)、メンバー達のヌード、「シャイニン・オン」では3D仕様。ご丁寧にも専用メガネ付き。これは後にユーミン、LA,GUNSなどもやっています。「世界の女はご用心」ではメンバーがムキムキのボディビルダーに(もちろん首は挿げ替え。そのボディの中にはシュワちゃんもいます。マークは筋骨隆々なのですがね)。「ボーン・トウ・ダイ」ではメンバー達が棺桶に入っているデザイン(この時、マークと他のメンバー達の意見がぶつかり緊迫状態ななったそうです)

音楽性、ステージングなど世間のうるさ型陣営からは「下手、いも、B級」と散々叩かれたものですが、(シカゴもGFRを良く言ってなかったですね)今のロック界に与えた影響は絶大です。

GFRは鬼才フランク・ザッパをプロデューサーを迎えて起死回生を図るものの思ったほどに成果を得られずに解散、ソロ、セッション、プロジェクトを経たのちに再結成するも再度枝別れとなります。(KBのクレイグ・フロストはボブ・シーガー&ザ・シルバー・バレットに在籍。ドウエインやドンもここでバンドメイトだった時代があります)

私はマーク・ファーナーのギタークリニックを目前で見て、その後は握手してもらいサイン入りポスターを貰ったりと夢のようなラッキーなひとときを経験、彼は文句なしのナイスガイでした。武道館でも再結成コンサートを体験。

いまだに衰えぬ王道アメリカン・ロックの真髄を体感しちゃいました。

 

カナダのシカゴ、BS&T!と言われていた「ライトハウス(灯台という意味)」。

1969年のアメリカ盤、10曲入り。大阪万国博覧会会場において来日公演を行っています。(フラワー・トラべリン・バンドも出演)それがきっかけで、その後、ライトハウスのキーボディストはフラワー・・・のアルバム「メイド・イン・ジャパン」をプロデュース。

現在も地道に本国においてライトハウスは活動中。

STAも彼らの最高傑作「ある晴れた朝(ワン・ファイン・モーニング)」をレパートリーに組み込ませてもらっています。

 

シカゴのプロデューサー、ジェームス・ウィリアム・ガルシオが監督、製作、そして音楽までをも担当した1974年作品「エレクトラ・グライド・イン・ブルー」のサウンド・トラック盤。個人的にも珠玉の曲目は思い入れたっぷりです。よく映画サントラって退屈なものが多いのですが、これは独立した1作品としても立派に成立するものです。さすがガルシオ入魂の1枚。

シカゴのメンバーも映画に重要な役として出演(ピーターは暴走族のリーダー、テリーは殺し屋、リーとウォルターはコミューン住まいのヒッピー)、もしくは演奏に参加しています。(ボビーとダニーのクレジットはなし)

シカゴの弟分、マデュラもあらゆる個所で貢献。この映画が公開された時、マサとケンはもちろん何度も映画館に足を運びました。(同時上映作品はジェームズ・コバーン主演、スリ達のサスペンス作「黄金の指」)

銀色のジャケット内には分厚い写真集、ハーレー・ダビッドソンの図面風ポスター、モニュメント・バレーに佇む主演ロバート・ブレイク&ハーレーの超特大横長ポスター付き。

 

最後の2つは、やはりクリームとシカゴ。

かたやサイケデリック風、かたやCGを駆使したデザイン。時代の差ですね。

シカゴはバレンタインのチョコレートの時にも紹介したもの。あの表ジャケットがこれです。5CD&1DVDの2003年発売。

2つ目のボックスセット。

前回のBOXに比べても、こちらのほうが内容の貴重度では圧倒的に勝っています。

「クリームの素晴らしき世界」は彼らの最高傑作(全米1位)、13曲入り。

2枚組で実質的にはラストアルバム(当初日本では、ばら売りされていました)、人気絶頂期のこの直後に彼らは突如として解散するのです。

1枚目はスタジオ録音、2枚目はフィルモアにおけるライブ音源。

ブルースのスタンダートから永遠のオリジナル・ヒット曲、各メンバーの火花散るソロ、インプロビゼーションがふんだんに盛り込まれています。

代表作「ホワイト・ルーム」、先日の来日公演でも披露されたロバート・ジョンソン作品「クロスロード」、他にも甲乙つけがたい名演、名曲がたくさん。この頃のロック界ではちょっとした2枚組の名作が続々とリリースされています。

ビートルズの「ホワイト・アルバム」、ボブ・ディラン「ブロンド・オン・ブロンド」、ジミ・ヘンリックス・エクスペリエンス「エレクトリック・レディ・ランド」、アル・クーパー「フィルモアの奇蹟」、そしてフランク・ザッパのマザース・オブ・インベイション、シカゴ・トランジット・オーソリティー・・・・。

 

おまけに、この選からもれたアルバムを。

スコーピンズ「アンブレイカブル」

キッス「ダブル・プラチナム」

B'Z「ザ・ベスト、トレジャー」

チューリップ「白書(ベスト)」

スティーリー・ダン「(ザ・ベスト・オブ)ア・ディケード・オブ」・・・・・

 

 

 

 

 

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