先日、西区琴似にある「琴似神社」について書いた際、琴似神社のルーツとして、
「明治8年(1875年)、この地に屯田兵として入植した240戸の有志が、臥牛城(現在の宮城県亘理町)城主『伊達成実』(だてしげざね・伊達政宗の重臣)を『武早智雄神』(たけはやちおのかみ)として祀り、『武早神社』を建立したのが最初とされています。」
と書いていましたが、この「武早神社」ってどこにあったのだろうと思って調べてみると、琴似神社からそれほど離れていない場所でした。
その場所に現在建っているのは、実は神社ではなくお寺。
日蓮宗の「日登寺(にっとうじ)」というお寺です。
明治8年(1875年)、屯田兵第一中隊が入植した際、隊員の東山源左衛門、源八郎親子が郷里(現在の宮城県亘理地方)より捧持した、軍神清正公の像を現在地に祀り、それが、琴似神社のルーツとなる「武早神社」となったというわけですが、翌年、当時の元村、現在の地下鉄東豊線環状通東駅近くにある「本龍寺」というお寺からお堂を譲り受け、昭和29年(1954年)に寺号を公称し、現在に至っています。
見えずらいですが、「さっぽろ文庫」によると、この仁王像は、全長5メートル余りの木造で、道内一とされていますが、今もそうなのかな・・・。(「さっぽろ文庫」は昭和52年(1977年)の刊行)
ちょっと検索すると、別なお寺に、道内最大級らしい仁王像があるやに書かれている記載を見つけました。
少なくとも昭和52年当時は道内最大級だったということなのでしょう。引き続き調べてみます。
昭和15年(1940年)建築という、歴史ある本堂ですが、いつも神社ばかりで、お寺へ行く機会はそんなになかったので、気分的には新鮮に感じます。
境内には、このようなものがありました。
永遠に、絶えることなく火を灯し続けているということなのですね。
平和を祈念する象徴ということなのでしょう。
あ、ありましたね、明治8年の屯田兵第一中隊による創設の記載が。
これも、もっと広くPRされてよい歴史だと思います。
日蓮宗だけじゃないですけど、開祖の「何百遠忌」(ここまで来ると「周忌」ではないんですね)って、気が遠くなるような歴史を感じます。