世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

未知の世界へ踏み出す冒険心

2013年09月16日 | 
こうなりたいという、自分のゴールは見えている。


見えているといっても、想像上の姿だ。

当然そこにはまだ到達していないのだから、現実的姿はない。


だが明確にゴールに立つ自分の姿は見える。


ただ、分からないのは、

そこに至るまでの姿だ。


なぜなら、それはあたかもジャングルの中で

ドッグレッグコースのゴルフをしているようなものだからだ。



常に今居るところがスタート地点であることには変わりはない。

つまりそれは、年齢、性別、環境に関係なく、今日、今、現在の自分である。



最終ゴールは何かと言えば、


それは



『死』である。



これは誰しも同じだ。

ところが、ほとんどそれを意識しない人がほとんどではないだろうか。


そして、それを避けたがる。

死にたくない、危機(危険)回避本能が働く。

それは至極当然のことだ。


だが多くの人は、

死とはいわなくても、生きながらにして生活を守ろうとする保持本能を無意識に持つ。


我武者羅( reckless [foolhardy] 、furiously [frantically])や無茶無茶、

無謀( 〈軽率な〉 rash; thoughtless〈無鉄砲な〉 reckless; foolishly bold〈無思慮な〉 imprudent)

になれとは言わない。


それはむしろ愚かなことだから。


ボクがこだわるのは、挑戦心(Challenge spirit)だ。


それには、当然だが何に挑戦するのかという目標がいる。

それも明確であれば明確な目標であればさらに良い。


そしてその場合、なぜそうしなければならないのかという、目的を打ち出すことが必要となる。

この場合の目的とは、ミッションを意味する。


だから、目的無き目標は脆弱で、達成できない可能性が高くなる。



いろんな表現の仕方がある。

comfort zone(居心地のいいぬるま湯)から抜け出せ、とか

out of box(自分の殻を破れ)だとかはよく言われる。



人間は、快楽を求め痛みを避ける生き物であることは再三述べた。

要は、苦労しないで楽をしたいのだ。

ボクもその域を免れない。



だが、そんな人間が成功した試はない。


その甘えをいつまでも払しょくできなければ、

一時的に成功しても、最終的には不幸のどん底を見ることになる。



これは、紛れもない「人生の法則」である。


死ぬまで成功するのは、

死ぬまでチャレンジし、努力し、苦しんだ人間だけだ。


ただ、上に述べたように

我武者羅に何でもやれというのではない。


一つ一つの目標には、緻密な計画(plan)が必要だ。

あるいはそれに至る手続き(proceeding,step)を踏まなければならない。


それを怠るから、無謀になり、無茶苦茶になり、自暴自棄になり

途中で放り出して結局達成できなくなるのだ。


そういう人に限って、言い訳と他人のせいにする言葉で自分を正当化しようと試みる。

だが、それはさらに自分を不幸の底なし沼に落とし込む自殺行為に等しい。



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さて、自分の目標(ミッション)を打ち立て、

最終ゴール(死)に向かうまで、

様々な目標を作る。


それは一つ一つの小さなゴールにすぎない。

小さな目標を確実に達成しながら、最終ゴールに近づいていく。


ブッシュの中に打ち込んだゴルフボールを探しながら

幾多の障害が待ち受けていたり、

逆に思わぬ幸運に恵まれることがある。


危険が潜むジャングルにも、きれいな花はあるものだ。

ただし、きれいと思っても毒のあるものが多いことに気付かなければならない。


綺麗なバラには棘があるということを肝に銘じなければならない。

(そういうボクは、どんだけその棘に刺されたことか(~_~;))


艱難辛苦を経てやっとボールを見つけ、次の落下地点へとショットを放つのだ。

だが、思ったところへは飛ばず、また同じ目を繰り返す。


時に方向感覚を失うことも多々ある。

そんな時にはコンパス(磁石)が必要となる。

コンパスを読む能力は、サバイバルには必需品だ。


GPSにばかり頼っている人間は、人生の方向性を誤りやすい。

それは、人生を決めるGPSは存在しないからだ。

(それを発明すれば大金持ちになれるよ)


あるいは、太陽の傾きを読み、風の流れを感じ、星座を眺める智識と余裕を持たねければならない。

時にはビバーク(bivouac待機))を余儀なくされることもあるだろう。



こうして常に失敗と学習を繰り返し、

最後まで諦めなかったものだけが、一つひとつの目標をクリアできていく。


それには勇気と自信が欠かせない。

「勇気」と「自信」を育むには、経験と学習を重ねていくしかない。



なにより大切なのは、勇気をもって小さな一歩を踏み出すことだ。


一歩踏み出せば、また違った景色が見えてくる。

そうしたらまたそこから一歩踏み出す。

また違った景色が見える。

踏み出す。



人生とはその繰り返しに過ぎない。


違った景色を見たいという「好奇心」さえ失わなければ

人生とはかくも面白いものなのだ。



まずは自分の小さな目標を定め(Idea)、

綿密な計画を練り(Plan)、

小さな一歩を踏み出そう(Action)。



I(idea),P(plan),A(action)こそ

NPO法人IPA(International Project Association)の頭文字と期しくも一致する。


これは偶然とはいえ、何かを暗示するものではないだろうか。



そこで一句、

「我が人生、ますます面白くなりにけり」(字余りにて失礼)