北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
(C)ナナマガラー All Rights Reserved.

のんびりと

2016-02-22 21:36:11 | 日々のもろもろ



ニュースでも盛んにやってるけど、今日は、「222(ニャンニャンニャン)の日」。

今日は、締切間近の案件にかかりっきりで、どこにも外出せず、一心不乱(って自分で言うのも変か)でデスクに向かっていたので、緊張の糸が切れると、激しく動き回るのと同じくらい疲れがドッと出てきた。

私と同じような状況にある方もいらっしゃると思うので、束の間でも癒しを提供できればと思い、掲載しました。

一年前の今日は「ニンニンニンの日」が前面に押し出されていて、実際に今日が「忍者の日」であるということにも触れていたけれど、今年は、新聞でもテレビでも、昨年よりも猫の話題が多くクローズアップされている気がする。

写真のように、時には何にも捉われずのんびり過ごしたいという願望もそこそこに、明日もまた忙しくなるでしょうきっと。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新島襄と函館 その2

2016-02-21 21:12:56 | 函館
新島襄と函館との関わりを示すスポットは、ブロンズ像や石碑だけではありません。
今回は、こんな場所をご紹介します。





西部地区にある「日本キリスト教団函館教会」。








この教会は、アメリカ人宣教師であるメリマン・コルバート・ハリス氏が、1874年(明治7年)に伝道したのが始まりとされており、1877年(明治10年)の落成後、大火による焼失、再建を繰り返し、1931年(昭和6年)に現在の鉄筋コンクリート造りの建物となっています。

ハリスがやってきた1874年当時、日本ではキリスト教が解禁となったばかりでしたが、二名の者がここで洗礼を受け、北海道で最初の信者となりました。

会堂内では、ドイツ製のパイプオルガンが神聖な音を奏でているほか、同じく会堂内にある「ひいらぎ文庫」は、児童向けの図書やキリスト教関係書籍が多く所蔵されています。

新島襄との関連は、襄が帰国後、大河ドラマで有名となった妻の八重を伴って1887年(明治20年)に函館を旅行した際、訪問したという話が残っています。





続いては、函館教会と同系列の、「日本キリスト教団函館千歳教会」。





ここは、西部地区から離れた住宅街にある教会で、新島襄の信仰と志を受け継ぎ、設立された教会とされています。
元々は、1901年(明治34年)に、函館教会に近い現在の元町に設立されましたが、大火による移転を余儀なくされるという経緯を経て、1937年(昭12年)に、「新島先生脱国記念会堂」として再建され、終戦後に現在地に教会堂が建てられています。
現在の教会堂は1985年(昭和60年)に建てられたものです。





この協会には、新島襄がアメリカへの渡航中に寄港した上海で断髪した際の頭髪が、遺髪として大切に保存されています。
この遺髪は、1937年(昭和12年)、教会堂再建にあたって、同志社教会牧師である堀貞一氏より寄贈されたもので、共に送られた手紙には「先生が愛国の精神に燃えて脱國されたる至誠が、多くの人々に永く良き教訓と相成る事を祈る」の一文があり、今も大切に保管されています。


「函館教会」の場所

「函館千歳教会」の場所
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

函館の爆買い名所になるか?

2016-02-20 15:04:56 | 函館
サツドラ、函館ベイ店3倍に拡張 外国人客増見込む(北海道新聞)


「サツドラ」とは、北海道内でチェーン展開されている「サッポロドラッグストアー」のことで、私もよく利用するのだが、この店舗については、正直、「えっ、いつ開店したの?」と思ってしまった。





これがその店舗。
函館を代表する観光地の一つ、金森赤レンガ倉庫街の一角にあるのだけど、最近は、いつ行っても外国人観光客が多く、とりわけ、中国語を耳にする機会が本当に増えている。
最近は、流行語にもなっている「爆買い」が函館でも見られるようなので、こういう形での集客効果が見込まれるのであれば、函館の街が更に活気づく要素となると思うので、拡張されたらぜひ行ってみようと思います。

因みに、リンク記事にもあるけれど、金森倉庫の一角には、「爆買い」の象徴と言っても過言じゃないような、「ラオックス」の店舗もオープンしているので、新幹線が開業され、サツドラも拡張されるとなると、ますます爆買いに拍車がかかりそうな、そんな気がします。





倉庫街の一角には、こんな表示もありました。
わかるんだけど、何で日本語だけなのかな?中国語や英語でも表記すればいいのに。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新島襄と函館

2016-02-20 09:01:31 | 函館



ベイエリアの一角に、このような像があります。
これは一体・・・?





