英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

『平清盛』 第40話「はかなき歌」

2012-10-14 17:20:06 | ドラマ・映画
清盛と後白河院のかけ橋
「清盛と後白河院、二人の権力者の均衡は滋子によってかろうじて保たれていたのです」


 まず、≪えっ、そうだったの?≫が2題。
 冒頭のナレーション、確かに「滋子の心は滋子のモノ」と言い切る自由奔放ぶり。後白河院に惚れ、後白河院の心を射止め、平家と後白河院の間に立ち、権力を振るい、帝の母にまでなった。
 しかし、清盛と後白河院をつなぐ架け橋を意識していたようには見えなかった。
 それが今週、いきなり、慈愛に満ちた女性となっていた。


 もうひとつの≪えっ?≫は、
清盛の思い描く国の姿、
①武士が世の頂に立つ
②北は蝦夷地から南は鎮西まで、人や物が連なり豊かに暮らす
 もともとはこの二つであったと思われるが、先週は完全に①のみであった。
 兎丸の死で改心?したようだが、(これも先週ではハッキリとした描写はなかった)、今週の清盛はそんな心の惑いぶりはなかったかのよう。相変わらず、回ごとにころころ変わる登場人物である。


 で、今週の清盛はひとつ変なことをする

「宮中行事にうつつを抜かしている暇はござらん」
信西を引き合いに出し宋銭の流通に協力してもらっていた西光の面子を息子たちの前で潰すとは……
 ……慢心しつつあるとは言え、自身の目指す国造りのためには、わざわざ西光といさかいを起こす必要はない。こんな失策まがいの事をいったい何故?
 と思っていたら、今週の主題

滋子の太陽ぶり(慈愛ぶり)のためでした。


「いつの間にか、あやつはわしの先を行ってしもうておるのか」
「よいではござりませぬか、入道殿が何を思うていようと。法皇様は法皇様の思い描く世を目指せばよいのです。ご案じ召されますな。滋子がおります。王家と平家を取り持つは我が務めにござります」

 ええ、そんな思いがあったの?わざわざはっきり口にするのが不自然。
 そんなことを言ったら、後白河院がへそを曲げてしまうぞ!



「今謡など器に積る塵の如きもの、吹けば飛ぶようなものじゃ。清盛の泊のように世に役立つようなものではない。何より歌声は後の世に残すことは出来ぬ。ただそれ故にこそ、わしは今謡が好きじゃ。誰にも顧みられることなくとも、いつもそこにあり、そこにいるものを慰めてくれる、楽しませてくれる。わしは今謡が好きじゃ」

 あなたもそんな殊勝なことを言って、気でも違ったのでは?
 でも、なかなか良いセリフだなあ


「それが法皇様の目指す世にござりますね」
「滋子」
「法皇様、滋子の心は滋子のモノ。そして滋子の心は、法皇様のおそばに。法皇様の世が絶えぬことが、滋子の望みでござります」
 手を取り、寄り添うふたり。

 良い雰囲気、かなり羨ましい……


平家の慢心を快く思わない西光と成親に宴を振る舞い、平家との仲を取り持つ
後白河院の五十歳の宴で、清盛と後白河院に酌をする

「わしの目指す世にそなたは欠かせず、そなたの目指す世にわしは欠かせぬ。これより先も、共に登ろうぞ、誰も観たこともない高みへ」
と後白河院に言わしめた。



 と、滋子の活躍によりすべてがうまくいくと思えた矢先、滋子の突然死!

 良い事を言ったり、良い行いをしたら死亡するのはドラマの常だが、死因は何?お酒の飲み過ぎ?

 それにしても、滋子の架け橋ぶりがこれまで全く感じられなかったのに、今回の持ち上げぶり……、先週の有耶無耶ぶりと言い、先が詰まっているため、寸詰まり?



