北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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見直す時期か?

2013-08-13 21:47:49 | 日々のもろもろ
先日、友人との会話で話題になったこと。
最近、公衆電話のかけ方を知らない小中学生が急増しているらしい。

確かにね、時代背景を考えればわかる気もしないではないけれど、とうとうそんな時代になってしまったのかという感は否めない。
友人の話だと、普段携帯電話(なのか、それともスマホなのかはわからないけど)を持ち歩いている子供が、何らかの事情により、携帯電話が使えない事態に陥ってしまった時、たまたまそこにいた大人が、テレホンカードを貸してあげて、近くにある公衆電話まで連れて行ったところ、その子は、公衆電話の全く使い方がわからず、大人の方がビックリしてしまったのだとか。

その子が何年生なのかまでは聞かなかったけれど、私達が小学生の頃は、自分で公衆電話からどこかにかけるということは少なかったにせよ、親をはじめとする大人達が公衆電話を使う時に一緒にいたり、あるいは、テレビでそういうシーンを見たりして、自然と覚えていったという記憶がある。
そう考えると、最近は、そもそも大人達が公衆電話を使う機会が激減しているのだから、子供達にとって、公衆電話とは何ぞやという話になるのもわかると言えばわかるんだけど、だからと言って、何でもかんでも携帯電話に依存しきってしまい、いざそれが使えなくなってしまった時にどうするかという術を知らないまま大人になってしまうというのは、はっきり言って恐ろしい。
このままだと、公衆電話はもとより、固定電話という物それ自体が、子供達にとって未知の世界になってしまう日が来てしまうのではないかという危惧さえ覚えてしまうのは、私だけではないと思う。








いきなりだけど、これは、私の実家のすぐ近くの写真。
写真の自販機が建っているあたりには、かつて電話ボックスがあって、私も、高校や大学の頃、家の電話では話しずらいような電話(別に変な意味はないですよ)をかける時にお世話になったものだった。
実家を離れて11年も経っているので、いつ撤去されたのかはわからないのだけど、なくなったことに気付いた時は、正直ショックだった。

それからもう一つ、うちの職場にも、かつては、一つの事務所につき一台は公衆電話があったものの、今は、殆どの所で撤去されてしまっている。
かく言う私も、公衆電話というものは、もうかなり長いこと使用していないのだけど、冒頭で書いたような事態を踏まえて考えると、そろそろ見直す時期に来ているのではないかという気がする。
やっぱり、子供達が、普段依存している物に依存できなくなった時に、代替手段を全く考えられないというのは、大人になっていく過程では大いに問題があると思いますからね。
コメント
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