私が小学校1年生だった、1980年8月31日放送の、「電子戦隊デンジマン」第31話「魔法使い秘術合戦」という回に、「朝風まり」さんという若手女流マジシャンが、本人の役で出演されていたことがあった。
この方は、現在の「プリンセス・テンコー」こと、二代目引田天功氏その方なのだけど、二代目を襲名する前の芸名と、その芸名で、アイドル的な活動をされていたことは、今となっては、意外と知られていない様子。
何でこんなこと書いたかって言うと、さっきまで飲んでいた行きつけのスナックで話題にしていたから。
発端は、何でそう思われたのか不思議なんだけど、ママに言われたこんな一言。
「ナナマガラーさんって、手品とかやりそうだよね」
何でそんな風にイメージされたのか本当にわからないのだけど、そこから派生して、有名なマジシャンのことに話が及んだ際に、二代目引田天功氏の話題が出て、次に、ママがこんなことを言ってきた。
「『引田天功』って、初代は男性だったよね?今の人って、いつ頃から活動してたんだろう?」
そう、ここで私、知っていることを話してしまったんです。こんな具合に。
「僕が小さかった頃は、『朝風まり』って名前で活動してて、確か僕が小学校低学年ぐらいの頃に、二代目を襲名してたはず。」
ここまで詳しく(でもないか?)話したところ、ママと一緒にカウンターにいたお店の女性から、「よく知ってますね」と言われたんだけど、何ゆえ二代目を襲名した時期を大体知っていたかというと、この二代目天功氏は、デンジマンから二年後の「宇宙刑事ギャバン」にもゲストで出演されていて、その時には、既に「二代目引田天功」の名前だったことを知っていたから。
つまり、はっきり何年何月頃とまではわからなかったけれど、時期的に、1980年の秋頃から、82年にかけての時期に襲名された(実際には、1980年の12月15日。即ち、デンジマン出演の直後だったとのこと)ことを、断片的な事実から推察して話しただけなんだけど、よもやこんな話で盛り上がれるとは思ってなかったので、ちょっと嬉しくなりました。
因みに、何ゆえそんなことまで知っていたのかという質問に対しては、
「子供の頃観ていたヒーロー番組に、『朝風まり』の名前で出演していたことがあったから」
と、はっきり答えておきました。
だって、ぼかすのもおかしいし、ここは知っていることを素直に話した方が、ね。
この方は、現在の「プリンセス・テンコー」こと、二代目引田天功氏その方なのだけど、二代目を襲名する前の芸名と、その芸名で、アイドル的な活動をされていたことは、今となっては、意外と知られていない様子。
何でこんなこと書いたかって言うと、さっきまで飲んでいた行きつけのスナックで話題にしていたから。
発端は、何でそう思われたのか不思議なんだけど、ママに言われたこんな一言。
「ナナマガラーさんって、手品とかやりそうだよね」
何でそんな風にイメージされたのか本当にわからないのだけど、そこから派生して、有名なマジシャンのことに話が及んだ際に、二代目引田天功氏の話題が出て、次に、ママがこんなことを言ってきた。
「『引田天功』って、初代は男性だったよね?今の人って、いつ頃から活動してたんだろう?」
そう、ここで私、知っていることを話してしまったんです。こんな具合に。
「僕が小さかった頃は、『朝風まり』って名前で活動してて、確か僕が小学校低学年ぐらいの頃に、二代目を襲名してたはず。」
ここまで詳しく(でもないか?)話したところ、ママと一緒にカウンターにいたお店の女性から、「よく知ってますね」と言われたんだけど、何ゆえ二代目を襲名した時期を大体知っていたかというと、この二代目天功氏は、デンジマンから二年後の「宇宙刑事ギャバン」にもゲストで出演されていて、その時には、既に「二代目引田天功」の名前だったことを知っていたから。
つまり、はっきり何年何月頃とまではわからなかったけれど、時期的に、1980年の秋頃から、82年にかけての時期に襲名された(実際には、1980年の12月15日。即ち、デンジマン出演の直後だったとのこと)ことを、断片的な事実から推察して話しただけなんだけど、よもやこんな話で盛り上がれるとは思ってなかったので、ちょっと嬉しくなりました。
因みに、何ゆえそんなことまで知っていたのかという質問に対しては、
「子供の頃観ていたヒーロー番組に、『朝風まり』の名前で出演していたことがあったから」
と、はっきり答えておきました。
だって、ぼかすのもおかしいし、ここは知っていることを素直に話した方が、ね。