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「誰かを罰するのは当然か」問う『失敗の科学』 ベテラン機長が容疑者になった過去の事故が伝えること ”最善を尽くして罰せら、自殺した機長”

2024-01-24 16:25:50 | 社会

東京国際空港(羽田空港)で発生したJAL A350型機と海上保安庁DH8C型機の衝突事故。事故の原因について数々の臆測が飛び交う中、SNSではマシュー・サイド著『失敗の科学』の内容について言及する発言が多く見られます。改めて同書から一部を抜粋、再編集し、事故後の対応や「失敗から学ぶ」姿勢が将来の事故を防ぐ手立てになることなどについて4回にわたって考えています。今回は4回目です。 

1回目:羽田事故のあと話題『失敗の科学』が伝えること
2回目:「航空業界の失敗から学ぶ姿勢が導いた「奇跡」 
3回目:「事故の責任は誰にある?」非難が無意味な理由  
 航空業界では通常ミスを罰しない。こうした姿勢から、彼らは「公正な文化」を実践するリーダーだと考えられている。  
 しかし、イギリスで起きた「ノベンバー・オスカー事件」と呼ばれるニアミス事故に関して言えば、航空業界は関係者を非難した。そして歴史上初めてイギリス人パイロットが裁判にかけられた。  この事件は、非難がもたらすリスクを理解している航空業界でさえ、誘惑に負けてしまうことを物語っている。

■イギリスの航空史上最悪の大惨事を「回避」  
 ウィリアム・グレン・スチュアートは、ブリティッシュ・エアウェイズのベテランパイロットの1人だ。  事故当日の1989年11月21日、彼は機長として、バーレーンからロンドン・ヒースロー空港まで通常ルートを飛行していた。同乗者は航空機関士のブライアン・レヴァーシャと、29歳の副操縦士ティモシー・ラフィンガム。  事件の概要は次の通りだ。  ボーイング747機(コードネーム:ノベンバー・オスカー)はバーレーンを飛び立ち、やがて欧州空域に入った。ちょうどその頃、クルーはヒースロー空港が濃霧に覆われ約1m先までしか目視できない状態だと連絡を受けた。機長は「計器着陸」を行わなければならなかった。
 視界不良の状況では、安全に滑走路に入るためさまざまな計器が頼りとなる。オートパイロットやその他の制御システムを駆使するこの着陸方法は決して容易ではないが、機長の能力を持ってすれば不可能ではなかった。  ただその複雑さゆえに、守らなければならない安全規定がいくつかある。機体の操縦に神経を使う中で、不要なリスクを冒さずに済むように定められたものだ。この事故に関しては、その規定を故意に無視したという嫌疑が機長にかけられた。

・・・

 機長にとってはパイロットとしてのキャリアの中で最も厳しい経験だったが、彼は心からベストを尽くしたと信じていた。着陸後、彼は一瞬祈るかのように目を閉じ、深い安堵の溜息を漏らした。  
 さて、この事故は本当に機長の過失だったのだろうか?  
 彼の行動は非難に値するものだったのか?  
 それとも、誰も予期し得ない困難の連続に対応していただけだったのか? 
 前述のシンプルなレポートでは、事故は機長の責任に見えた。なにしろ、彼は規定を超えて機体を降下させたのだから。  しかし詳細なバージョンを注意して振り返ってみると、新たな全体像が現れる。次から次へと予測不可能な問題が起こる中、機長が直面した厳しい現実を感じ取ることができる。  すると突然、彼は困難な状況下でベストを尽くしたパイロットに見えてくるのだ。完璧ではなかったかもしれないが、犯罪に値する行動はなかった。
 この事故について、私は大勢のパイロットや航空調査員、さらに監督機関の関係者と話をした。彼らの見方はそれぞれ異なっていたが、機長を非難するのは間違いだという点では、皆意見が一致していた。 

■「誰かが罰せられるべき」の非難は必要か  
 ブリティッシュ・エアウェイズが彼に責任を負わせたのも、英国運輸省民間航空局の弁護士が彼を告発したのも間違いだ。  
 もしパイロットがこんな風に不当に非難されるとなれば、誰も自分のミスやニアミスを報告しなくなり、これまで航空業界にすばらしい安全記録をもたらす源となっていた貴重な情報は表に出てこなくなる。
 だからこそ絶対に、単なる営利的・政治的な都合で非難に走ってはいけない。たとえ非難が必要な場合があったとしても、必ず現場の人間が直面する複雑な状況を熟知した専門家によって、適切な調査を行うのが先決だ。  事故の裁判で陪審団は、事実を鑑み最善の判断を下す努力をした。しかし、濃霧の中を時速約200マイル(約320キロメートル)で航行していた機長が下したとっさの判断について、法廷で落ち着いた評決を下すのは難しい。
 「悲劇が起こった(あるいは危うく起こりそうになった)のだから、誰かが罰せられるべきだ」と非難合戦を始めるのは、驚くほど簡単だ。この事故はその容易さを我々に教えてくれる。  
 しかし、ミスに対して前向きな態度をとることで定評がある航空業界でさえ、非難の衝動と完全に無縁ではなかった。  
 これはつまり、我々が非難の衝動と決別するためには、相当な努力と覚悟が必要となることを意味している(有罪となった機長は深く傷つき、事故から3年後、自ら命を断っている)。

感想

 いろいろなトラブルの中、機長は最善を尽くしたのです。
最善を尽くして罰せられたら、誰も本当のことを言わなくなります。
 イギリスにおいても、不適切な判断がありました。
2008年1月17日午後0時34分の事故

 2024年になっても、過去の不適切な判断が日本で行われることはないと信じたい。

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