【ストーリー】番組サイトより
 1174年、大輪田泊はついに完成し、清盛(松山ケンイチ)が長年夢みていた宋との貿易が始められた。一門のさらなる発展をめざす清盛は、後白河法皇(松田翔太)と建春門院滋子(成海璃子)を嚴島神社に招き、2人に変わらぬ忠誠を誓う。嚴島神社のように横へ横へと広がることが清盛の目指す世の姿だと聞かされ、いまだ理想の姿を描けない後白河法皇は清盛に先を越されたのではないかと焦る。
 伊豆では、かつて源義朝につかえた上総常澄(きたろう)が大番役の務めの疲れか、急死。北条時政(遠藤憲一)の館に集まった東国の武士たちは、諸悪の根源は平家にあると不満を募らせるが、源頼朝(岡田将生)は力なくその場を立ち去る。政子(杏)は頼朝を追いかけ、このままでいいのかと頼朝に問い詰めるが、頼朝はいらだちながらも相手にしない。なおも追いすがる政子は思わず源氏重代の太刀を転がし、直そうとする。そのとき頼朝は太刀にふれるなと叫んだ。頼朝の秘めた武士の魂が目覚め始めていた。
 福原で宋銭を用いた取り引きを目の当たりにして、かつての信西の弟子、後白河法皇の側近・西光(加藤虎ノ介)も珍しく協力的になり、その普及に努めていた。ある日、西光は信西がかつて復興させた相撲節会を行うため、清盛に協力を求める。しかし、宋との取り引きにまい進する清盛は、宮中行事などしている暇はないと一蹴。怒りを募らせた西光は日頃そりが合わない義弟の成親(吉沢悠)とも、「平家憎し」で結託するのだった。
 そんな平家の敵対勢力をとりなすのは、清盛の義妹でもある滋子だった。彼女は西光と成親の自尊心をあおってたくみに平家への協力をあおいだ。また滋子は後白河法皇の心のよりどころでもあった。今様の歌集「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)」の編さんに取り組んでいた後白河法皇は、世に役立つものではないが心を慰めてくれる、そんな歌を残したいと滋子に漏らす。滋子はそれこそが後白河法皇の目指す世であり、その世がつづくことが自分の望みだと勇気づけた。
1176年春、後白河法皇の五十歳の宴が盛大に催され、平家一門も祝いの楽や舞などを献上した。後白河法皇は清盛に向かい、お互いが目指す世のためにお互いが必要であることを改めて告げた。平家が押しも押されもせぬ公卿となり、それが後白河法皇の世を支えていることを明確に示した宴となった。その蜜月関係を支えていたのが滋子だった。
 しかし同年7月、滋子は病のため35歳の若さで亡くなった。その死を重く受け止める平家一門。清盛は滋子の死が朝廷のあり方を大きく変えることを予想しつつも、自らの道は変えないと決意を盛国(上川隆也)に告げた。一方、後白河法皇は激しい喪失感にさいなまれて今様を歌い続けた。
 建春門院滋子の死という賽の目が、清盛と後白河法皇の双六遊びの行方を大きく変えることになる。
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将棋界(順位戦)の歪み その1「菅井悲劇をもたらした棋界の現状」

2012-10-14 14:40:21 | 将棋
 『明日対局』(渡辺明著)を少しずつ読んでいるのですが、ようやく2006年度まで来ました。この年の竜王戦は佐藤康光棋聖の挑戦を受け4勝3敗の激闘の末、2度目の防衛(3連覇)を果たしています。ちょうど現在は第2局に敗れ2連敗とややピンチの様相。確か、第3局は終盤、起死回生の妙手を放ち勝利したように記憶しています。(将棋は理論的には逆転の妙手はありえず、実際は渡辺竜王が優勢で決め手を放ったというのが正しいと思いますが、観戦者やおそらく対局者も指される(指す)まで気づいていないので、「逆転の妙手」に見えるのです)

