再び、「公共性」について。
「社会化」という制度による囲い込みは、むしろ「公共性」のありかを隠す場合がある。
「人為」という概念も、人間の営みはまあ全て「人為」っちゃあ「人為」で、それ以外の残余を「自然」って呼べば、
「人為」vs「自然」
という二項対立は一見成立するけれど、「公共性」を考える上では、
「社会化」という概念も、「人為」と「自然」を対立させる考え方も、むしろ邪魔になることがあるのではないだろうか。
ここで「公共性」についてこだわっておきたいのは、「開かれている」という視点である。
そう、だから「私的」vs「公共的」という二項対立も、今はあまり役に立たない考え方、として扱っておきたいのだ。
「公共事業」とかいっても結局は一部業者のためで、実際に公益性の観点からみてどうかと思う、なんてこともある。
復興を促進するという公益性の観点から、津波の災害にあった地区の土地やがれきなどの「私有」を制限する、なんて議論も持ち上がっている。
「公共的なるもの」
をどう捉えるか。それは、「開かれた空間」をどう確保するか、ということと密接に関わっているのではないか、というのがとりあえずの仮定、かなあ。
つまりね、東電が社会的制度の狭間で「私化」していた原発が、事故によって(それ自体は大変不幸なことだけれども)空間的に「開かれたもの」になってしまった。
結果として、「私化」していた、いわば「人為」の極みであるはずの原子力発電所が、大震災に関わる諸条件、つまり「自然」によって大きな「裂け目」を与えられ、「原発事故」と化し、そのことによって「公共的なるもの」の相貌を露わにしたのである。
そんなものは「開かれたもの」になる必要はこれっぱっかりもなかった、と考えることはできる。
でも、やろうとして「人為」がそれを行ったわけではなくて、「自然災害」がきっかけになってそうなった。
とはいえ、それは「人為」の極北においてそれが「自然」の極限的状況と出会うことによって、初めて周囲にその「全容」を現したのも事実。
つまり、この問題は「人為」と「自然」の「コラボ」なわけです。
津波の被害も同じことが言える。
海沿いに住まなければ、みんなが高台に住んでいれば、津波で住居がさらわれることもなく、人命が奪われることもなかった。それはみんな痛いほど分かっている。
でも、どう考えても、漁師の人が山から1時間かけて通勤してくるってわけにはいかない。
あるいは、昔から慣れ親しんだ土地から離れるわけにもいかない。
水揚げされた水産物を加工するのに、港のすぐそばにかまぼこ工場がなくてどうする。
自然は、人間の営みの上に降り注いで初めて「災害」という「裂け目」を私達の瞳につきつけてくるのだ。
グランドキャニオンを見ても、「自然の驚異」とは感じても、「自然の脅威」とは決して思わないだろう。
私達はあくまで「人為」の内側に、「自然の猛威」を感じ取るのである。
「人為」が裂け目を現すその瞬間にこそ、「社会化」され「功利的」に組み立てられた「人為」を超えた、「公共的なるもの」を、負の形で感得することになるのである。
むろん、「私的」なもの、他者とのつながりを欠いたもの、に対して「公共的なるもの」が想像され、また営まれてきた側面はあるだろう。
「共同性」
もまた、「私」と対置される概念であり、ある面では「公共性」を担う場面もあるのだろうと思う。
しかし、「公共的なるもの」を、ここでは敢えてずっと「負」の側面から論じている。
「公共的なるもの」などとミスリードなことを言わず、日常性の崩壊、生活基盤の喪失、未曾有の大震災、と言った方がずっとずっと分かりやすいですよねえ。
でも、そうなると、たぶん、生活基盤の手当=復旧=「日常性の回復」=忘却装置の再起動
ってことにしかならない。
それを拒みたいのだ。
なぜなら、その日常性という忘却装置の駆動こそが、原発事故がこんな形で起こるまで、本来「公共的なるもの」の最たる案件であるべき「原子力発電所の問題」が、自分の日常以外の誰かの問題と化した原因の一つである、と思うからだ。
