幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

おしゃべりとスパイ 黒柳徹子さんに阿川佐和子さんインタビュー

2013-11-10 08:44:43 | インポート

阿川佐和子さんが、黒柳徹子さんにインタビューされた中のお話です。


「黒柳さんは、大きくなったら何になりたいと思っていらしたのですか?」<o:p></o:p>

   すると、ここで黒柳さん、フッと息を一つ吐いてから、<o:p></o:p>

  「わたくしね、スパイになりたかったの」<o:p></o:p>

  「どうして?」尋ねると<o:p></o:p>

  「だって、わたくし、外国に行きたかったの。

  外国を飛び回って活躍する職業なら、国際スパイがいいんじゃないかと思って。<o:p></o:p>

   でも誰にも言えなかったの。戦争中ですからね。

  だたね、一人だけ、小学校で好きだった男の子にだけ告白したの。<o:p></o:p>

   あたし、国際スパイになりたいのって」<o:p></o:p>

  「そうした?」<o:p></o:p>

  「そしたらその子、まあ、賢い子でしてね。こう言ったんですよ。

 「お喋りは、スパイにはなれない」って」


話は聞く人によって、話の内容が変わりますね。

何十年経っても、黒柳徹子さんのこころに残っていて、黒柳徹子さんもずっと忘れていたことが、阿川佐和子さんの質問で思い出されたのでしょう。 

話し手が、楽しく話しできるかどうかも、聞き手の力なのかもしれません。

 

 


遠野なぎこさんの本を読んで  「母を捨てて、いいんだね」

2013-11-04 11:39:29 | インポート

「一度も愛してくれなかった母へ一度も愛せなかった男たちへ」 遠野なぎこ著  

1999年、NHK朝の連続テレビ小説『すずらん』でヒロインを演じた。母親からの虐待や、確執から苦しい幼少期を過ごした。自伝本で母とのこと自分のことを告白してから良い方向にむかっているとのことであるが、過食嘔吐や強迫性障害について、今もも精神科に通っている。母親からお前は醜いと常に言われ育ったことから、強い醜形恐怖症に怯えながら成長してきた。愛を多くの男性に求めても、それは一時の安らぎにはなっても、心を満たすものではなかった。<o:p></o:p>

 本より引用;<o:p></o:p>

 死ぬ理由を見失って、苦しんだ。そんなときは電話をかける。携帯電話に登録してある、いくつものいのちの電話に。そこで話を聞いてくれるのは、ボランティアの方たちだ。回線はいつもつながりにくい。私以外に死にたいと思っている人は、日本全国に大勢いるのだと知る。<o:p></o:p>

 電話がつながり、第一声が聞こえてくるのを待たずに私は吐露する。死にたいんです、生きていたくないんです・・・。そして、自分がこれまでどう生きてきたかを、一方的に告白する。医師に話したときと違って説明する必要はない。気持ちを垂れ流す。甘えたかった。「辛かったね」といって欲しかった。「うん、うん」という相づちが心にしみた。<o:p></o:p>

 死ぬのはやめなさいとはいわれない。命を粗末にするなと、説教めいたことをいわれたこともない。でも話しているうちに、台風のように荒れていた気持ちが、次第に凪いでいくのを感じた。<o:p></o:p>

 「今日は死なないでいいよ」<o:p></o:p>

 いつも耳でなく心で、そんな言葉を聞いていた。今夜はもう考えるのをやめにしよう。外が明るくなるころに、やっとそう思える。私は携帯電話を握ったまま眠りにつく。<o:p></o:p>

 そして、数時間後にまた、振り出しに戻る。目覚めた瞬間から、死にたくて気が狂いそうになる。早く自分で自分の命を絶って、この苦しみから逃れたかった。<o:p></o:p>

 番組で自分の過去を話した。非難が多いかと思ったら、温かいメッセージを多くもらった。<o:p></o:p>

 「あなたはぜんぜん悪くない」<o:p></o:p>

 「私、幸せになっていいんだね」 「母を捨てて、いいんだね」<o:p></o:p>

 「生きていくために、自分を変える」 トンネルの向こうに、まだ光は見えない。もう一度、生きなおす。<o:p></o:p>

  

多くの人が悩みを抱えています。その人の行動を第三者が見ると、何で?と思うことがあります。

 私が尊敬する三浦綾子さんのエッセイにありました。

 クリスチャンにとって、日曜日の礼拝はとても大切なこと。これによく遅れる人がいた。何で遅れるのかと心の中でその人を非難していた。ところが大腸の病気になり、さあ出かけようと思うときに限って、トイレに行かないといけない。約束した時間を守れなくなった。当然、日曜日の礼拝もちゃんと準備して、さあでかけようと思うとトイレに行く。自分が日曜日の礼拝に遅れるようになってしまった。自分がなってみて、初めて遅れている人にもきっと何か理由があったのだと思うようになった。これまでクリスチャンとして生きてきたが、人を思う気持ちがまだ十分でないことを、自分の体験から知ることができた。

 

母とのことを、 書かれた本を以前読みました。

佐野洋子著「シズコさん」、中山千夏著「幸子さんと私-ある母娘の症例」

2冊とも母と娘の関係を悩んだ記録です。母とのことを本で吐露することで、ようやく母との距離を保つことができたとのことです。

 

母を捨てる。心の中での母からの影響をから離れる、自由になることができたのだと思います。

禅宗の言葉に「人惑((にんわく)」があります。

これは、自分の考えと思っていることが、実は小さい時に親や周りから、こうしないといけない、お前は**だとか言われてことが、まるで自分の考えのようになり、その考えで自分を苦しめている。つまり、自分が自分を苦しめているということです。自分で自分を苦しめることほど苦しいことはないと言います。常に一緒ですから。

