世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

共生時代

2015年05月15日 | ライフスタイル
共存の時代だ。

そしてともに幸せを勝ち取る。

共存共栄の時代とも言える。

coexistence and co‐prosperity


人口減の日本において、

移民を受け入れることは焦眉の急(an urgent need)である。

そして、労働力不足には実習生を増やさなければなrない。


純潔を守り通してきた日本にとってはそれは乗り越えなければならない試練である。

成熟社会における大人の対応が求められる。



日本人は、

「難局に臨んでは動じず、寧ろそれを好機とし、試練に対し至純の誠を持って乗り越えること」

を矜持として抱いてきた。

日本は今、難局にある。


それを乗り越えるには、

異言語、異文化、異宗教との共存を図らなければならない。

つまり外国人との共存である。


さらにもう一つの共生が求められる。

それは、

障がい者との共存である。


精神障がい者が急増している。

もちろん、予備軍も含めてだが。

現在行われている、就労支援などという生ぬるいものではない。


一億総障がい者といえるほど、

日本人の精神は犯されている。

特に、

注意欠陥や多動性、衝動性を特徴とする発達障害、ADHD(注意欠如・多動性障害)に関しては

近年、増加傾向にある。


ボク自身も以前のブログで、

ADHDではないかとcoming outしたが、

旅好きは総じてADHD的傾向があると思う。


突飛で落ち着きがないが、瞬発的機動力で、

好奇心の赴くままに行動する「新奇探索傾向」があるADHDだが、

農耕が開始された新石器時代以前の狩猟採集社会では、

むしろ有利な特性であった可能性が指摘されている。


ある学者は、

もはや10人に1人以上がADHDと診断されている現状を指摘し、

「それほど多くの人がもつ症状なら、もはや障害や疾患とは呼べないのではないのでは?」

と疑問を呈している。


むしろ、

「退屈や決められたやり方を嫌い、

新しいことや興味を引かれる方向に向かおうとするADHDの人は、

あくまでも管理された定住型の現代社会にうまく適応できないだけで、

狩猟や遊牧を行う原始的な社会では成功者だったのでは?」という仮説まで立てている。


これは、

集中力は続かないが新しい刺激に対して行動的なADHDの人は、

狩りには向いているが、

時間をかけて作物を育てることには向いていないということであり、

現代社会に置き換えれば、

自分に適した職業や場所さえ見つけられれば、

ADHDの特性を強みに変えることも可能だということになる。


なんと素晴らしい発想ではないか。


そう考えると、

例えばデスクワークではマイナスの要素であった

短気や瞬間的な集中力、落ち着きのなさといったADHDの特性も、

出張で常に移動している状態に置けばプラスに転じることができる。


ある意味、

環境を変えることでADHDを自ら軽減し、あるいは治療することもできる。

「適材適所」こそ、ADHDの特効薬なのかもしれない。

そう考えれば正直言って、

ADHDってそれほど悪くないのではないかとも思えてしまう。



もう一つの共生は、

言うまでもなく高齢者とのそれである。

彼らが培った経験と知恵は、

衰えた体力をもってしても貴重な価値があるはずだ。



外国人、障がい者、高齢者との共生を図ることが

これからの日本にとって重要な要素となる。


特に変わった人、個性の強い人、

意見の違う人を認め合う世の中でなければならなくなるだろう。


【補足】

以前も、障がい者に対する冒涜だと言った内容のお叱りをいただいたが、

決してそのような意図はありません。