原発事故が起こるとは全く思っても見なかったのに
安全だと言われて安心していたのに。
こんな風になると分かっていたら反対していたのに。
もしもし、ですよねえ。
少なくても、「フクシマ」の住民は、薄々、一端ことがおこったら「やばいぜ」ってのはどっか肌で感じていたはず。
でも、日常性への回帰という忘却装置の駆動は、強力だったのです。
薄々感づいてはいても、まあ、いつ起こるか分からないし、ってことは明日までは大丈夫かもしれないしね、みたいな。
もちろん、電源立地の法律による補助金ドーピングもそこにはあり、過疎地の雇用創出という現実もあり、実際割と「地震」には強かった、という説もまんざら嘘ではなかったりもし(日本の地震に津波はつきものじゃーん、そしてチリ地震みたいな遠いのだってけっこうな波だったんだから、近場ででかいのおこったらやばくね?ってのは後から考えればほぼ当たり前みたいなのにね……)、さまざまいろいろ忘却要素はあったわけですが。
その社会化し、私化し、日常化した空間を「公共的なるもの」に再起動してくれたのは、
皮肉にも
「人為=&≠自然」としての大震災であり、原発事故であったわけです。
「開かれている」ということは「地獄」にも開かれているってことなわけですね。
「死」にも開かれている。
だから、「人為」はそれを「社会化」し「制度化」し「日常空間」に取り込んでなんとか「閉じた」ものにしようとしてしまった。
「人為」が「閉じた」営みであることが当たり前になってしまったのはいつからなんだろう?
そういうことも考える必要がある、と思うのです。
人の営みはもともと、そんなに「閉じた」ものではなく、「公共的」なものだったのではないか。
「共同性」とか「国家」とかに簡単に回収しようとするのはたぶん無理なんじゃないかなあ。
そのあたりをうろうろ考えたいってことなわけです。
ちょっと立ち止まってぐだぐだしてみました。
参考図書『公共性』齋藤純一(岩波書店)
「社会化」という制度による囲い込みは、むしろ「公共性」のありかを隠す場合がある。
「人為」という概念も、人間の営みはまあ全て「人為」っちゃあ「人為」で、それ以外の残余を「自然」って呼べば、
「人為」vs「自然」
という二項対立は一見成立するけれど、「公共性」を考える上では、
「社会化」という概念も、「人為」と「自然」を対立させる考え方も、むしろ邪魔になることがあるのではないだろうか。
ここで「公共性」についてこだわっておきたいのは、「開かれている」という視点である。
そう、だから「私的」vs「公共的」という二項対立も、今はあまり役に立たない考え方、として扱っておきたいのだ。
「公共事業」とかいっても結局は一部業者のためで、実際に公益性の観点からみてどうかと思う、なんてこともある。
復興を促進するという公益性の観点から、津波の災害にあった地区の土地やがれきなどの「私有」を制限する、なんて議論も持ち上がっている。
「公共的なるもの」
をどう捉えるか。それは、「開かれた空間」をどう確保するか、ということと密接に関わっているのではないか、というのがとりあえずの仮定、かなあ。
つまりね、東電が社会的制度の狭間で「私化」していた原発が、事故によって(それ自体は大変不幸なことだけれども)空間的に「開かれたもの」になってしまった。
結果として、「私化」していた、いわば「人為」の極みであるはずの原子力発電所が、大震災に関わる諸条件、つまり「自然」によって大きな「裂け目」を与えられ、「原発事故」と化し、そのことによって「公共的なるもの」の相貌を露わにしたのである。
そんなものは「開かれたもの」になる必要はこれっぱっかりもなかった、と考えることはできる。
でも、やろうとして「人為」がそれを行ったわけではなくて、「自然災害」がきっかけになってそうなった。
とはいえ、それは「人為」の極北においてそれが「自然」の極限的状況と出会うことによって、初めて周囲にその「全容」を現したのも事実。
