北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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至福の一時

2016-02-13 20:30:31 | 日々のもろもろ



乗っかっているのは私の脚。
すっかり気に入られちゃったみたいです。
何か衝撃でも与えない限り、永遠にここに乗っかっているのではないかと思うくらい、大人しくしてくれてます。





特に意味はないけど、ズームアップ。
たまにちょっかい出すと猫パンチを浴びせてきますが、浴びせた後も、何事もなかったかのようにこの場所にとどまってくれてます。





こうなると、利き手である右手は使用不能に陥ります。
この体制で、ペットボトルのふたを開けて、コップに注ぐところまで、左手一つでやりました。

ま、そんなわけで、お互いにとっての至福の一時でした。
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お江戸ぶらり旅

2016-02-13 16:12:44 | 道外旅行記
東京旅行の写真、まだ何枚か残ってたので、ここで纏めて紹介しちゃいます。





日本橋界隈を散歩中に見つけた石碑。





場所は、みずほ銀行兜町支店茅場町出張所の角。
「其角」とは、松尾芭蕉の弟子の中で優れた十名を指す「蕉門の十哲」の一人、宝井其角なる人物のことで、碑文のとおり、このあたりに住居を構えていたことから、1970年に建立されたそうです。





あてもなくぶらりと歩いていた、ビルとビルの間。
「相棒」のとある回で、右京さんが「ビルとビルの間は存外に広いんですねえ」と呟くシーンがあるんだけど、確かに、写真だとすごく接近しているように見えるけど、歩いてみると、意外に広いものだなと実感しました。





そんなビルの谷間に見つけたスポット。





ここは、天台宗の「智泉院」、通称「茅場町のお薬師さま」と呼ばれる場所。
その昔、現在の茅場町から、日本橋川を挟んだ小網町へと通じる渡し場があり、それを「鎧の渡し」と言ったそうで、平安時代中期に、源頼義が奥州平定の際に舟で渡ろうとしたところ、風が吹いて荒波が立ち、鎧を沈めて竜神に祈って荒波を鎮めたとの伝説が残っていることから、それに因んで「鎧島山」という山号を持っています。

ですが、智泉院の始まりはそれよりも新しく、江戸城築城で知られる太田道灌が、自分の領地である相模国大庭村より薬師如来を江戸に移し、後に徳川家康が、江戸城の鎮守である「日枝神社」の神輿が渡る所である「山王御旅所」を茅場町に設置して、別当寺(神仏習合が行われていた江戸時代以前に、神社を管理するために置かれた寺)として薬師堂を建立したことが、始まりとされています。
写真の像はその薬師如来像で、江戸時代には病に御利益のある薬師信仰が盛んであったとされています。





智泉院の敷地内にある「天水鉢」。
中央区民文化財に指定されているとのことです。





ビル街を歩いていると、今度は道路の向こうに神社が。





「日枝神社日本橋摂社」(ひえじんじゃにほんばしせっしゃ)という神社。
先程書いた、江戸城の鎮守である「日枝神社(山王日枝神社)」の摂社(神社本社とは別に、その神社の管理に属し、その境内または神社の附近の境外にある小規模な神社のこと)です。





天正年間(1573年~1592年)、日枝神社の祭礼に際し、八丁堀北嶋祓所の御旅所まで神輿が船で神幸したことが起源とされており、寛永年間(1624年~1645年)に日枝神社の御旅所と定められ、遥拝所が設けられたとされています。

そう言えば、「山王日枝神社」って、前に何かの番組で紹介されていた記憶があるので、今度行ってみます。





最後は、日本橋から離れて、JR蒲田駅前にあるこの像。





昨年9月に蒲田に泊まった時から気になっていたのだけど、何だかとても奥深い由来があるようですね。
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