西部地区の坂巡り、ガイドブックに載っている坂のレポは先日で終わりましたが、最終章として、ガイドブックには載っていないけど、函館の歴史に関する本を読んで興味を持った場所をご紹介します。
魚見坂の終点を過ぎて少し行った所に、右側に降りて行く階段があります。
神社の表示があります。とりあえず降りてみましょう。
下から見ると、こんなです。
その先にある一つの小さな神社。
この辺りの漁業者の氏神として祀られている「山背泊稲荷神社」です。
神社と坂が一緒に映るように一枚。
実はこの坂にも名前があって、「テンコの坂」と呼ばれています。
先の稲荷神社は、江戸時代末期に「天光稲荷」と呼ばれており、「テンコ」という坂の名前は、単に「天光」がなまっただけなのか、あるいはこの辺りにもよくあるアイヌ語由来の名前なのかはわからないそうです。
先へ降りてみます。
降り切るとこんな感じでした。
崖が入るように一枚。
そう、結構な高低差の階段なのです。
「テンコの坂」を降りた後、電停とは反対方向に進んでいくと、このような狭い路地の両側に、住宅がびっしりと張り付いています。
歴史の長い集落で、住民同士の強い結びつきが感じられる光景です。
と、さらに進んで行くと、こんな坂がありました。
登り切った所から一枚。
実はこの坂にも名前があって、「地獄坂」と言うそうです。
名前の由来は、諸説あるらしいけど、単に上り下りが難儀な所から来ているというのが有力説なようです。
確かに、写真で見ても、わかるような気がします。
と言うことで、春先から続けてきた、西部地区の「坂の町シリーズ」は、これにて幕。
でも、西部地区をはじめ、市内散策はこれからも果てしなく続きますので、今後も楽しみながらやって行きたいと思います。
魚見坂の終点を過ぎて少し行った所に、右側に降りて行く階段があります。
神社の表示があります。とりあえず降りてみましょう。
下から見ると、こんなです。
その先にある一つの小さな神社。
この辺りの漁業者の氏神として祀られている「山背泊稲荷神社」です。
神社と坂が一緒に映るように一枚。
実はこの坂にも名前があって、「テンコの坂」と呼ばれています。
先の稲荷神社は、江戸時代末期に「天光稲荷」と呼ばれており、「テンコ」という坂の名前は、単に「天光」がなまっただけなのか、あるいはこの辺りにもよくあるアイヌ語由来の名前なのかはわからないそうです。
先へ降りてみます。
降り切るとこんな感じでした。
崖が入るように一枚。
そう、結構な高低差の階段なのです。
「テンコの坂」を降りた後、電停とは反対方向に進んでいくと、このような狭い路地の両側に、住宅がびっしりと張り付いています。
歴史の長い集落で、住民同士の強い結びつきが感じられる光景です。
と、さらに進んで行くと、こんな坂がありました。
登り切った所から一枚。
実はこの坂にも名前があって、「地獄坂」と言うそうです。
名前の由来は、諸説あるらしいけど、単に上り下りが難儀な所から来ているというのが有力説なようです。
確かに、写真で見ても、わかるような気がします。
と言うことで、春先から続けてきた、西部地区の「坂の町シリーズ」は、これにて幕。
でも、西部地区をはじめ、市内散策はこれからも果てしなく続きますので、今後も楽しみながらやって行きたいと思います。