禅宗では、その人惑から自由になりなさいと説いています。


遠野なぎこさんに、これまで苦しんだ分も含めて幸せになって欲しいと思いました。

 

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アンパンマンから生き方を学ぶ  喜ぶ顔を見たい

2013-11-01 00:15:36 | インポート

アンパンマンの作者 やなせたかしさんが10月に亡くなられました。

アンパンマンは最初、大人の評判が悪かったそうです。ところが、子供たちから熱烈な歓迎を受けます。今やアンパンマンは子供たちが大好きです。アンパンマンを見て育った母親が自分の子供にアンパンマンの絵本を買います。

アンパンマンは、自分の顔をちぎって、お腹を空かしている人のアンパンを与えます。そこには、自己犠牲の精神があります。宗教では、富める人は貧しい人に分け与えることが天に徳を積む行為として大切な行為としています。アンパンマンは富める立場になくても、お腹の空いた人に自分を犠牲にして与えます。

アンパンマンのマーチの中には、”何のために生まれて、何のために生きるのか”、”嬉しいんだ生きる喜び”など、まさに生き方が凝縮しています。歌詞の中に、”たとえどんな敵が相手でも”のフレーズがあります。このフレーズを”たとえどんな絶望的な状況でも”と考えると、もっと生きる姿勢を問われているように思います。この歌詞には、やなせさんの生き方が示されているように思います。

糸井重里さんとのインタビュー(http://www.1101.com/yanase_<wbr></wbr>takashi/)の中で、やなせさんは人が喜び顔を見たいとありました。東日本大震災時の時に、やなせさんは体調が十分でなく現地には行けなかったのですが、アンパンマンのポスターなどを送ったそうです。そのポスターを見て喜ぶ子供たちがいたそうです。

自分がしたことで、人が喜ぶ。その喜ぶ顔を見ることで、自分のこころも喜んでいるのだと思います。自分だけの幸せを追求しても、深い幸せを得ることは難しいのかもしれません。周りの人の幸せのために自分が役立ったと思えることが自分の深い幸せを得る時なのだと思います。 やなせさんがアンパンマンに託した、やなせさんの夢はこれからも生き続けます。アンパンマンを愛する多くの子供の、大人のこころの中で。ご冥福をお祈りいたします。


親死ぬ 子死ぬ 孫死ぬ

2013-10-21 20:56:10 | インポート

先日、父が亡くなりました。95歳だったので大往生なのでしょう。父が祖父の亡くなった歳(70歳後半)を越した時に、「身体が弱かったのに、身体の丈夫だった親より長生きできている」とつぶやいたのを思い出しました。ただ、7年前に娘(私の姉)を亡くしているので、辛かったと思います。 

一休禅師(アニメになった一休さん)が裕福な家のおめでたい席によばれました。そこで主人が一休禅師に、何かめでたい言葉を頂戴したいと頼みました。そこで、一休禅師は、「親死ぬ 子死ぬ 孫死ぬ」としたためました。主人はめでたい席に死ぬなど縁起でもないと言いました。一休禅師は、順番に死んでいくことほど幸せなことはないと諭しました。なお、一休禅師は人に何もあげるものがなかったので、その人に合った”よい言葉”をプレゼントしていたとのことです。

 義父が10年ほど前に亡くなった時、葬儀に来てくれた住職が、「人は亡くなって最後に3つの仕事をする」と説法されました。

 1.自ら亡くなることで、人生は有限だということを知らせる。

 2.親戚や関係者などを集める。

 3.説法を聞く機会を得る。

 説法は浄土真宗では行われていますが、真言宗(父の葬儀)では説法はなかったです。この住職とは葬儀後の会食で隣になり、意気投合しました。その住職も5年後に亡くなりました。

 父の葬儀には母方の親族が滋賀から駆けつけてくれました。40年振りのいとこ2人といとこの夫(いとこは5年ほど前に逝去)も来てくれました。従姉(母の妹の娘)の弟は就活が地元で見つからなくて自殺しました。長男なので責任を感じ苦しんだのでしょう。新聞配達をしながら大学を卒業した従弟だったのですが。叔母が「あんちゃん(いとこ)、馬鹿なことしはって」と言った言葉が今も耳に残っています。その叔母も亡くなりました。従姉には子供が3人いると聞きました。ああ、よかったなと思いました。晩年は孫に囲まれていたのだなと。

 いずれは自分の番、いのちが与えられている間はこのいのちを生かしたいと思いました。

釈迦が、「過去も未来もない。あるのは今だけだ」と。過去は今のために、未来は今の結果なのですが、過去を悔い、未来を心配して今の大切な時間を無駄にしないように自分に暗示をかけながら、今できることをしたいと思います。

 

 

 


ワイングラスにワインが半分

2013-10-15 17:28:08 | インポート

はじめまして。
OCNブログ人でブログをはじめました。
このブログでは気持ちを楽にする方法について、書いていきたいと思います。

仏教用語に”唯識”があります。

ワイングラスにワインが半分ある。

半分も残っていると思うと少し幸せな気持ちに。

半分しか残っていないと思うと少し悲しい気持ちに。

気持ちの持ち方で感情も変わってきます。

唯識もこの世の見え方は、考え方で変わってくるとのことです。

難しいのは、どうしたら幸せな、楽な考え方が心の底から思えるかだと思います。