かなり順不同になっちゃってます。
一昨日紹介した「月寒駅跡」の次に、四日前に紹介した「ロバパン」へと向かったのだけど、その途中で、何だか趣のありそうな街路を見つけたので、ちょっと寄り道してみました。
白石区には「南郷通」「北郷」という行政地名がありますが、珍しくと言ってよいのかよくないのか、その地名の由来は明らかになっていないそうです。
もう一つの「郷」の付く地名である「本郷通」は、現在の国道12号の両側に当たる「本通」と「南郷」から一字ずつ取って付けられた名前だそうで、昭和31年(1956年)、当時の札幌市長だった「高田富輿」氏が自ら命名したそうです。
ズームアップしてみると、「白石町」と書いてあります。
これは独立した自治体ではなく、かつて白石区の地名は「白石町◯◯」とされていた所が多く、ここもその一つだったということです。
因みに、現在の白石区は、昭和25年(1950年)に札幌市に編入されるまでは「白石村」という村でした。
ということで、街路をブラブラ。
今はもうすっかり葉も落ちてしまっただろうけど、ここへ行った10月の上旬は、まだ街路樹は綺麗な緑色でした。
この街路は、住宅街にしては珍しく車道が真っ直ぐになっていないので、どういう場所なんだろうと思っていましたが、実は昔ながらの商店街でして、現在は郊外型の大型店に押されてお店の数も少なくなっていますが、昭和52年(1977年)に、札幌市初の試みとして、買い物遊歩道が整備されました。その頃は、「白石に第2の狸小路を作ろう」が合言葉だったそうです。
往時の賑わいはなくなってしまったのかもしれませんが、所々にこうした休憩スペースが設けられており、これは、結構利用する人が多いようです。
そんな商店街の一角に建つ一つの像。
どういう人物でしょうかね。
これは「長浜万蔵」という、白石村議会議員や農協組合長を務めた地域の有力者の像で、地元に商店街を興すことに奔走して、一面に広がっていた農地を住宅地や商業地として開発するための区画整理事業を実施したことが、現在の本郷通商店街の基になっています。
このことから、昭和40年(1965年)に、有志たちの手でこの像が建立され、現在もこうして、商店街、ひいては本郷通という地域全体を見守り続けています。
札幌市内も、昔ながらの商店街が衰退の一途を辿る例が多くなっていますが、こういう歴史を知った上で歩いてみると、応援したくなりますね。