友人がブログで、「宇宙戦隊キュウレンジャー」の主題歌について、かなり辛辣なコメントをしていたけれど、正直私も同感。
まずOP、何という歌詞なのか聞き取れないと思ったので、今日は歌詞を調べた上で観たのだが、歌詞を見ながら聞いてもピンと来ない。
さすがに「飛べ 飛べ 飛べ 飛べ」ぐらいはわかったけどね。
それに、何あの終わり方。1番の歌詞は戦隊の名前で終わるのが定番でしょうが。
歌詞を見ると、最後のフレーズは「And Goodluck!」だそうなのだが、そういうフレーズだと理解しても、なぜそこで終わるんだろう・・・。
EDも同様。友人も書いていたけれど、歌詞といい踊り方といい、何だか卑猥な感じすらする。
最初、「キュータマ」ってのは、テレビ朝日系の人気クイズ番組にヒントを得たのかなと思っていたけれど、仮にそうだったとして、それはいいとしても、それが重なってああいう歌詞になると・・・ね。
友人は「古き良き時代の勇ましさ感じる かつ 真剣さがピリッとくる戦隊ソングED」という表現を用いていたが、確かに最近の戦隊のEDには、そういうのが感じられない。
いや、夢はあると思うよ。ジュウオウジャーのEDは、動物たちと仲良くなることを通して世界が広がるという夢が感じられたしね。
でも、私達の世代からすれば、それはヒーローものではなくむしろ童謡の世界であって、勇ましいメッセージ性は残念ながら感じられない。
私達の世代の作品だと、戦隊シリーズじゃないけれど、「宇宙刑事シャリバン」のED「強さは愛だ」なんかは、大人になった今聞いても、いや、大人になった今だからこそグッとくるメッセージ性があると思っているが、かつてのヒーロー番組は、番組の顔と言える主題歌で、そういう歌詞を前面に出していたというのも、「教育番組」と位置付けられた大きな理由なんだろうと思う。
そう考えると、今戦隊シリーズをリアルタイムで観ている子供達が大人になり、仕事や日常生活で壁にぶつかった時、ヒーロー番組の主題歌を思い出して、「よし、頑張ろう!」と思うことが果たしてあるだろうか・・・。
ヒーロー番組というのは、リアルタイムで観て楽しむだけでなく、観ている子供達に何かしらの大切なメッセージを与え、子供達が大人になっても、それを思い出して頑張ろうと思えるというのが理想だと思っている私としては、「物足りない」とすらも言えないようなもどかしさを感じてしまうのでありました。
まずOP、何という歌詞なのか聞き取れないと思ったので、今日は歌詞を調べた上で観たのだが、歌詞を見ながら聞いてもピンと来ない。
さすがに「飛べ 飛べ 飛べ 飛べ」ぐらいはわかったけどね。
それに、何あの終わり方。1番の歌詞は戦隊の名前で終わるのが定番でしょうが。
歌詞を見ると、最後のフレーズは「And Goodluck!」だそうなのだが、そういうフレーズだと理解しても、なぜそこで終わるんだろう・・・。
EDも同様。友人も書いていたけれど、歌詞といい踊り方といい、何だか卑猥な感じすらする。
最初、「キュータマ」ってのは、テレビ朝日系の人気クイズ番組にヒントを得たのかなと思っていたけれど、仮にそうだったとして、それはいいとしても、それが重なってああいう歌詞になると・・・ね。
友人は「古き良き時代の勇ましさ感じる かつ 真剣さがピリッとくる戦隊ソングED」という表現を用いていたが、確かに最近の戦隊のEDには、そういうのが感じられない。
いや、夢はあると思うよ。ジュウオウジャーのEDは、動物たちと仲良くなることを通して世界が広がるという夢が感じられたしね。
でも、私達の世代からすれば、それはヒーローものではなくむしろ童謡の世界であって、勇ましいメッセージ性は残念ながら感じられない。
私達の世代の作品だと、戦隊シリーズじゃないけれど、「宇宙刑事シャリバン」のED「強さは愛だ」なんかは、大人になった今聞いても、いや、大人になった今だからこそグッとくるメッセージ性があると思っているが、かつてのヒーロー番組は、番組の顔と言える主題歌で、そういう歌詞を前面に出していたというのも、「教育番組」と位置付けられた大きな理由なんだろうと思う。
そう考えると、今戦隊シリーズをリアルタイムで観ている子供達が大人になり、仕事や日常生活で壁にぶつかった時、ヒーロー番組の主題歌を思い出して、「よし、頑張ろう!」と思うことが果たしてあるだろうか・・・。
ヒーロー番組というのは、リアルタイムで観て楽しむだけでなく、観ている子供達に何かしらの大切なメッセージを与え、子供達が大人になっても、それを思い出して頑張ろうと思えるというのが理想だと思っている私としては、「物足りない」とすらも言えないようなもどかしさを感じてしまうのでありました。