市電の終点「湯の川」電停で降りて少し歩いた所にあるお寺。
温泉は、訓読みで「ゆのかわ」ですが、このお寺は、音読みで「とうせんじ」と読みます。(「ゆのかわでら」ではありません。)
ここの敷地内には、かつて函館山に設置されていた三十三観音が遷座されていることで知られています。
「法華経普門品」というお経があるそうなのですが、そのお経では、命ある全てのものを救済するために、三十三の姿を変えた観世音菩薩が現れると説かれており、それを三十三ヶ所に配置して巡礼するという風習が、平安時代に、畿内、現在の近畿地方に起こったとされています。
その中でも最もよく知られている西国三十三ヶ所について、巡礼したくてもそこまで行けない人のために、函館山に、三十三観音が設置され、それが、1914年に、函館山が要塞化され、一般人の接触ができなくなったのを機に、湯川地区に遷移されています。
ご覧の通り、三十三の観音像がずらっと並んでいます。
一つ一つを挙げるとキリがないので、よく知られたお寺の物を一つだけ。
皆さんもご存知の、清水寺の観音像です。
「清水寺」という寺名は、京都の音羽山中より湧き出て、音羽の滝に流れる霊泉に由来するとされており、この霊泉は「すべての人を救う」観音様のご利益と合わせ、古来より無病息災、立身出世、財福、良縁、子授けといった現世利益を願う善男善女を集め、「清水の観音さん」の名で全国に広く信仰を得ています。
それが、京都まで巡礼できない人のために、ここ湯川地区に遷座されているということです。
敷地内にあるもう一つの見どころとして、歌人として知られる西行法師の像が設置されています。
これは、鳥羽上皇に仕える方面の武士だった「佐藤義清」が出家し、「西行」という名で全国を遍歴した旅の歌人の姿を再現したもので、1923年(大正12年)に、西行法師の崇拝者で、当時の湯川寺住職の縁者であった、新潟県の関川徳秀市という人物から寄贈されたものだそうです。
しかし、「西行」と聞いても、そもそも誰のことか分からない人が多いという理由から、湯川寺では、「弘法大師の石像」と言っていたそうです。
このような立札が設置されているので、これを手掛かりに、どういう人物なのか探ってみるのも、散策の楽しみかと思います。