札幌市中心部。エリアで言うと、地下鉄東豊線の豊水すすきの駅に近い所にあるホテルの建物。
残念ながら、昨年6月に閉館した「札幌第一ホテル」というホテルの敷地です。
これは今でもはっきり覚えているんだけど、私が小学校5年生のときの、昭和59年(1984年)10月13日土曜日、名前は忘れてしまったけれど、この「第一ホテル」の前身であった宿泊施設に、家族三人で泊まったことがあります。
何ゆえ37年も前のことを、日付までしっかりと覚えているかというと、その日は、当時土曜夕方6時から放送されていた「超電子バイオマン」の第37話「殺し屋シルバ!」という回が放送された日で、その回を自宅ではなくホテルで見たということを今でもはっきり覚えていたので、先ほど放送された日の日付を調べて、ああ10月13日だったんだと思い至ったというわけでした。
て、今日の本題はそんなどうでもいいことではなくて・・・、
その敷地の一角に、このような碑があります。
白虎隊というと、私も13年前に福島県でゆかりの地巡りをしてきました(こちら)が、戊辰戦争において旧幕府勢力の中心とみなされ、新政府側の仇敵となった、会津藩の、15歳から17歳までの武家の男子で構成されている兵隊のことですね。
この戦争で、会津藩は、若松城(別名「鶴ヶ城」。現在の会津若松市)を死守すべく戦ったものの、兵隊の一つであった白虎隊も各所で苦戦を強いられ、戦死者も出る中、負傷者を抱えながら、飯盛山という山へ落ち延びました。
飯盛山から市中火災の模様を目にした白虎隊氏総勢20名は、その火災を見て若松城が落城したものと誤認し、絶望感に包まれて自刃しましたが、その隊士のゆかりの地が札幌に・・・、どういうことでしょう?
この「飯沼貞吉」という人物ですが、先ほどリンクした記事の中で、こんなことを書いていました。
「自刃したものの、助けられて一命を取り留めた後は、当時の逓信省で電気技師として各地で勤務。明治38年には札幌に郵便局工務課長として赴任し、明治40年の札幌大火の復旧工事などに尽力したとされている。色々と調べていく中で、思いがけず、札幌との繋がりが出てきたのには、ビックリでした。」
自刃に及んだ20名のうち、唯一奇跡的に一命をとりとめた飯沼貞吉は、明治維新後、当時の工部省から電信技術者としての辞令を受け、本州各地で勤務したほか、日清戦争では朝鮮に派遣されました。
そして明治38年(1905年)1月、札幌郵便局工務課長として着任し、五年間の在任中、電話交換台の改修工事や新たな電話回線の建設や、先述した札幌大火の復旧工事にも尽力しました。
そんな貞吉の功績を称える碑が、何故この場所にあるのかということですが、冒頭、「小学校5年生のときに泊まったホテルの名前を忘れた」と書いてしまいましたが、調べていて思い出しました。当時ここにあったのは、「札幌電信電話会館」という、電電公社(現NTT。昭和60年(1985年)に民営化)の福利厚生施設で、我が家は、父親が電電公社勤務だった関係で、優待価格で宿泊することができたということなのです。
そして、この辺りに、貞吉が暮らしていたという、逓信局という官庁の宿舎があったのだそうです。
そうか、札幌の電話事業の歴史に大きな足跡を残した人物を称えるという意味があったんですね。なるほどなるほど。