 それはともかく、この年は名人戦問題が浮上し、毎日新聞、朝日新聞の共催という形で落着しましたが、下手をすると将棋界にとって大きなダメージを受ける危険性がありました。
 当の渡辺竜王も春ぐらいから、そのことが心に重くのしかかっていたようでした。ブログでもそういった心を漏らしたり、棋士としての見解を述べたり、連盟の事情や対応などをぎりぎりのところまでファンに説明していました。タイトル保持者、しかも「竜王」という筆頭の地位にいるので、その責任は重く、軽々しく意見を言えない立場でしたが、よくぞ書いてくれたと思いました。
 名人戦問題が決着したころの日記「将棋界初の共催へ。」(2006年9月19日)に、その安度と感謝と決意の気持ちを述べています。

「共催決定」の報を聞いて安心したと同時に「日本の伝統文化である将棋の振興に寄与するため」これからも将棋界を支援するいう決断をされた毎日新聞社に感謝の気持ちで一杯になりました。僕は今回の件では毎日支持でしたが名人戦にこれだけの価値を見出して頂いた朝日新聞社にも感謝しています。

将棋界はスポンサー、見てくれるファンの方々の支えなしでは成り立ちません。その二つの大事な柱のうちの一つが折れようかという状況だったのでこの数ヶ月間は本当に心配が絶えませんでした。
棋戦とスポンサーが同時に減るという最悪の状況は免れたわけですが、今回の騒動で二本の柱に傷を付けてしまったことに変わりはないと思います。

この傷を治すために棋士がするべき事は色々あるとは思いますが一番は「良い将棋を見せる」ということだと思います。平凡ですがこれがスポンサー、ファンの方々に一番喜んで頂けることではないでしょうか。

失ったものを取り戻すべく頑張りますので、これからも将棋界に変わらぬご支援の程を宜しくお願い致します。





 将棋連盟の内情は分からないが、この時の連盟の取った行為はかなり義に反するものだと考えられ、共催で決着したのは幸運だった。しかし、この件は、将棋界(連盟ではない)に思いの深いファンの心に影がさす出来事だった。
 さらに翌年、女流棋士独立問題(分裂騒動)が起こり、連盟には相当嫌気を感じている。

 しかし、今回記事を書き始めたのは、この両問題についてではなく、上述したブログ記事よりひと月以上前の竜王のブログ記事の一文です。
 2006年8月3日記事「名人戦問題を振り返る1。」より。
(参考:竜王ブログ 8月1日記事「臨時総会」

「私だって一棋士としてはこんなことしたくないんです。ただ経営者としてはこれしかないんです。毎日さんにだって申し訳ないし、ファンの方の信用も失ってしまうかもしれません。本当に苦渋の決断なんです」印象に残った西村先生の言葉です

 「気持はよく分かるが、経営者としてはこれしかないんです」
 この言葉に、大きな引っかかりを感じる。企業の経営努力としては、売上(収益)の拡大、経費節減、人員削減などいろいろ考えられる(すいません。こういう理論は、よく分かりません)。まず、頭に浮かぶのは人員削減(リストラ)。どの企業もこれを真っ先にしているのではなく、いろいろな方策を講じているが、世間にニュースとして知らされるのは、具体的なリストラ策なので、真っ先に頭に浮かんでしまうのかもしれない。
 将棋連盟がリストラ策を取らなかったのは、棋士の気質や連盟の体質を考えると、「連盟らしい」と言える。実際は、連盟職員などについては実施したかもしれないが、棋士については行っていないはず。まあ、翌年、女流棋士に対しては行おうとしたが。
 いえ、私は何が何でもリストラをしろとは言っていない。しかし、「これしかない」とか「毎日さんに申し訳ない」「苦渋の決断」と言うのなら、しかも、義に反した行為をするのなら、リストラをするべきだったと思う。
 もちろん、棋士すべてに価値があるのなら、リストラはすべきでない。しかし、そうではないことは、棋士が一番分かっているはずだ。いや、ある意味では、勝ち星を献上してくれるありがたい存在とも言えるが。
 そういう皮肉はさておき、「弱い者は去る」という勝負の大原則が有耶無耶にされている将棋界では、それによる歪みが何十年も前から生じている。特に、順位戦において。
 そして、昨年度もその顕著な症例が順位戦C級2組において起こってしまった。

