生き急ぐ清盛、修羅の道を行くのか?
……………………………有耶無耶にしてしまった清盛の信念
清盛と兎丸の決別
・禿による恐怖政治について意見が対立
・大輪田泊の工事を急かす清盛と、民や工夫の身を思う兎丸、二人の間に決定的な亀裂が入る
・盛国の忠告も耳を貸さない清盛
・桃李の説得に揺れる心の兎丸
有耶無耶(うやむや)になった清盛の信念
清盛「わしの目指す国の形は、既に若き日の兎丸が思い描いておったもの。その国の形が出来た時、すべては報われよう」
清盛「天下に示すのじゃ。この国の頂に立つのは、この平清盛であることを」
清盛「長年我らを見下してきた王家や朝廷を見返す絶好の機会。瑣末なことでこの機会を逃すわけにはゆかん」
兎丸「悪をひっくり返そうと思ってお前についてきた。お前のやってることは悪や。悪と悪がひっくり返っても、また悪がてっぺんに登るだけや」
兎丸「お前の国造りは、盗賊がモノ盗むんとおんなじや」
清盛「分かるまい、お前にも兎丸にも誰にも…」
これら、特に清盛の言葉から察すると、清盛の目指す国造りが「生き生きとした豊かな国を作る」から「平家がのし上がること」に変質してしまったようだ。
よく分からないのは、「分かるまい、お前にも兎丸にも誰にも…」という清盛の言葉。
何が分からないのか?清盛の目指す国造りが何なのか?それとも、それを目指すために非常に徹している清盛の覚悟なのか?
さらによく分からないのは、兎丸が亡くなった後の
「それでも進みますか、この修羅の道を。殿のお心に中にだけある国に向かって進み続ける覚悟が、お有りにございまするか?……………………………ならば、盛国も共に、命を賭して殿に食らいつき、この修羅の道を共に参ります」という盛国の言葉だ。
修羅の道とは、清盛の描く国造りのために、非道なことに手に染めることなのだろうか。それとも、目指す国造りが「豊かな国」ではなく「この国の頂点に立つこと」になってしまったことなのか?
結局、二人が決別し、二人が再び対決することなく、禿の暴走によって兎丸が命を落としてしまうことで、清盛の信念がどういうものだったかを有耶無耶にしてしまった。
清盛が、工事を焦ったために、事故が起こり、兎丸が工夫を庇って命を落としてしまったとかいうのなら、兎丸の死の原因を清盛が背負うことになるが、禿の暴走で兎丸が命を落としたのでは、あまりにも間接的である。せめて、禿に指示を出していたのが清盛自身であったならと思うが、「禿の暴走」で済ませてしまうのは、あまりにもきれいごと過ぎる。
挙句の果てに、
「兎丸の志こそが、新しき泊の礎じゃ」と言って、人柱の代わりに経文を書いた石を沈めると詭弁を使い、さらに、清盛と兎丸との回想シーンを流し、
若き日の兎丸の「生き生きと豊かなよい国を作る、その手伝いならしたっても良い(しても良い)」の言葉を思い出し、綺麗にまとめてしまった。
最低の捌き方であった。
あまりの出来だったので、他の事に言及する気にならないが、あとで振り返る場合もあると思うので、少しだけ。
弁慶と義経(遮那王)の出会い
・運命の出会い(再会)であったが、刀狩り(千人斬り)より義経(牛若)を探すのが第一であろう
・急いでいるのなら、逃げればよいのでは?
・弁慶と義経の間に、何のために禿が乱入?……暗殺集団と化した禿の暴走振りを表現したのだろうか
・二人の会話は、漫才ぽかった……賛否両論はあると思うが、私は好きである
西行、久々の登場
驕れる平家に、行く末に陰を感じる
★トラックバックする際、他の方のブログの記事を読んで、なるほどと思ったこと
①時忠の禿を容認したことがしっぺ返しとなって、兎丸を失ってしまったこと
②よいことをしたという思いの表情で庭陰に禿の顔が哀れ
③禿を収束させるために兎丸を利用した脚本
どれも納得でき、うまいなあと思える脚本だ。
しかし、そういった上手さでその場限りの面白さに走り、本筋を蔑ろにしているのが、残念でもあり、腹立たしささえ感じてしまう今回の大河である。
【ストーリー】番組サイトより
京では、平家の密偵・禿(かむろ)の振る舞いに、人々は恐れをなしていた。
五条大橋で禿退治をしていた弁慶(青木崇高)は、遮那王(のちの義経:神木隆之介)と運命的な出会いを果たす。
そのころ、福原では大輪田泊の工事が大詰めを迎えていた。清盛(松山ケンイチ)は宋と正式な国交を結ぼうとするが、朝廷は猛反対。後白河法皇(松田翔太)だけが理解を示す。宋からの手紙で外交使節が三か月後に来日することを知り、清盛は工事を急ぐように命じる。だが事故で多くのけが人が出ると、兎丸(加藤浩次)は志を忘れ、自らの利を追求しているだけだと清盛を責める。清盛と決裂をし、一人で酒を飲む兎丸の前に、時忠(森田剛)が放った禿が現れる。
……………………………有耶無耶にしてしまった清盛の信念
清盛と兎丸の決別
・禿による恐怖政治について意見が対立
・大輪田泊の工事を急かす清盛と、民や工夫の身を思う兎丸、二人の間に決定的な亀裂が入る
・盛国の忠告も耳を貸さない清盛
・桃李の説得に揺れる心の兎丸
有耶無耶(うやむや)になった清盛の信念
清盛「わしの目指す国の形は、既に若き日の兎丸が思い描いておったもの。その国の形が出来た時、すべては報われよう」
清盛「天下に示すのじゃ。この国の頂に立つのは、この平清盛であることを」
清盛「長年我らを見下してきた王家や朝廷を見返す絶好の機会。瑣末なことでこの機会を逃すわけにはゆかん」
兎丸「悪をひっくり返そうと思ってお前についてきた。お前のやってることは悪や。悪と悪がひっくり返っても、また悪がてっぺんに登るだけや」
兎丸「お前の国造りは、盗賊がモノ盗むんとおんなじや」
清盛「分かるまい、お前にも兎丸にも誰にも…」
これら、特に清盛の言葉から察すると、清盛の目指す国造りが「生き生きとした豊かな国を作る」から「平家がのし上がること」に変質してしまったようだ。
よく分からないのは、「分かるまい、お前にも兎丸にも誰にも…」という清盛の言葉。
何が分からないのか?清盛の目指す国造りが何なのか?それとも、それを目指すために非常に徹している清盛の覚悟なのか?
