日本はどうなる?
日本じゅうだけでなく、
世界の各地で
「頑張ろうニッポン!」
のスローガンが躍る。
「復興」
の意気込みも強く感じられる。
この 「復興」 のニ文字は
被災地だけの問題に留まらず
震災前から日本に突きつけられた
事実上の大きな課題でもあった。
折しも
GDPは3位に陥落。
今後も
下降路線を辿ると言われる。
それよりなにより
経済成長率は
地を這うような数字が頭打ちで
伸び悩んでいる。
財政は逼迫し破綻寸前、
政治も無策に溺れ空転している状況が続く。
それでなくても
沈みかけている日本に
降って湧いた突然の大災害。
まさに
泣きっ面に蜂、状態。
その日本経済の立て直し策は
もっぱら産業界の海外進出が主導権を持ち、
結果、産業の空洞化さえ危ぶまれている。
それでも
日本は今まで幾多の困難を経て
しぶとく立ち直ってきた。
そういう 「成功体験」 だけが支えとなっている
機運さえ見受けられる。
戦後も手のつけようのないほどの焼け野原から
見事
世界第二位の経済大国にのし上がったではないか。
数度の石油危機、
経済危機も日本は凌いだ。
阪神・淡路大震災からだって見事立ち直った。
だから
今度だって。
そんな
安易な雰囲気が
むしろ海外の方から漂ってくる。
日本人の粘り強さ、
報道で世界をうならせた
美徳とも言える日本人の道徳観。
確かにそうだ。
日本には世界が驚嘆する素晴らしい資質が
数多く残って入る。
世界中から救いの手も差し伸べられている。
日本人は決して
へこたれない。
日本は必ず立ち直る。
日本人ならやれる、と。
根拠のない言葉だけが空回りするかのように。
それでも
今はそれだけでいい。
実にありがたい。
そんな中
誰しもが
でも、どうやって?
と頭の中の疑問詞を浮かべては
かき消そうとしている風にさえ見える。
こぶしを振り上げ
「ガンバロウ! ガンバロウ!」
のシュプレヒコールだけでは
落選確実の候補者だってやっている。
66年前の終戦直後。
何もない瓦礫の中に
燦然と輝く希望の光があった。
貧しくも耐える逞しさがあった。
産めや増やせやで
家族の温かい姿があった。
なにしろ
あらゆるものが若かった。
無性にひたむきだった。
だから
復興は
アメリカの庇護のもと
産業復興
経済復興一点に絞ればよかった。
阪神・淡路のときだって
それでもまだ
地域復興の域にあったように思う。
加工貿易、
輸出産業、
鉄鋼、車、家電の
三本柱で
活発な内需・外需に後押しされながら
ドルを買いあさり
「Japan as No1!」
とまで云わしめた。。
今回は
どうだ?
災害の規模は
地域復興の域をはるかに超えている。
世界に類を見ない
少子高齢化の下にある。
国家財政も逼迫している。
政治家は無策の中にある。
頼りの 「メイド・イン・ジャパン」
の影も薄れつつある。
何よりも
物は豊かでも
(震災地は一時的に不足していても)
多くが希望を失っているように見える。
(村上隆がいみじくも言った)
失いかけていた
「心の温かさ」、
「助け合いの精神」、
「一致団結」
が声高に叫ばれてはいる。
ACジャパン (旧公共広告機構)は
「心」 と 「思い」 をしきりと
(しつこいぐらい)
テレビコマーシャルで訴えかけている。
当たり前のことが
当たり前でなくなった社会。
本来
家庭で、
学校で
地域で
教え、
自ら感じ取っていくことが
お上が電波を借りて絶叫しなければならない状況にある。
(電量不足と言いながら)
それはそれでまだ許せるかもしれない。
と、マア、
どう考えても
悲観的要素ばかりが浮かんでくる。
この超楽観的、ポジティブ思考の極楽トンボでさえ、だ。
だから
考えてみた。
マジ
日本が立ち直るには
どうすればいいか?
