広島観光初日。
最初に行ったのは、ここでした。
平和のシンボルとして世界文化遺産にも指定されている「原爆ドーム」。
「広島県産業奨励館」として使われていた建物が、爆発によってこのような形となり、戦争や核兵器がもたらす悲惨さを後世に伝えるべく、このように保存されている。
今まで、映像や写真でしか見たことがなかったけど、初めて実際に見て、この姿が伝えていることの大きさ、重さが、何となくだけど、伝わってきたような気がした。
ここは、原爆ドームから少し離れたビル街。
何の変哲もない建物のように見えるが、よく見ると、真ん中に何やら案内表示が。
見えずらいかもしれないけど、これは、「爆心地」の表示。
今この建物は、「島外科内科」という病院なのだけど、原爆投下当時も、ここで、「島病院」として開業していたのだという。
原爆ドームを離れて、「広島平和記念公園」へ。
まず見たのは、「原爆の子の像」。
原爆で亡くなった全ての子供のための慰霊碑で、全国3,100校余りの生徒と、世界9カ国の支援によって作られている。
像の側には、こうして平和の祈りを込めた折鶴が集められている。
この折鶴、かつては、像の真下にうず高く置かれていたが、2002年に、雨よけ屋根(折り鶴置き)が周りに配置されている。
しかしながら、2003年8月には、折鶴への放火という、心無いにも程がある事件が発生し、捧げられた折り鶴を保管する施設の一部を焼損する事態に見舞われたことは、記憶に新しいという人も多いことだろう。
続いて、公園内で燃え続けている「平和の灯」。
長崎の「誓いの灯」と同じく、真の平和が訪れるその日を信じて、赤々と燃え続けている。
炎に少しズームアップして1枚。
そしてこれが、「原爆戦没者慰霊碑」。
献花が絶えることなく、訪れた人が、皆同じ祈りを捧げているにも関わらず、今日現在、真に「平和」と呼べる状態は、残念ながら訪れていない。
慰霊碑に刻まれている、「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」の文字。
これについては、これ以上の解説は不要と思います。
慰霊碑から、後方にある「広島平和記念資料館」方向へ1枚。
この後資料館に入り、数々の資料を見た感想としては、「戦争の抑止力として、より強大な兵器である核兵器を用いる」ということが、いかに愚かな発想であるかということを実感した。
敵への抑止力として、より強大な兵器を開発し、敵もまた、それに対抗してより強大な兵器を・・・というこの繰り返しは、かつて、ある特撮番組で ※「血を吐きながら続ける悲しいマラソン」と表現されたことがあったが、その言葉の持つ意味が、ここへ来てよくわかったような気がしました。
※ 「ウルトラセブン」第26話 「超兵器R1号」より
最初に行ったのは、ここでした。
平和のシンボルとして世界文化遺産にも指定されている「原爆ドーム」。
「広島県産業奨励館」として使われていた建物が、爆発によってこのような形となり、戦争や核兵器がもたらす悲惨さを後世に伝えるべく、このように保存されている。
今まで、映像や写真でしか見たことがなかったけど、初めて実際に見て、この姿が伝えていることの大きさ、重さが、何となくだけど、伝わってきたような気がした。
ここは、原爆ドームから少し離れたビル街。
何の変哲もない建物のように見えるが、よく見ると、真ん中に何やら案内表示が。
見えずらいかもしれないけど、これは、「爆心地」の表示。
今この建物は、「島外科内科」という病院なのだけど、原爆投下当時も、ここで、「島病院」として開業していたのだという。
原爆ドームを離れて、「広島平和記念公園」へ。
まず見たのは、「原爆の子の像」。
原爆で亡くなった全ての子供のための慰霊碑で、全国3,100校余りの生徒と、世界9カ国の支援によって作られている。
像の側には、こうして平和の祈りを込めた折鶴が集められている。
この折鶴、かつては、像の真下にうず高く置かれていたが、2002年に、雨よけ屋根(折り鶴置き)が周りに配置されている。
しかしながら、2003年8月には、折鶴への放火という、心無いにも程がある事件が発生し、捧げられた折り鶴を保管する施設の一部を焼損する事態に見舞われたことは、記憶に新しいという人も多いことだろう。
続いて、公園内で燃え続けている「平和の灯」。
長崎の「誓いの灯」と同じく、真の平和が訪れるその日を信じて、赤々と燃え続けている。
炎に少しズームアップして1枚。
そしてこれが、「原爆戦没者慰霊碑」。
献花が絶えることなく、訪れた人が、皆同じ祈りを捧げているにも関わらず、今日現在、真に「平和」と呼べる状態は、残念ながら訪れていない。
慰霊碑に刻まれている、「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」の文字。
これについては、これ以上の解説は不要と思います。
慰霊碑から、後方にある「広島平和記念資料館」方向へ1枚。
この後資料館に入り、数々の資料を見た感想としては、「戦争の抑止力として、より強大な兵器である核兵器を用いる」ということが、いかに愚かな発想であるかということを実感した。
敵への抑止力として、より強大な兵器を開発し、敵もまた、それに対抗してより強大な兵器を・・・というこの繰り返しは、かつて、ある特撮番組で ※「血を吐きながら続ける悲しいマラソン」と表現されたことがあったが、その言葉の持つ意味が、ここへ来てよくわかったような気がしました。
※ 「ウルトラセブン」第26話 「超兵器R1号」より