英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

A級順位戦 谷川九段×羽生二冠 その3 ~第17期竜王戦第7局と同一~

2012-10-01 23:24:58 | 将棋
現在、毎朝少しずつ『明日対局』(渡辺明著)を読んでいます。

『明日対局』内容紹介(Amazonより)
 本書は、月間60万PVを誇る渡辺明竜王の人気ブログ「若手棋士の日記」「渡辺明ブログ」を書籍向けに再構築したものです。棋士の日常や、勝負の世界の深遠さを鮮やかに描き、今だから書ける本音も注釈で数多く加えられています。
 挿絵は渡辺竜王の奥様が担当。ブログの内容に対して絵で茶々を入れるような形になっています。家族ならではの微笑ましく愛情あふれるツッコミが見どころです。
 ブログを始めたときは五段の若手棋士であった渡辺明は、今や名実ともに将棋界の第一人者となりました。一人の若手棋士がトップ棋士に上り詰め、堂々たる将棋界の柱石になるまでの成長記として楽しんでいただきたく思います。


 ブログ「若手棋士の日記」(さるさる日記)が始まったのが2003年(平成15年)で、内容も当然、2003年度からです。
 少しずつ読んで、ようやく2004年の竜王位挑戦の辺りまで来ました。そして今朝、読んでいると、何やら見たような局面が載っています。そう、拙ブログで取り上げた順位戦▲谷川九段×羽生二冠とまったく同一局面だったのです。
 ≪これは!≫と本にかじりつくように読みましたが、ブログなので簡単に解説(感想)や当時の思いなどが書いてあるだけです。
 ならばと取りだしたのが、『永世竜王への軌跡』(渡辺明著 2009年)!
 羽生ファンにとっては、開きたくない本ですが……って、「購入したのか?」と突っ込みも入りそうですね。

 それはともかく、その内容を基に振り返ってみます。A級順位戦 谷川九段×羽生二冠 その1【追記あり】(9月26日記事)「A級順位戦 谷川九段×羽生二冠 その2」(9月30日記事)と重複しますが、ご容赦ください。



 当時(2005年)、この図では①△5四歩、②△5五飛、③△7五歩の3手段があると考えられていて、渡辺六段(当時)は、第2局では少数派だった①△5四歩を採用したが、「なぜ、誰も指さないかが良くわかった」と感想を述べている。15時39分、BS中継が始まる前に終局してしまった一局だった。
 ②△5五飛は「この時、△5五飛は後手面白くない、ということになっていた」と書かれている。
 そして③△7五歩については、「実戦例が多くあり、終盤の詰む詰まないまで研究されている手だ。私はこの先に新手を用意していた」と述べている。

 既に当時でも詰む詰まないという段階まで研究されていて、竜王戦の大舞台でも指されたというのに、更に7年を経た現在でも指されている。将棋がそれだけ奥深いということなのだろうか。

 
 分岐点図より△7五歩▲3三角成△同桂▲3五歩△2五歩▲1六飛△8四飛▲3四歩△同飛▲5六角△5四飛と定跡手順を進んで第1図(森内×渡辺戦について書いていますが、図面は谷川×羽生戦のものを使っています)

 「図より▲3四歩と打たれて桂損が確定した後手だが、先手に生角を打たせているので損ばかりではない」という渡辺竜王の大局観だ(自戦記での記述で、これが当時の渡辺六段の大局観か、自戦記を書いている時点での竜王の見解かははっきり分からない)。

 第1図より▲3四歩△2八角▲1八香△1九角成▲4五角(第2図)と進む。


 「飛車取りと同時に1八香にヒモを付けた手で、本当によくできた定跡である」と。ただ、「後手は桂損だが角と馬の差が主張点。△4四銀から角をいじめて△1八馬が実現すれば後手が良くなる」と記している。
 この辺り、お互い予定の手順でどんどん指し手が進む。考慮時間は第1図の時点で先手1時間12分、後手1時間18分、第2図の時点で先手1時間55分、後手1時間23分。両者とも研究した想定局面を目指し、その途中で脇道に入ることを考えないタイプだ。特に第4局はこの傾向が顕著で、連盟理事会から立会人に「進み過ぎている。封じ手時刻を早めてもよい」と助言(指示)が出たほどだった。
 私は、1日目にあまり手が進んで、封じ手の段階で勝負がついているというのは二日制の意味がないし、勝負のコクもないと思う。
 渡辺竜王は「予定通りだからと言って時間を使わずにどんどん進めるのはやや品がなかったかな、と思わないことはない。ただ、「いつかは必ず想定手順から外れるわけだから、時間はいくらでも欲しい。無駄使いはしたくない」という気持ちも強かったと記している。

 第2図より△8四飛▲3六飛△4四銀▲3四飛と進み第2-3図。

 ▲3六飛に△1八馬はやはり▲3三飛成で△3三同金も△4五馬も(前回記事と同じ理由で)やはりダメとのこと。
 で、私が疑問に感じた第2-3図から△4五角▲8四飛△9五角と王手飛車を掛けてはどうか?という疑問については、


 以下▲8六飛△8五歩▲9六歩(変化図1)で「飛車をタダで取れるわけではないし、4五銀取りが残っていて後手不利となる」と記してある。ただ、その後の△8四角についての解説はなかった。きっと、記するほどの変化ではないのだろう。


 ようやく前回記事の最後の所にたどり着いた。
 第2-3図より△6五桂。先日の順位戦(谷川×羽生)を見ていて、この手の意味がよく分からなかった。▲6六歩と突かれ、後に▲6五歩と桂馬を取りきられてしまう。先手陣に6筋の隙間が出来るが、なんだか取られるために跳ねた桂にしか見えない。
 この手について自戦記で竜王は「この何取りでもない不思議な桂跳ねは、先手玉へのプレッシャーを掛けている、という説明になるだろうか」と解説している……やはり、よくわからない。
 しかし、この▲6六歩(定跡手)を渡辺六段は待っていた。
 △8八歩、これが渡辺六段が用意していた新手だった。
 この手の意味は、当時の定跡では△8八歩では△3六歩で、以下▲3三歩△同金▲同飛成△同銀▲2三角成△5二玉▲3三馬△3七歩成▲5五桂△3一桂▲3二銀△3八と▲4三銀成△6一玉▲5一馬△同銀▲6三桂成で後手玉は必至で、先手玉は△5七桂成に7七~8八へのルートがあり詰まない。この時、もし事前に△8八歩▲同銀を利かせてあれば、このルートがふさがっていて詰むという仕組みだ。
 この新手に対し、森内竜王(当時)は、1時間59分の大長考で封じ手をした。封じ手はやはり▲8八同銀で△3六歩に▲3三歩と攻め合わず、▲3六同角とした。長考中詰みを読んだのか、或いは、指し掛けの夜に練った答なのか?
 順位戦もこの手順で進み、以後も△2三金▲4四飛△同飛まで両局同一手順を進む。実は、△2三金で飛車が取れるので優勢と渡辺六段は思っていたが、実際に局面を迎えてみると、そうではなかったと気づき、2日目の朝から苦しい長考(1時間47分)に沈んだそうである。

【以下続く】
コメント (2)
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