ヒトの遺伝子の数はおよそ2万5000種以上。顔つきや体形、性格などさまざまな情報が記録されていて、その情報の中には「望まれないもの」も含まれている。最新の知見から浮かび上がったのは、うつと遺伝との関係だ──。
世界で初めて発見された「うつ病の遺伝の仕組み」
今年2月、東京慈恵会医科大学が画期的な研究を発表した。それは、世界で初めて発見された「うつ病の遺伝の仕組み」だ。同大学ウイルス学講座の教授らの研究によると、「うつ病の原因は、ヒトヘルペスウイルス6のSITH-1(シスワン)遺伝子であり、うつ病を引き起こしやすいタイプと、うつ病を起こしにくいタイプが存在する」ことが明らかになったという。 ヒトヘルペスウイルスとは、ヒトを宿主とするヘルペスウイルスであり、帯状疱疹や、がんを引き起こすものなど8種類あることが明らかになっている。それぞれ感染経路もさまざまだが、ヒトヘルペスウイルス6は新生児期に主に母親から感染し、その後、生涯を通じて感染が持続する。 遺伝学の始祖であるメンデルが19世紀に発見した遺伝法則は、染色体を媒介として親から子へ情報が伝播するメカニズムだった。一方、慈恵会医科大学の研究が解明したのは、親に持続的に感染している常在微生物(マイクロバイオーム)とその影響が子に伝播されるメカニズムだ。 研究によると、「うつ病患者の67.9%が“うつ病を引き起こしやすいタイプ”のSITH-1遺伝子を持つヒトヘルペスウイルス6に感染しており、そうでないタイプのヒトヘルペスウイルス6に感染している人の約5倍、うつ病になりやすい」とされた。
通常の遺伝的メカニズムとは異なる経路
にわかに注目される「うつと遺伝」のメカニズムだが、気になるのはその確率はどのくらいなのかということ。京都大学大学院教育学研究科教育認知心理学講座准教授の高橋雄介さんが言う。 「ある行動形質がどの程度遺伝するかを推し量る指標として、『遺伝率』という数字があります。これは、私たち人間の何らかの特徴の個人差や個性のうち、どれくらいが遺伝的な要因によって説明できるのかを0%から100%の割合で示すものです。 2015年に、オランダの研究グループが、過去50年間にわたる双生児研究で示された人間のすべての行動形質の遺伝率に関するメタ分析の結果を報告しました。その論文によると、うつの遺伝率は35~40%と報告されています」 名古屋大学大学院教育発達科学研究科准教授の山形伸二さんも続ける。 「男性より女性の方が遺伝率が高く、また、繰り返し生じるうつ病でより遺伝率が高いことが報告されています。ただ、そのメカニズムまでは解明されていません」 35~40%という数字は、果たして高いのだろうか。 「身長や体重、不安、対人的な態度など、ありとあらゆる遺伝率のメタ分析をした結果、その平均は49%という数字になりました。人間の行動特性のばらつきは、遺伝と環境によって半分ずつ説明されるという言説はあながち間違いではないということでしょう。 うつの遺伝率は35%前後ですから、平均よりはやや低いことになります。血圧や片頭痛、注意機能の遺伝率と同程度であり、身長や体重、統合失調症などの遺伝率はもっと大きな割合です」(高橋さん・以下同) 前述した慈恵医大の研究は、こうした遺伝率の研究とはやや異なると高橋さんは指摘する。 「メンデル流の量的遺伝学は、父親と母親から50%ずつ遺伝情報を引き継ぐという考え方に立ちます。確率的に若干の偏りは生じ得ますが、両親どちらからもほぼ半分ずつ情報が引き継がれるというのは間違いありません。 一方、常在微生物は、主に『母子伝播』であるといわれています。これは、出産過程や生後早期の母乳を通じて母親が主に影響を与えるためです。したがって、慈恵医大の研究はこれまでの遺伝的メカニズムとは異なる経路を発見したという主張なのだろうと考えられます」 前述の通り、ヒトヘルペスウイルス6は新生児期に主に母親から感染し、その後一生涯ウイルス感染が持続するとされるが、うつ病を起こしやすいSITH-1遺伝子もヒトヘルペスウイルス6とともに子に引き継がれ遺伝に関係することがわかったという。この発見により、原則的にうつ病の遺伝は、新生児期に「うつ病を起こしにくい」ヒトヘルペスウイルス6をワクチンとして接種することで予防できる可能性があることも示唆された。
環境などの外的な要因も大きい
