過ぎ去った過去は
もう戻っては来ない。
取り戻すことなんて
できない。
だけど
ボクは
あえて
その過去を取り戻そうと
今、懸命だ。
ある一つのことに関してだが。
昨日書いた長女(前妻との娘)とは
彼女が4歳の時に分かれ
27歳になって再会するまで
23年間の空白がある。
だから
いま、
その23年間のブランクを
少しでも取り戻したいのだ。
6年ほど前
彼女とサンフランシスコで会い、
サウサリートの町を歩いた時、
「お父さんとこうして
海外の町を歩きたかった」
と嬉しそうに言われた時は
申し訳ない気持ちと
喜びで
思わず涙が出そうになった。
息子と下の娘は
世界一周を含め、
嫌というほど海外に連れて行っている。
娘が生まれて
4年間のわずかな間に
国内は数回一緒に旅行したことはあったが
彼女にその記憶はない。
そして
その時
初めて
サンフランシスコの地で
息子と対面させたのだ。
息子は
すんなりと
自分にお姉さんがいることを認めてくれた。
それから
事あるごとに
現在も交流を続けてくれている。
アメリカでホームステイ生活をしていることも
彼の心を広くしているのかもしれない。
つまり
アメリカの家族においては
義理の母や父、
腹違いの兄弟など
ごく当たり前の家族の光景なのだ。
理由や事情は様々にせよ
離婚や再婚を経験し
母親や父親の違う兄弟姉妹が一緒に暮らすことに
あまり抵抗がないように思える。
ただ
このことを知った息子の母親(別居中の妻)は
激怒した。
そして
「二度と会ってはいけない」 と
釘を刺した。
この時息子は
「分かった」
とだけ答えていた。
今
日本も
シングルマザーや
母子家庭が急増している。
そして
それが
日本の貧困率を引き上げる要素にもなっている。
再婚して
それぞれがうまく関係を築いていけばいいのだが。
ボクが
長女の母親
つまり
前妻と会うことは一切ない。
ましてや
前妻が再婚して
娘の義理の父親となってくれた男性とも。
ただ
その二人に間に生まれた
娘(長女の妹)と分け隔てなく
可愛がって立派に育て上げてくれた
その男性に
お礼を言いたい気持ちはある。
そして
その夫婦は
二人の娘が
ボクと会うことだけでなく
4日間を一緒に過ごすことを
今回認めてくれたのだ。
なんと
太っ腹、
と感服する。
そのことにも
この場を借りて
深くお礼を申し上げたい。
「この素晴らしい機会を作っていただいて
ありがとうございました」 と。
今回の奇妙な家族旅行が終わって
娘にありがとうメールを送ると
次のような返事が返ってきた。
「お疲れ様!
こちらこそありがとう
お父さんと一緒に旅行するのは私の夢だったから、
私もほんとに楽しかったです!
子供達もたくさん喜ばせてくれて、ありがとう!
また、こんな素敵な機会が持てるように頑張って働くわ。(笑)
こんな素晴らしい娘に
育て上げてくれた
男性(義理の父親)に
ボクは何と言って感謝すればいいのだろう。
一時は
「私はお父さんから捨てられた」
といって号泣した娘。
これで
23年間の空白が埋められたなどとは
まったく思っていない。
まだまだやらなければならないことが
いっぱいある。
大きな難関は
ニューヨークに住む下の娘と
恙(つつが)なく引き合わせることだ。
20歳という
難しい年頃だし
母親から
絶対に会ってはいけないと
きつく言われているだろう。
なぜそこまで
頑なに拒むのか
訳が分からない。
だから
ボクには
まだまだ
やらなければならないことが
あるのだ。
ここで
クタバルわけにはいかない。
【蛇足】
自分でまいた種は
自分で刈り取らねばならない。
この場合
なんの種?
終わりがよろしいようで…。
座布団何枚?
もう戻っては来ない。
取り戻すことなんて
できない。
だけど
ボクは
あえて
その過去を取り戻そうと
今、懸命だ。
ある一つのことに関してだが。
昨日書いた長女(前妻との娘)とは
彼女が4歳の時に分かれ
27歳になって再会するまで
23年間の空白がある。
だから
いま、
その23年間のブランクを
少しでも取り戻したいのだ。
6年ほど前
彼女とサンフランシスコで会い、
サウサリートの町を歩いた時、
「お父さんとこうして
海外の町を歩きたかった」
と嬉しそうに言われた時は
申し訳ない気持ちと
喜びで
思わず涙が出そうになった。
息子と下の娘は
世界一周を含め、
嫌というほど海外に連れて行っている。
娘が生まれて
4年間のわずかな間に
国内は数回一緒に旅行したことはあったが
彼女にその記憶はない。
そして
その時
初めて
サンフランシスコの地で
息子と対面させたのだ。
息子は
すんなりと
自分にお姉さんがいることを認めてくれた。
それから
事あるごとに
現在も交流を続けてくれている。
アメリカでホームステイ生活をしていることも
彼の心を広くしているのかもしれない。
つまり
アメリカの家族においては
義理の母や父、
腹違いの兄弟など
ごく当たり前の家族の光景なのだ。
理由や事情は様々にせよ
離婚や再婚を経験し
母親や父親の違う兄弟姉妹が一緒に暮らすことに
あまり抵抗がないように思える。
ただ
このことを知った息子の母親(別居中の妻)は
激怒した。
そして
「二度と会ってはいけない」 と
釘を刺した。
この時息子は
「分かった」
とだけ答えていた。
今
日本も
シングルマザーや
母子家庭が急増している。
そして
それが
日本の貧困率を引き上げる要素にもなっている。
再婚して
それぞれがうまく関係を築いていけばいいのだが。
ボクが
長女の母親
つまり
前妻と会うことは一切ない。
ましてや
前妻が再婚して
娘の義理の父親となってくれた男性とも。
ただ
その二人に間に生まれた
娘(長女の妹)と分け隔てなく
可愛がって立派に育て上げてくれた
その男性に
お礼を言いたい気持ちはある。
そして
その夫婦は
二人の娘が
ボクと会うことだけでなく
4日間を一緒に過ごすことを
今回認めてくれたのだ。
なんと
太っ腹、
と感服する。
そのことにも
この場を借りて
深くお礼を申し上げたい。
「この素晴らしい機会を作っていただいて
ありがとうございました」 と。
今回の奇妙な家族旅行が終わって
娘にありがとうメールを送ると
次のような返事が返ってきた。
「お疲れ様!
こちらこそありがとう
お父さんと一緒に旅行するのは私の夢だったから、
私もほんとに楽しかったです!
子供達もたくさん喜ばせてくれて、ありがとう!
また、こんな素敵な機会が持てるように頑張って働くわ。(笑)
こんな素晴らしい娘に
育て上げてくれた
男性(義理の父親)に
ボクは何と言って感謝すればいいのだろう。
一時は
「私はお父さんから捨てられた」
といって号泣した娘。
これで
23年間の空白が埋められたなどとは
まったく思っていない。
まだまだやらなければならないことが
いっぱいある。
大きな難関は
ニューヨークに住む下の娘と
恙(つつが)なく引き合わせることだ。
20歳という
難しい年頃だし
母親から
絶対に会ってはいけないと
きつく言われているだろう。
なぜそこまで
頑なに拒むのか
訳が分からない。
だから
ボクには
まだまだ
やらなければならないことが
あるのだ。
ここで
クタバルわけにはいかない。
【蛇足】
自分でまいた種は
自分で刈り取らねばならない。
この場合
なんの種?
終わりがよろしいようで…。
座布団何枚?