ゆめにだに みゆとはみえじ あさなあさな わがおもかげに はづるみなれば
夢にだに 見ゆとは見えじ 朝な朝な わが面影に 恥づる身なれば
伊勢
夢の中でさえ、あの人に見られたくはありません。毎朝、鏡に映る自分の顔に恥じ入っている私なので。
「朝な朝な」の「な」は「夜な夜な」と同じく「~ごとに」の意。現代でも「夜な夜な」は言葉として生き残っていますが、「朝な朝な」という言葉は廃れてしまいましたね。発音のしやすさとかゴロの良さとかいったことが関係しているのかな? 鏡に映る自信の要望を恥じているのは、そこに忍び寄る老いを感じているからか、あるいは逢瀬の叶わない日々の辛さにやつれているからでしょうか。いずれにしても、悲しい恋の歌ですね。