つまり、この問題は「人為」と「自然」の「コラボ」なわけです。
津波の被害も同じことが言える。
海沿いに住まなければ、みんなが高台に住んでいれば、津波で住居がさらわれることもなく、人命が奪われることもなかった。それはみんな痛いほど分かっている。
でも、どう考えても、漁師の人が山から1時間かけて通勤してくるってわけにはいかない。
あるいは、昔から慣れ親しんだ土地から離れるわけにもいかない。
水揚げされた水産物を加工するのに、港のすぐそばにかまぼこ工場がなくてどうする。
自然は、人間の営みの上に降り注いで初めて「災害」という「裂け目」を私達の瞳につきつけてくるのだ。
グランドキャニオンを見ても、「自然の驚異」とは感じても、「自然の脅威」とは決して思わないだろう。
私達はあくまで「人為」の内側に、「自然の猛威」を感じ取るのである。
「人為」が裂け目を現すその瞬間にこそ、「社会化」され「功利的」に組み立てられた「人為」を超えた、「公共的なるもの」を、負の形で感得することになるのである。
むろん、「私的」なもの、他者とのつながりを欠いたもの、に対して「公共的なるもの」が想像され、また営まれてきた側面はあるだろう。
「共同性」
もまた、「私」と対置される概念であり、ある面では「公共性」を担う場面もあるのだろうと思う。
しかし、「公共的なるもの」を、ここでは敢えてずっと「負」の側面から論じている。
「公共的なるもの」などとミスリードなことを言わず、日常性の崩壊、生活基盤の喪失、未曾有の大震災、と言った方がずっとずっと分かりやすいですよねえ。
でも、そうなると、たぶん、生活基盤の手当=復旧=「日常性の回復」=忘却装置の再起動
ってことにしかならない。
それを拒みたいのだ。
なぜなら、その日常性という忘却装置の駆動こそが、原発事故がこんな形で起こるまで、本来「公共的なるもの」の最たる案件であるべき「原子力発電所の問題」が、自分の日常以外の誰かの問題と化した原因の一つである、と思うからだ。
原発事故が起こるとは全く思っても見なかったのに
安全だと言われて安心していたのに。
こんな風になると分かっていたら反対していたのに。
もしもし、ですよねえ。
少なくても、「フクシマ」の住民は、薄々、一端ことがおこったら「やばいぜ」ってのはどっか肌で感じていたはず。
でも、日常性への回帰という忘却装置の駆動は、強力だったのです。
薄々感づいてはいても、まあ、いつ起こるか分からないし、ってことは明日までは大丈夫かもしれないしね、みたいな。
もちろん、電源立地の法律による補助金ドーピングもそこにはあり、過疎地の雇用創出という現実もあり、実際割と「地震」には強かった、という説もまんざら嘘ではなかったりもし(日本の地震に津波はつきものじゃーん、そしてチリ地震みたいな遠いのだってけっこうな波だったんだから、近場ででかいのおこったらやばくね?ってのは後から考えればほぼ当たり前みたいなのにね……)、さまざまいろいろ忘却要素はあったわけですが。
その社会化し、私化し、日常化した空間を「公共的なるもの」に再起動してくれたのは、
皮肉にも
「人為=&≠自然」としての大震災であり、原発事故であったわけです。
「開かれている」ということは「地獄」にも開かれているってことなわけですね。
「死」にも開かれている。
だから、「人為」はそれを「社会化」し「制度化」し「日常空間」に取り込んでなんとか「閉じた」ものにしようとしてしまった。
「人為」が「閉じた」営みであることが当たり前になってしまったのはいつからなんだろう?
そういうことも考える必要がある、と思うのです。
人の営みはもともと、そんなに「閉じた」ものではなく、「公共的」なものだったのではないか。
「共同性」とか「国家」とかに簡単に回収しようとするのはたぶん無理なんじゃないかなあ。
そのあたりをうろうろ考えたいってことなわけです。
ちょっと立ち止まってぐだぐだしてみました。
参考図書『公共性』齋藤純一(岩波書店)