世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

モット感謝を

2011年03月16日 | 人生
何かがおかしい。


水も電気も空気も

あって当たり前。



そういう驕りがあるのではないだろうか。



「情報化社会」 といわれながら


情報が足りないと言う。




便利さに慣らされてしまうと


便利が当たり前になってしまう。





電気も

世界にはまだ供給が十分でない所がたくさんある。



発展途上国では

日常に停電は当たり前といった世界が

ほとんどといってもいいぐらいある。



人間は本来


火を焚いて灯りと暖を得ていた。




原子力という利便性を享受していたかのように見え


皮肉にも今、その脅威に曝されている。




世界のほとんどでは

「ライフライン」 そのものが完璧ではないの。


そもそもライフラインという概念がないのではないだろうか。




国民の生命と財産を守ってくれる国の方が少ない。




あまりにも

政府や行政に頼りすぎるきらいがある。




自分で生き抜こうとする


気概が失われているのではなかろうか。




ヨットやカヌーは


転覆しないことより


復元力に重きを置く。




海外の新聞に

「Japan is rich in resilience」

とあった。


resilience とは


復興力、回復力のことだ。





不便を強いられるのではなく、


不便を楽しめたら本物だ。




それこそ

本来の生き方なのではないだろうか。




便利さを享受し過ぎたために


有難さ(在り難さ)を忘れてしまっているのではないか。



有って当然 = 当たり前


少しでもないと、

不満を言う、

怒る。



それでもまだ

日本人は


アメリカや中国からレスペクトをもって

見られる。




その穏やかさ、慎ましさ。


これこそ日本人が誇れる大和魂ではないだろうか。



TSUNAMI が世界に通じる言葉になったように

Mottainai や Gaman もそのままで通じるようになっている。



Share という言葉も

「Osusowake (お裾分け)」 の方がシックリくる。 


日本には多くの誇れる精神が息づいている。



今回の未曾有の大災害は何を意味するのだろうか。


生き残った我々は

教訓として深く考えてみる必要があるのではないだろうか。



人類の歴史は

自然と闘って生き抜き


綴られてきた面も多い。




30年かけて


世界一の防波堤を築いた。




しかし


自然の脅威は


あざ笑うかのように

一瞬の下に洗い流してしまった。





「自然に即した生き方」 を

見直してみる必要があるのでないだろうか。



この瞬間瞬間に感謝しながら生きていきたいものだ。
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