今日の地方紙夕刊の読者の声の欄に、こんな声が寄せられていた。
札幌の地下鉄のホームで、マイク片手にアナウンスしている駅員さんが、目の不自由な方が乗り場付近で戸惑っているにも関わらず、自分で手を貸したり、周りの乗客に一声かけたりもせずに見て見ぬふりをしていることが時折あるのだという。
私はそのような光景は見たことがないけれど、事実だとすればけしからん話だと思うし、話の内容から察するに、駅員さんだけでなく、周りの乗客たちも、同じように見て見ぬふりをしているのではないかと感じた。
もしそうだとすれば、残念な話だなあと、読んでいて感じた。
実は私も、毎朝徒歩通勤の最中、目の不自由な方とすれ違うことが結構ある。
詳しくは知らないけど、近くに何らかの施設があるようで、1人ではなく、介添えの方が一緒に歩いているのを見かけることが多い。
しかし、そんな方達の姿が目に入らないのか、目に入っていても何とも感じないのか、歩道を我が物顔で走る自転車の何と多いことか。
一つ間違えてぶつかったりしたらどうなるか、そんなことが全く頭にないのだろう。
帯広にいた時は、狭い歩道で車椅子に乗っているおばあさんの横を、高校生ぐらいの若者が、減速せずに自転車で走り抜いていくのを見たことがある。
なんか、切ないですよねこんな話は。
札幌の地下鉄のホームで、マイク片手にアナウンスしている駅員さんが、目の不自由な方が乗り場付近で戸惑っているにも関わらず、自分で手を貸したり、周りの乗客に一声かけたりもせずに見て見ぬふりをしていることが時折あるのだという。
私はそのような光景は見たことがないけれど、事実だとすればけしからん話だと思うし、話の内容から察するに、駅員さんだけでなく、周りの乗客たちも、同じように見て見ぬふりをしているのではないかと感じた。
もしそうだとすれば、残念な話だなあと、読んでいて感じた。
実は私も、毎朝徒歩通勤の最中、目の不自由な方とすれ違うことが結構ある。
詳しくは知らないけど、近くに何らかの施設があるようで、1人ではなく、介添えの方が一緒に歩いているのを見かけることが多い。
しかし、そんな方達の姿が目に入らないのか、目に入っていても何とも感じないのか、歩道を我が物顔で走る自転車の何と多いことか。
一つ間違えてぶつかったりしたらどうなるか、そんなことが全く頭にないのだろう。
帯広にいた時は、狭い歩道で車椅子に乗っているおばあさんの横を、高校生ぐらいの若者が、減速せずに自転車で走り抜いていくのを見たことがある。
なんか、切ないですよねこんな話は。