北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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今が食べごろ

2010-11-26 21:48:18 | 道外旅行記



写真は山形名産の「ラ・フランス」。

こないだ、友人の日記で、ある日友人が出社すると、デスクの上に、ラ・フランスがドーンとのっかっていたという話題が出ていたのだけど、私も、8年前に初めて山形に行った時に、すっかりラ・フランスが大好物になって帰ってきたので、何だか凄く羨ましい気持ちになった。
だからってわけじゃないけど(友人の日記は、山形へ行く12日前の更新)、今回もしっかりと買って帰ってきました。

「ラ・フランス」とは、その名のとおり、フランスが原産の洋梨。
1864年に、フランスのクロード・ブランシェという人物が発見した品種で、日本へは明治36年(1903年)に、食用としてではなく、受粉用として導入されたのが始まり。
主な産地は山形県や長野県で、10月に収穫され、11月が食べごろという、正に今の時期が旬の果物なのです。





写真は、今日の夕食で食べた物。
買ったのは月曜日なんだけど、同封の紙に、

「常温で数日間保管しておき、指で軽く押して耳たぶ程度に柔らかくなり、一段と芳香が強くなったら食べごろです」

とあったので、あえて今日まで食べずにいました。(もう1つ残ってるんだけど)
味は素晴らしく良かったけど、皮をむく際、余りにみずみずし過ぎて、包丁を持つ手が滑ってしまい、ヒヤヒヤものに。
危ないので、皆さんも、買って食べる時は注意してください。

今回の旅行では、8年前に、ラ・フランスのアイスクリームを食べた店がどこだったかと探して回ったんだけど、結局見つけられずに帰ってきました。
そのうちまたリベンジに・・・、行っちゃうかも本当に。
コメント (2)
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出羽の武将

2010-11-25 22:45:06 | 道外旅行記



昨日の続き。
最上義光という武将の名は、私も山形に興味を持つまで知らなかったので、ここで今一度調べてみた。





最上義光は、現在の山形県である出羽国の戦国大名、最上氏の第11代当主にして、出羽山形藩初代藩主である人物。
かの伊達政宗の伯父にあたる人物でもあり、関ヶ原の戦いにおいて東軍につき、最上家を57万石の大名に成長させて全盛期を築き上げた。

名前の「義」の字は、時の室町幕府第14代将軍「足利義輝」より賜ったもので、これは、「偏諱(へんき)」と言って、貴人から臣下への恩恵の付与、鎌倉時代から江戸時代にかけて多く見られたとのこと。

その足跡としては、天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原の役に参陣したことや、天正20年(1592年)、秀吉の朝鮮出兵に備えて肥前名護屋に滞陣したことなどが挙げられているが、中でも特筆すべきは、1600年の、「慶長出羽合戦(「長谷堂城の戦い」)」。

これは、徳川家康が、会津の上杉景勝の軍備増強を征伐せんとした際、義光ら奥羽の諸将は東軍(徳川方)に味方したとされるのが発端であるが、途中、上杉氏と懇意であった石田三成らが、反家康を名目にして上方で挙兵すると、家康は会津攻撃を中止し、最上家は完全に孤立した状態で、上杉家と対峙することとなった。
その後、上杉景勝は、かの直江兼続に2万~2万4千余の軍勢を預け、最上領侵攻を開始したが、上杉軍に対して最上義光は、2,000挺もの鉄砲を駆使して抗戦し、最後は見事に城を守り抜いたとされている。

大きな功績は他にも沢山あるようだけど、さしあたり、昨今の歴史ブームで脚光を浴びている部分について書いてみました。
こうした、歴史の表舞台とは言い難い部分で活躍した人物の足跡に触れるのも、私にとっては、旅の大きな楽しみの一つです。





これは、霞城公園の側にある「最上義光歴史館」
平成元年の開館で、入館料は無料。最上家と山形藩に纏わる資料が多数展示されています。
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霞の城

2010-11-24 20:25:37 | 道外旅行記



山形駅西口にある「霞城公園」。
「霞城」とは、この地にあった「山形城」の別名で、昨年の大河ドラマ「天地人」で脚光を浴びた、かの直江兼続(上杉軍)が、近郊にある「富神山」という山の麓から、この城を十日間に亘って見続けたものの、霞がかかって何も見えなかったことから、そのように呼れるようになったとのこと。
そして、現在もその呼び名が定着していて、「霞城公園」として整備され、市民の憩いの場となっている。








公園内の石垣と空堀。
石垣の一部は展望台になっているようなのだが、残念ながら、ロープが張られていて上がることができませんでした。








写真の「二ノ丸」が特別公開されていたので入ってきました。
中では、山形地方の歴史や、大河ドラマでも描かれた合戦にまつわる資料が多数展示されていました。





裏手にある「東大手門」。
山形城の敷地面積は実に約70万坪あるとされており、勇壮な天守閣ではなく、本丸、二ノ丸、三ノ丸が配置されていて、二ノ丸跡と三ノ丸跡の一部は国の史跡にも指定されている。
延文元年(1356年)、最上一族の祖とされる斯波兼頼が楯を築いたのが始まりとされており、その後、第十一代当主である最上義光が、文禄から慶長(1592年~1615年頃)にかけて城を改築したとされている。





これが、その最上義光公の像。
この人物に関する話は、また次の記事で。
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どっちが先?

2010-11-23 19:11:15 | 日々のもろもろ
ある人との会話で出てきた話。

「×」という字、右から左に下げる方と、左から右に下げる方、どちらを先に書くか?

特に意識してなかったと思うんだけど、意識してやってみたら、右から左の方が書きやすかった。
別に左から右を先にしても書けるんだけど、自然と右から左の方が先になってしまう。

いや、別にだからどうしたってわけじゃないんですけど・・・。
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200記事目はここ

2010-11-23 08:12:13 | 道外旅行記
この「冒険」カテゴリーも、この記事で、記事数が200に到達しました。
100記事目は一昨年の12月だったけど、次の目標である300記事目は、もう少し短い間隔で到達できるよう頑張ってみようかな。





写真は、山形駅西口にある官民複合型ビル「霞城(かじょう)セントラル」。
高さ115m、地上24階、地下2階の大型ビルで、企業やホテル、公的機関などが多数入居し、市内の都市拠点となっている。





ここは、その24階にある展望ロビー。
ここから、市内とその周辺を一望することができる。








この2枚は、市内中心部の光景。
最近は、郊外型大型店舗の進出により、全国各地で中心街の衰退がもんだいになっているようだけど、山形駅周辺は、大きなデパートも多く、北海道の幾つかの町(函館もそうなんだけど)と比べると、羨ましいくらいの人の出があり、まだまだ元気を保っているなと思いました。





遠くに見えるのは、蔵王連峰。
まだ冠雪はしていないようだけど、これからスキー客等で大賑わいの季節を迎えるのでしょう。

このビルでは、4月から10日にかけて、「空中回廊」というのが開放されていて、今回は入れずに残念だったけど、それでも、天候に恵まれて絶景を楽しむことができ、良かったです。
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