両親が高身長であっても、子供の身長が必ずしも高くはないように、遺伝要素があるからといってそれが必ず現れるとは限らない。 「双生児研究では約35%という遺伝率が推定されていますが、実際にうつ傾向にかかわるSNPs(DNA配列中のひとつの塩基が個人間で異なる部分)を集めても9%弱です。35%と9%というギャップは、遺伝学ではまだ解明されていません。 いずれにしても、うつの発症には遺伝の影響に加えて環境などの外的な要因も大きく、遺伝的な要因だけで発症が確定するわけではない。両親のどちらか、あるいは両方がうつ病を経験されている場合、子供の発症リスクは高まりますが、あたたかな養育環境や正しい生活習慣、ストレスの管理などの対策をとることで充分に予防できるかもしれません」 山形さんは、「うつに関連する遺伝子」は多数あり、リスクを高めるタイプを持っている数に個人差があると続ける。 「うつ病の遺伝には、少なくとも数百の遺伝的な差異がかかわっていると考えられます。 それぞれの遺伝的差異はごくわずかな影響しか与えませんが、それらが積み重なり、リスクを高める遺伝子型を多く持っていれば少ないストレスでもうつ病になりやすく、低リスクの遺伝子を多く持っていればストレスが多くても、うつ病になりにくくなります」(山形さん・以下同) メンタル面においては、 うつだけでなくさまざまな感情についても遺伝の影響がある。 「例えば、“自分の人生にどれくらい満足しているか”といった幸福感にも、40%の遺伝率が見られることが報告されています。また、自分をポジティブに捉え、価値を感じる程度である自尊心にも同程度の遺伝率が報告されています。 一方、躁うつ病へのなりやすさでは遺伝率が60%程度、統合失調症へのなりやすさでは80%程度と報告されており、うつ病へのなりやすさに比べてかなり遺伝の影響が大きいことがわかっています」 高橋さんも言い添える。 「“なんとなく漠然と予期的な不安がある”という全般的な不安傾向や、“今日鍵を閉めてきたかわからなくて心配で心配でしょうがない”“手を何度も洗わないと汚い気がする”といった強迫的不安傾向についても遺伝の影響はあります。 そもそも体力も収入も、就業状態も、ありとあらゆる人間の行動形質には部分的に遺伝の影響が入り込んでいます。どんなに小さくても遺伝の影響がゼロということはありません」
基本的な生活習慣が体も心も整える
自分自身にうつの遺伝子があるかどうかを検査で調べることは「ゲノムを網羅的に調べてもごくわずかしかうつ病リスクを予測できないため、現段階では実用的ではない」(山形さん)というが、両親や近親者にうつ病の経験がある場合は、予防する意識を持ってもいいだろう。 「私たちのデータでは、小学校低学年以下の子供のうつ傾向には、遺伝的な影響は確認できませんでした。この時期のうつの発症にも予防にも、環境的な要因が大きく寄与するものと考えられます。家族や友人との良好な人間関係が心理的な支えになり、ストレスを緩和してくれる。幼少期のうちに信頼できる人間関係を構築しておくことは、その後のメンタルヘルスの安定にも大きく影響します。 確たるエビデンスとは言えませんが、一般論として規則的な睡眠、運動、栄養バランスのいい食事といった基本的な生活習慣は身体的な健康だけではなく、心理社会的な健康にもよい影響があるでしょう。“めんどうくさいからご飯は食べなくていい”とか、深酒やスマホの見すぎなどは当然ながら推奨されません」(高橋さん・以下同) 年を重ねるにつれて、不安やうつ症状が見られたらどのようにすればいいか。 「いざとなれば、心理カウンセリングといったプロフェッショナルのサポートを臆することなく利用してほしい。家族の誰かがメンタル不安に陥ると周囲にも心理的影響を与え、負の連鎖となってしまうこともある。専門家のアドバイスを受けて、サポートしてもらう意義は大きいでしょう」 山形さんは、「うつの遺伝」を恐れすぎないことが大切だと説く。 「遺伝率は、“親がうつ病である場合に子がうつ病になる確率”ではないことに注意が必要です。うつ病のように遺伝率が40%程度である場合、片方の親と子のうつ病へのなりやすさの関連は実際にはかなり弱いものです。 また、肥満(BMI)の遺伝率は75%程度ですが、それでも食べすぎれば太るし、節制すればやせます。うつ病になるかどうかは、環境や自分の行動に左右される程度が大きいといえます」 生きものである以上、“不都合な遺伝”は必ず存在する。しかし、それは自分の心持ちと習慣、環境次第でプラスに変えられるのだ。 ※女性セブン2024年12月12日号
感想;
うつ病になりやすい遺伝子があってもうつ病にならない方も多いです。
またその遺伝子がなくてもうつ病になる方も多いです。
環境(生活習慣)や考え方が大きいと思います。
それと、そういう遺伝子が生き残っていることは、人類の多様性で、何か必要なのではないでしょうか。