北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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新島襄と函館 その2

2016-02-21 21:12:56 | 函館
新島襄と函館との関わりを示すスポットは、ブロンズ像や石碑だけではありません。
今回は、こんな場所をご紹介します。





西部地区にある「日本キリスト教団函館教会」。








この教会は、アメリカ人宣教師であるメリマン・コルバート・ハリス氏が、1874年(明治7年)に伝道したのが始まりとされており、1877年(明治10年)の落成後、大火による焼失、再建を繰り返し、1931年(昭和6年)に現在の鉄筋コンクリート造りの建物となっています。

ハリスがやってきた1874年当時、日本ではキリスト教が解禁となったばかりでしたが、二名の者がここで洗礼を受け、北海道で最初の信者となりました。

会堂内では、ドイツ製のパイプオルガンが神聖な音を奏でているほか、同じく会堂内にある「ひいらぎ文庫」は、児童向けの図書やキリスト教関係書籍が多く所蔵されています。

新島襄との関連は、襄が帰国後、大河ドラマで有名となった妻の八重を伴って1887年(明治20年)に函館を旅行した際、訪問したという話が残っています。





続いては、函館教会と同系列の、「日本キリスト教団函館千歳教会」。





ここは、西部地区から離れた住宅街にある教会で、新島襄の信仰と志を受け継ぎ、設立された教会とされています。
元々は、1901年(明治34年)に、函館教会に近い現在の元町に設立されましたが、大火による移転を余儀なくされるという経緯を経て、1937年(昭12年)に、「新島先生脱国記念会堂」として再建され、終戦後に現在地に教会堂が建てられています。
現在の教会堂は1985年(昭和60年)に建てられたものです。





この協会には、新島襄がアメリカへの渡航中に寄港した上海で断髪した際の頭髪が、遺髪として大切に保存されています。
この遺髪は、1937年(昭和12年)、教会堂再建にあたって、同志社教会牧師である堀貞一氏より寄贈されたもので、共に送られた手紙には「先生が愛国の精神に燃えて脱國されたる至誠が、多くの人々に永く良き教訓と相成る事を祈る」の一文があり、今も大切に保管されています。


「函館教会」の場所

「函館千歳教会」の場所
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