仕事も恋も、遊びも真剣勝負。
一瞬、一瞬に命を懸けている。
完全燃焼 (120%燃焼)
渾身の力を込める
一切手を抜かない
一所懸命、その場に120%の力を出し切る。
だから、いつ死んでも悔いはない。
てか、いつ死んでも本望だ。
だって、毎日が人生の最高地点にいるのだから。
明日まで生きれば、明日、また一歩成長する。
「坂の上の坂」 という本がある。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」の間違いではない。
どんなに坂をのぼりつめても、
そこからまた上り坂が続いている。
つまり、毎日毎日が頂上でもあり、階段の踊り場でもある。
だから、120%出し切って、今日の頂上を目指す。
明日起きた時、さらなる頂が見える。
だからまた、その頂に向かって上り続けるのだ。
登っても登っても、頂上と思って一息ついてもさらにまだ上がある。
たまったもんじゃない。
いい加減、うんざりもする。
もうここまで来たのだから、ここで満足しようと思う。
自分に妥協してしまったら、そこでお仕舞だ。
だから、また新たな頂に向かうチャレンジ精神が生まれる。
そうでなければ、そこで人生止まってしまう。
五木寛之は、人生の下り坂を説いた。
登山は、本当は登るより下る方が難しいことをボクは知っている。
人生もまた同じ。
一見、下っているようでもさらに上に伸びる階段の騙し絵がある。
そんなものかもしれない。
人生には、3つの坂があるとも言われる。
上り坂、下り坂、そして、まさかの3つである。
まさかは、予期せぬことを意味するが、
「真坂」と書くこともできる。
つまり、真の坂だ。
自分が昇っている坂は必ずしも正しくないかもしれない。
なぜなら登るべき坂は一つではないからだ。
一方、ハリーポッターの学校のように、
次から次へとドンドン階段が横から現れるかもしれない。
いずれにせよ、人生生きてる限り登り続けなければならないということだ。
身体は毎日睡眠という形で休めても
本来、気を休めることは出来ない。
気休めはあくまでも気休めにしか過ぎない。
だが、気も締めっぱなしでもストレスとなって擦り切れてしまうだろうから
上手に緩めたり、休めたりする必要はある。
ただ、一瞬の気の緩みが命取りにならないように。
今の世は戦国時代と思うべし。
戦国武士に一時の気休めは、即命取りになった。
「死生観」を持って臨む。
どうせ死ぬのだ。
誰しも、一人残らず死ぬのだ。
だから、いつ死んでもいいように自分を常に最高に保つ必要がある。
そのために、今日をやり切る。
今日を燃え尽きる。
だから、寝るのも必死で寝る。
翌朝新たなエネルギーを作り出さなければならないから。
これがボクの生きる道なのだ。
一瞬、一瞬に命を懸けている。
完全燃焼 (120%燃焼)
渾身の力を込める
一切手を抜かない
一所懸命、その場に120%の力を出し切る。
だから、いつ死んでも悔いはない。
てか、いつ死んでも本望だ。
だって、毎日が人生の最高地点にいるのだから。
明日まで生きれば、明日、また一歩成長する。
「坂の上の坂」 という本がある。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」の間違いではない。
どんなに坂をのぼりつめても、
そこからまた上り坂が続いている。
つまり、毎日毎日が頂上でもあり、階段の踊り場でもある。
だから、120%出し切って、今日の頂上を目指す。
明日起きた時、さらなる頂が見える。
だからまた、その頂に向かって上り続けるのだ。
登っても登っても、頂上と思って一息ついてもさらにまだ上がある。
たまったもんじゃない。
いい加減、うんざりもする。
もうここまで来たのだから、ここで満足しようと思う。
自分に妥協してしまったら、そこでお仕舞だ。
だから、また新たな頂に向かうチャレンジ精神が生まれる。
そうでなければ、そこで人生止まってしまう。
五木寛之は、人生の下り坂を説いた。
登山は、本当は登るより下る方が難しいことをボクは知っている。
人生もまた同じ。
一見、下っているようでもさらに上に伸びる階段の騙し絵がある。
そんなものかもしれない。
人生には、3つの坂があるとも言われる。
上り坂、下り坂、そして、まさかの3つである。
まさかは、予期せぬことを意味するが、
「真坂」と書くこともできる。
つまり、真の坂だ。
自分が昇っている坂は必ずしも正しくないかもしれない。
なぜなら登るべき坂は一つではないからだ。
一方、ハリーポッターの学校のように、
次から次へとドンドン階段が横から現れるかもしれない。
いずれにせよ、人生生きてる限り登り続けなければならないということだ。
身体は毎日睡眠という形で休めても
本来、気を休めることは出来ない。
気休めはあくまでも気休めにしか過ぎない。
だが、気も締めっぱなしでもストレスとなって擦り切れてしまうだろうから
上手に緩めたり、休めたりする必要はある。
ただ、一瞬の気の緩みが命取りにならないように。
今の世は戦国時代と思うべし。
戦国武士に一時の気休めは、即命取りになった。
「死生観」を持って臨む。
どうせ死ぬのだ。
誰しも、一人残らず死ぬのだ。
だから、いつ死んでもいいように自分を常に最高に保つ必要がある。
そのために、今日をやり切る。
今日を燃え尽きる。
だから、寝るのも必死で寝る。
翌朝新たなエネルギーを作り出さなければならないから。
これがボクの生きる道なのだ。