 菅井五段は3戦目に船江四段に敗れたものの、残りの9局に勝ち9勝1敗の好成績だった。さらに、順位も6位なので、通常なら3位までに入りC級1組に昇級している成績だったが、阿部健治郎五段、中村太地五段、船江四段の3名が全勝だったので4位の次点に終わってしまった。(全勝なら3位以内でなくても無条件で昇級できるらしい)
 まあ、これは順位戦の厳しさ、運の無さと言ってしまえる出来事であろう。しかし、8戦目が終わった時点、3人が8勝0敗で、菅井五段が7勝1敗となった時点で、なんだかこのままいきそうと言う雰囲気があった。阿部五段は菅井五段より順位が1つ上なので、1敗しても菅井五段より上位になる。
 それは残りの対局相手の顔触れを見ると、阿部五段が澤田四段と小倉七段、中村五段が岡崎六段と伊奈六段、船江四段が遠山五段と勝又六段である。もちろん、今名前が挙がった棋士がすべて楽な相手というわけではない。特に遠山五段、澤田四段は昨期8勝2敗の好成績で今期は3位4位で昇級候補だった。ただ、今期は8戦目終了時点で遠山五段は3勝5敗と不調、澤田四段は4連勝後4連敗と調子を崩していた。

 結局、先述したとおり四者とも星を落とさず終了。1敗してから上位が星を落とすのを待ち、勝ち続けた菅井五段は報われず勝負の厳しさを味わった。で、くどくなるが、これが本当に、勝負の厳しさ、運の悪さで済まされる問題なのだろうか?と思ったわけである。

 この四者の対局相手を調べてみると、阿部五段が10人中3人が3勝7敗以下棋士、中村五段はなんと7人が3勝以下、船江四段は3勝以下は2人、菅井五段は3勝以下が3人。また、対局相手の総勝ち数は、阿部五段が43勝、中村五段が34勝、船江四段が50勝、菅井五段は52勝とかなり難敵度に差がある。特に中村五段は対戦相手に恵まれていたと言える。(もちろん、棋聖に挑戦した氏であるので、くじ運だけで昇級したわけではないのは自明)
 くじの悪戯と言ってしまえばいいのかもしれないが、こういう状況は他の年度や他のクラスでも頻繁に起こっているように思える。

 頻繁に起こる理由(……裏を返せば、そういう状況を防ぐ方法)は二つ考えられる。
①順位戦のシステム(改革)
 そもそも、40人を超える人数で、上位3名をたった10局で決めることが無理。
 総当たりが理想だが、日程や記録係、対局場、対局料などいろいろ不都合が生じそう。せめて20局、いや、15局に増やしてはどうだろうか?
 それが無理なら、最初の5~6局で昇級争い組(5~6人)、降級争い組(6~10人)、残留組に分けてしまってはどうか?
 B級2組も24人で上位2名、C級1組も34人で上位2名を決めるのに無理がある。C級1組は昇級枠が2名なので、C級2組より難しい状況である。

 さて、もう一つの問題点であるが、こちらの方が言いにくい。
②現行の引退基準の緩やかさ
 将棋連盟のサイトの「今後1週間の予定」のページで予選の対戦カードを見ると、その勝敗結果が見えてしまうカードが多くある。本戦トーナメントやリーグ戦、順位戦の上位者以外だと、若手や中堅実力者対それ以外の中堅・ベテラン棋士のカードが多く、勝敗を予想するとほぼ的中してしまう。そんなカードがなんと多いことか。

 そう、この記事の本題は、ここから。つまり、「弱い者は去れ」という勝負の掟が適応されていない緩やかな将棋界の現状とその是正案(引退基準)を述べたいが、今日はここまで。

 相変わらず「前置き」が長い。続きます。
コメント (4)
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