北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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散策の醍醐味

2016-02-03 21:44:35 | 道外旅行記
昨日の続き。

「今川焼」の由来となった「今川橋」という橋は今は存在せず、その橋が架かっていた「竜閑川」という川も、既に埋立てられているとのことだけど、橋だけでなく、川の埋立てに関する跡地もあるとのことで、歩いてみた。





この小さな道。
この先に一体何が・・・?





ビルとビルの距離が近い都心ならではの光景のようにも思えます。
函館ではこういう光景は見られないですからね・・・。





この道の先には、こんな小さな公園がありました。





「地蔵橋公園」という、区立の公園です。
因みに「地蔵橋」というのは、時代劇でおなじみの、八丁堀に存在していたとされる橋。
与力であった、多賀仁蔵なる人物の門前に架けられていた石橋で、「仁蔵橋」と称していたが、その家が潰れたあと、与力の共有にして「地蔵橋」と改称され、この地域のランドマーク的な存在だったとされています。









お、ありましたですね。
「竜閑川」の埋立てを記念する木札です。








「竜閑川」は、日本史の授業でも出てきた「明暦の大火」(1657年)の後、防火対策のために土手を築き、その後、町人たちが自ら資金を調達して、元禄4年(1691年)に開削された川で、当初は神田堀、銀堀(しろがねぼり)、神田八丁堀などと呼ばれていました。
江戸末期の安政4年(1857年)に一度埋め立てられるが、明治16年(1883年)に再度開削。その後、昭和25年(1950年)、戦後の残土処理のために再び埋め立てられ、現在に至っています。
そんな歴史を持った川の存在をこうして伝えているこの木札。都心のビル街に、このような、余り知られていない歴史があったことを知るというのも、今回のようなぶらり散策の醍醐味です。





最後に、先ほどの小道の一角に建っている、小さな神社をご紹介。





「福田村」なる村の存在に端を発する歴史。
こういう、ガイドブックに載らないスポットの発掘も、なかなか楽しいものです。
コメント
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