さらによく分からないのは、兎丸が亡くなった後の
「それでも進みますか、この修羅の道を。殿のお心に中にだけある国に向かって進み続ける覚悟が、お有りにございまするか?……………………………ならば、盛国も共に、命を賭して殿に食らいつき、この修羅の道を共に参ります」という盛国の言葉だ。
修羅の道とは、清盛の描く国造りのために、非道なことに手に染めることなのだろうか。それとも、目指す国造りが「豊かな国」ではなく「この国の頂点に立つこと」になってしまったことなのか?
結局、二人が決別し、二人が再び対決することなく、禿の暴走によって兎丸が命を落としてしまうことで、清盛の信念がどういうものだったかを有耶無耶にしてしまった。
清盛が、工事を焦ったために、事故が起こり、兎丸が工夫を庇って命を落としてしまったとかいうのなら、兎丸の死の原因を清盛が背負うことになるが、禿の暴走で兎丸が命を落としたのでは、あまりにも間接的である。せめて、禿に指示を出していたのが清盛自身であったならと思うが、「禿の暴走」で済ませてしまうのは、あまりにもきれいごと過ぎる。
挙句の果てに、
「兎丸の志こそが、新しき泊の礎じゃ」と言って、人柱の代わりに経文を書いた石を沈めると詭弁を使い、さらに、清盛と兎丸との回想シーンを流し、
若き日の兎丸の「生き生きと豊かなよい国を作る、その手伝いならしたっても良い(しても良い)」の言葉を思い出し、綺麗にまとめてしまった。
最低の捌き方であった。
あまりの出来だったので、他の事に言及する気にならないが、あとで振り返る場合もあると思うので、少しだけ。
弁慶と義経(遮那王)の出会い
・運命の出会い(再会)であったが、刀狩り(千人斬り)より義経(牛若)を探すのが第一であろう
・急いでいるのなら、逃げればよいのでは?
・弁慶と義経の間に、何のために禿が乱入?……暗殺集団と化した禿の暴走振りを表現したのだろうか
・二人の会話は、漫才ぽかった……賛否両論はあると思うが、私は好きである
西行、久々の登場
驕れる平家に、行く末に陰を感じる
★トラックバックする際、他の方のブログの記事を読んで、なるほどと思ったこと
①時忠の禿を容認したことがしっぺ返しとなって、兎丸を失ってしまったこと
②よいことをしたという思いの表情で庭陰に禿の顔が哀れ
③禿を収束させるために兎丸を利用した脚本
どれも納得でき、うまいなあと思える脚本だ。
しかし、そういった上手さでその場限りの面白さに走り、本筋を蔑ろにしているのが、残念でもあり、腹立たしささえ感じてしまう今回の大河である。
【ストーリー】番組サイトより
京では、平家の密偵・禿(かむろ)の振る舞いに、人々は恐れをなしていた。
五条大橋で禿退治をしていた弁慶(青木崇高)は、遮那王(のちの義経:神木隆之介)と運命的な出会いを果たす。
そのころ、福原では大輪田泊の工事が大詰めを迎えていた。清盛(松山ケンイチ)は宋と正式な国交を結ぼうとするが、朝廷は猛反対。後白河法皇(松田翔太)だけが理解を示す。宋からの手紙で外交使節が三か月後に来日することを知り、清盛は工事を急ぐように命じる。だが事故で多くのけが人が出ると、兎丸(加藤浩次)は志を忘れ、自らの利を追求しているだけだと清盛を責める。清盛と決裂をし、一人で酒を飲む兎丸の前に、時忠(森田剛)が放った禿が現れる。