観念論、
精神論ばかりでなく
具体案を示せ、と。
で
今日のブログは
珍しく長くなったので
書く方も
読んでくださっている方も
疲れたかと思うので
Thinking time
をいただいて
筆を休めて考えてみたいと思う。
マジ
どうやったら日本は立ち直れるのか、
具体案を示せ、と。
それが
これから日本人の
一人ひとりがなさねばならないこと
なのだ。
今われわれは何をなすべきか
(節電と義援金が主流のようだが)
と、隔靴掻痒しながらも。
自粛ムードが
ややもすれば
委縮モードになってしまうきらいがある。
もう
悲観論はいらない。
机上論もいらない。
空論も要らない。
評論家も要らない。
今こそ
一人ひとりが
中・長期的観点に立ち
やれる具体論を示し、
行動に移す。
ボクもそうする、
あなたもそうしよう、
みんなでやろう。
今すぐ。
日本じゅうだけでなく、
世界の各地で
「頑張ろうニッポン!」
のスローガンが躍る。
「復興」
の意気込みも強く感じられる。
この 「復興」 のニ文字は
被災地だけの問題に留まらず
震災前から日本に突きつけられた
事実上の大きな課題でもあった。
折しも
GDPは3位に陥落。
今後も
下降路線を辿ると言われる。
それよりなにより
経済成長率は
地を這うような数字が頭打ちで
伸び悩んでいる。
財政は逼迫し破綻寸前、
政治も無策に溺れ空転している状況が続く。
それでなくても
沈みかけている日本に
降って湧いた突然の大災害。
まさに
泣きっ面に蜂、状態。
その日本経済の立て直し策は
もっぱら産業界の海外進出が主導権を持ち、
結果、産業の空洞化さえ危ぶまれている。
それでも
日本は今まで幾多の困難を経て
しぶとく立ち直ってきた。
そういう 「成功体験」 だけが支えとなっている
機運さえ見受けられる。
戦後も手のつけようのないほどの焼け野原から
見事
世界第二位の経済大国にのし上がったではないか。
数度の石油危機、
経済危機も日本は凌いだ。
阪神・淡路大震災からだって見事立ち直った。
だから
今度だって。
そんな
安易な雰囲気が
むしろ海外の方から漂ってくる。
日本人の粘り強さ、
報道で世界をうならせた
美徳とも言える日本人の道徳観。
確かにそうだ。
日本には世界が驚嘆する素晴らしい資質が
数多く残って入る。
世界中から救いの手も差し伸べられている。
日本人は決して
へこたれない。
日本は必ず立ち直る。
日本人ならやれる、と。
根拠のない言葉だけが空回りするかのように。
それでも
今はそれだけでいい。
実にありがたい。
そんな中
誰しもが
でも、どうやって?
と頭の中の疑問詞を浮かべては
かき消そうとしている風にさえ見える。
こぶしを振り上げ
「ガンバロウ! ガンバロウ!」
のシュプレヒコールだけでは
落選確実の候補者だってやっている。
66年前の終戦直後。
何もない瓦礫の中に
燦然と輝く希望の光があった。
貧しくも耐える逞しさがあった。
産めや増やせやで
家族の温かい姿があった。
なにしろ
あらゆるものが若かった。
無性にひたむきだった。
だから
復興は
アメリカの庇護のもと
産業復興
経済復興一点に絞ればよかった。
阪神・淡路のときだって
それでもまだ
地域復興の域にあったように思う。
加工貿易、
輸出産業、
鉄鋼、車、家電の
三本柱で
活発な内需・外需に後押しされながら
ドルを買いあさり
「Japan as No1!」
とまで云わしめた。。
今回は
どうだ?
災害の規模は
地域復興の域をはるかに超えている。
世界に類を見ない
少子高齢化の下にある。
国家財政も逼迫している。
政治家は無策の中にある。
頼りの 「メイド・イン・ジャパン」
の影も薄れつつある。
何よりも
物は豊かでも
(震災地は一時的に不足していても)
多くが希望を失っているように見える。
(村上隆がいみじくも言った)
失いかけていた
「心の温かさ」、
「助け合いの精神」、
「一致団結」
が声高に叫ばれてはいる。
ACジャパン (旧公共広告機構)は
「心」 と 「思い」 をしきりと
(しつこいぐらい)
テレビコマーシャルで訴えかけている。
当たり前のことが
当たり前でなくなった社会。
本来
家庭で、
学校で
地域で
教え、
自ら感じ取っていくことが
お上が電波を借りて絶叫しなければならない状況にある。
(電量不足と言いながら)
それはそれでまだ許せるかもしれない。
と、マア、
どう考えても
悲観的要素ばかりが浮かんでくる。
この超楽観的、ポジティブ思考の極楽トンボでさえ、だ。
だから
考えてみた。
マジ
日本が立ち直るには
どうすればいいか?
観念論、
精神論ばかりでなく
具体案を示せ、と。
で
今日のブログは
珍しく長くなったので
書く方も
読んでくださっている方も
疲れたかと思うので
Thinking time
をいただいて
筆を休めて考えてみたいと思う。
マジ
どうやったら日本は立ち直れるのか、
具体案を示せ、と。
それが
これから日本人の
一人ひとりがなさねばならないこと
なのだ。
今われわれは何をなすべきか
(節電と義援金が主流のようだが)
と、隔靴掻痒しながらも。
自粛ムードが
ややもすれば
委縮モードになってしまうきらいがある。
もう
悲観論はいらない。
机上論もいらない。
空論も要らない。
評論家も要らない。
今こそ
一人ひとりが
中・長期的観点に立ち
やれる具体論を示し、
行動に移す。
ボクもそうする、
あなたもそうしよう、
みんなでやろう。
今すぐ。