数年前、大河ドラマで一躍脚光を浴びた、同志社の創立者として知られる新島襄。
そのブロンズ像が、こうしてベイエリアに設置されています。





拡大して一枚。





続いて遠巻きに一枚。
向こうに見えるのは、三年前、GLAYの野外ライブが開催された「緑の島」です。





続いて、ベイエリアを西へ歩いていくと、こんな案内標識が。





この通りの一番向こうに、何やら碑のような物が見えますね。











そうなんです。
実は新島襄にとって函館(箱館)は、深い縁のある地なのです。
同志社の創立者として、その教育理念の基礎となるキリスト教を信仰し、そしてアメリカへと渡る起点となったのが、ここ箱館なのです。

新島襄(本名・七五三太[しめた])は、アメリカへの夢を日に日に募らせる中、21歳だった1864年、五稜郭の設計者として知られる武田斐三郎の「諸術調所」に入門する名目で、幕府から監視の目が届きにくいと目論んだ箱館へやってきました。
実際のところ、江戸に戻っていた斐三郎とは会えずじまいでしたが、箱館で知り合った澤辺琢磨という人物から、イギリス人経営の外国商館で支配人だった福士宇之吉(後の成豊)を紹介してもらい、箱館-上海間を航行するアメリカ船での脱国を企てます。
これは所謂密航でしたが、計画は成功。辿り着いたアメリカで多くのことを学んだ襄は、十年後に無事帰国して横浜でキリスト教を広め、1877年(明治10年)に同志社を創立しました。





この碑は設置されているのは、襄が脱国した、かつての外国人居留地の岸壁だったところ。
写真にある、「緑の島」に架かる橋は、「新島橋」と名付けられています。





通りの入口にある案内表示板。
この周辺の歴史が記載されていますので、函館観光の際は、ぜひ参考にしてみて下さい。


ブロンズ像の場所


海外渡航の地碑の場所
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ほのぼの検索ワード

2016-02-19 22:52:32 | 日々のもろもろ
「じゅうおうじゃーいべんとおびひろ」

こんな検索ワードがありました。

PCを覚えたてのお子さんかな?(大きいお友達と言う可能性もなくはないが)
だとすれば、本当にヒーローものが好きなお子さんの純粋な気持ちが表れていていいなと思います。

ただ、この検索ワードで一体どの記事が引っかかったのか気になったので自分でもやって見たところ、引っかかったのは特定の記事ではなく、当ブログそのものでした。
こないだの日曜日にジュウオウジャー第1話の感想を書いたことと、同じくこないだ、カレーに関するお題に参加した際に、帯広のカレーショップについて書いたことで、短い期間に、「ジュウオウジャー」「帯広」というワードが登場していることから、この検索ワードで当ブログがヒットしたということなのだろうと思います。
様々なワードが思いもよらぬ形でヒットするというのも、検索というものの面白い所だと思います。


その他、最近の興味深い検索ワード。


①「新幹線大爆破特撮撮影」

「大戦隊ゴーグルファイブ」でありましたなそんなシーンが。
爆破されているのは東海道山陽新幹線で、「ひかり」か「こだま」かはわからないけれど、大変迫力あるシーンに仕上がっていると思いました。
技術面では今の方が無論レベルが高いけれど、迫力と臨場感のある見せ方という点では、むしろ当時(三十四年前)の方が優っていたようにも思いますね。


②弥生私はアミィとソウジ

「獣電戦隊キョウリュウジャー」に関するワードだけど、このワードだけだと、正直(?)ですね・・・。
因みに、検索サイトはGoogleで、引っかかったのは、これまた特定の記事ではなく「スーパー戦隊」のカテゴリでした。


③「10年ぶりデカレンジャー 謎の女優」

「謎の女優」と来ましたか・・・。
確かにジャスミンは謎めいた存在だけど、木下あゆ美さんご自身は、別に謎めいてなどいない、ごく普通の女性だと思いますがね・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする