
函館市内ぶらり市電の旅第2弾。
今回は、前回の谷地頭に続いて、3つある起終点のうちの1つ、函館市の西部地区にある「函館どつく前」。

まず最初にお断りを。
停留所の名前は、1枚目の写真のとおり「函館ど『つ』く前」と、大きな「つ」が使われているのだけど、実際には、「DOTSUKU」ではなく「DOCK」。つまり、小さい「っ」で発音しますので混乱のなきよう。
その「函館どつく株式会社」というのは、明治29年(1896年)に創業された、道内はもとより国内でも有数の総合的な重機械製作所で、船舶の建造、艦艇・一般船の修繕、橋梁産業機械製作などを主な業務としている。
2枚目の写真は、会社のシンボルでもある大きなヤード。まるでオブジェのようにも感じられ、観光客の人気も高いという。

港で、中型船に載る小型船の発見。
背後にクレーンらしきものが見えることから、小型船の修繕か何かなのだろう。

先程のヤードの近くには、こんな船が接岸していた。
見るからに外国の船のようだけど、どこの国のどんな船なのだろう?

「JAPAN COAST GUARD」。ご存知海上保安庁の巡視船。
こういう船の検査、補修も引き受けているんですね。

「函館どつく」を離れて、電車通りを散歩していると、こんな碑を発見した。
安政元年(1854)3月、かのアメリカ海軍提督M.C.ペリーが、日米和親条約締結後、5隻の艦船を引きつれて箱館に入港し、地元の有力商人であった、山田屋寿兵衛宅で、松前藩家老松前勘解らと会見し、市内の調査や、港内測量などを行ったとされている。
そう、ここは、その山田屋寿兵衛宅跡地であり、そのまま、「ペリー会見所跡地」となって残っているのである。

方向を変えて1枚。
軌道が確認できると思いますが、ここは電車通り。
目立たないかもしれないけれど、解りやすい位置に建てられていることがわかります。

最後に、こんなのも見つけちゃいました。
こちらの経緯については、ざーっと調べてみたところ、残念ながらめぼしい情報は得られなかったので、引き続き調べてみることとします。