
今日から11月、そして3連休。
今年と曜日の配列が同じである、5年前、2003年は、この3連休には東京へ行っていたのだけど、今年は予算的にも厳しいこともあって、超「安・近・短」で済ませることにした。
函館市内を東西に走る市電に乗ってのぶらり旅である。

まずやって来たのは、市電の起終点停留所の1つ、「谷地頭(やちがしら)」。
函館に来て一番最初にレポをアップした、「立待岬(たちまちみさき)」の最寄停留所である。
(立待岬のレポはこちら)
http://blog.goo.ne.jp/five-colors1213/e/96a1c6b44705d34d67b8597ebe3c8b25
札幌に住んでいた頃から、立待岬へ行くのに何度か乗り降りした停留所なんだけど、立待岬以外の目的でやって来たのは初めてなので、早速ぶらり旅を敢行した。

お、いきなり大きな鳥居が現れました。
その先にあるのは・・・

うわ、こりゃまた急な階段だこと。
GWに行った「金比羅山」を思い出す。

階段の先にあったのは、「函館八幡宮」。
函館を代表する大きな神社である。
他の地域と比べて歴史の浅い北海道にあって、函館とその周辺は、古くからの歴史が存在することはこれまでも何度か触れてきたけれど、この函館八幡宮の歴史も、後花園天皇なる天皇の時代である、文安2年(1445年)、つまり室町時代まで遡るとされている。
この当時、現在の函館市周辺である、「亀田郡」の領守であった河野加賀守政通が函館に館を築いた時、その東南の隅に八幡神をお祀りしたと伝えられ、その後、江戸時代を経て明治13年(1880年)、現在の地に、八幡神が奉遷され、現在に至っている。
調べたところ、極めて簡略化するとこのような歴史になることがわかったのだけど、室町時代まで遡った歴史が存在していたというのは、本当に驚きだった。
改めて、函館の深い歴史と、その中で果たされてきた役割の大きさを感じさせられました。
行ってみると、ちょうど七五三の時期ということもあって、親子連れが何組か来ていて、写真撮影などをしていました。
そういや、職場で向かいに座っている先輩職員も、来週行くって言ってたっけ・・・。

八幡宮を後にして、ちょっと山の方へ足を運んでみると、こんな碑が建っている場所へと辿り着いた。
一体この碑は・・・?

この碑は、「碧血碑(へっけつひ)」という物で、明治8年(1875年)に建立された、戊辰戦争、特に箱館戦争における旧幕府軍の戦死者を記念する慰霊碑で、高さはおよそ6m程もある。
「碧血」とは「荘子」の記述「萇弘は蜀に死す。其の血を蔵すること三年にして化して碧と為る」から来ており、忠義を貫いて死んだ者の血は、地中で三年経てば碧玉となるという伝説に因んだものとされている。
この碑を建立したのは、箱館戦争の生き残りである、榎本武揚、大鳥圭介を中心とする面々で、伊豆産の石を使って東京で造られ、海路運搬されたと言われており、土方歳三や中島三郎助などをはじめとする、約800人の戦死者を弔っている。
土方歳三、歴史上名高い人物として、函館の歴史を語る上で欠かせない人物である。
市内には、他にも、土方ゆかりの地や施設が幾つかあるので、歴史に興味のある方は、ぜひじっくりと回ってみることをオススメします。

最後に、電車停留所近くの土産物店の軒先に置かれていた物をパシャリ。
なかなか可愛いぬいぐるみですな。
ということで、今日はとりあえずこの辺で。
ぶらり電車の旅は、今後、不定期に更新していきます。