龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
いわきFCの応援とキャンプ、それに読書の日々をメモしています。

4月26日(火)のこと<社会的・共同体的であることが「公共性」を隠蔽する>

2011年04月26日 23時59分04秒 | 大震災の中で
再び、「公共性」について。

「社会化」という制度による囲い込みは、むしろ「公共性」のありかを隠す場合がある。

「人為」という概念も、人間の営みはまあ全て「人為」っちゃあ「人為」で、それ以外の残余を「自然」って呼べば、
「人為」vs「自然」
という二項対立は一見成立するけれど、「公共性」を考える上では、
「社会化」という概念も、「人為」と「自然」を対立させる考え方も、むしろ邪魔になることがあるのではないだろうか。

ここで「公共性」についてこだわっておきたいのは、「開かれている」という視点である。

そう、だから「私的」vs「公共的」という二項対立も、今はあまり役に立たない考え方、として扱っておきたいのだ。

「公共事業」とかいっても結局は一部業者のためで、実際に公益性の観点からみてどうかと思う、なんてこともある。

復興を促進するという公益性の観点から、津波の災害にあった地区の土地やがれきなどの「私有」を制限する、なんて議論も持ち上がっている。

「公共的なるもの」

をどう捉えるか。それは、「開かれた空間」をどう確保するか、ということと密接に関わっているのではないか、というのがとりあえずの仮定、かなあ。

つまりね、東電が社会的制度の狭間で「私化」していた原発が、事故によって(それ自体は大変不幸なことだけれども)空間的に「開かれたもの」になってしまった。

結果として、「私化」していた、いわば「人為」の極みであるはずの原子力発電所が、大震災に関わる諸条件、つまり「自然」によって大きな「裂け目」を与えられ、「原発事故」と化し、そのことによって「公共的なるもの」の相貌を露わにしたのである。

そんなものは「開かれたもの」になる必要はこれっぱっかりもなかった、と考えることはできる。
でも、やろうとして「人為」がそれを行ったわけではなくて、「自然災害」がきっかけになってそうなった。
とはいえ、それは「人為」の極北においてそれが「自然」の極限的状況と出会うことによって、初めて周囲にその「全容」を現したのも事実。

つまり、この問題は「人為」と「自然」の「コラボ」なわけです。

津波の被害も同じことが言える。

海沿いに住まなければ、みんなが高台に住んでいれば、津波で住居がさらわれることもなく、人命が奪われることもなかった。それはみんな痛いほど分かっている。
でも、どう考えても、漁師の人が山から1時間かけて通勤してくるってわけにはいかない。
あるいは、昔から慣れ親しんだ土地から離れるわけにもいかない。
水揚げされた水産物を加工するのに、港のすぐそばにかまぼこ工場がなくてどうする。

自然は、人間の営みの上に降り注いで初めて「災害」という「裂け目」を私達の瞳につきつけてくるのだ。

グランドキャニオンを見ても、「自然の驚異」とは感じても、「自然の脅威」とは決して思わないだろう。
私達はあくまで「人為」の内側に、「自然の猛威」を感じ取るのである。
「人為」が裂け目を現すその瞬間にこそ、「社会化」され「功利的」に組み立てられた「人為」を超えた、「公共的なるもの」を、負の形で感得することになるのである。

むろん、「私的」なもの、他者とのつながりを欠いたもの、に対して「公共的なるもの」が想像され、また営まれてきた側面はあるだろう。

「共同性」

もまた、「私」と対置される概念であり、ある面では「公共性」を担う場面もあるのだろうと思う。

しかし、「公共的なるもの」を、ここでは敢えてずっと「負」の側面から論じている。

「公共的なるもの」などとミスリードなことを言わず、日常性の崩壊、生活基盤の喪失、未曾有の大震災、と言った方がずっとずっと分かりやすいですよねえ。

でも、そうなると、たぶん、生活基盤の手当=復旧=「日常性の回復」=忘却装置の再起動
ってことにしかならない。

それを拒みたいのだ。
なぜなら、その日常性という忘却装置の駆動こそが、原発事故がこんな形で起こるまで、本来「公共的なるもの」の最たる案件であるべき「原子力発電所の問題」が、自分の日常以外の誰かの問題と化した原因の一つである、と思うからだ。

原発事故が起こるとは全く思っても見なかったのに
安全だと言われて安心していたのに。
こんな風になると分かっていたら反対していたのに。

もしもし、ですよねえ。

少なくても、「フクシマ」の住民は、薄々、一端ことがおこったら「やばいぜ」ってのはどっか肌で感じていたはず。
でも、日常性への回帰という忘却装置の駆動は、強力だったのです。
薄々感づいてはいても、まあ、いつ起こるか分からないし、ってことは明日までは大丈夫かもしれないしね、みたいな。

もちろん、電源立地の法律による補助金ドーピングもそこにはあり、過疎地の雇用創出という現実もあり、実際割と「地震」には強かった、という説もまんざら嘘ではなかったりもし(日本の地震に津波はつきものじゃーん、そしてチリ地震みたいな遠いのだってけっこうな波だったんだから、近場ででかいのおこったらやばくね?ってのは後から考えればほぼ当たり前みたいなのにね……)、さまざまいろいろ忘却要素はあったわけですが。

その社会化し、私化し、日常化した空間を「公共的なるもの」に再起動してくれたのは、
皮肉にも
「人為=&≠自然」としての大震災であり、原発事故であったわけです。

「開かれている」ということは「地獄」にも開かれているってことなわけですね。
「死」にも開かれている。

だから、「人為」はそれを「社会化」し「制度化」し「日常空間」に取り込んでなんとか「閉じた」ものにしようとしてしまった。

「人為」が「閉じた」営みであることが当たり前になってしまったのはいつからなんだろう?

そういうことも考える必要がある、と思うのです。

人の営みはもともと、そんなに「閉じた」ものではなく、「公共的」なものだったのではないか。
「共同性」とか「国家」とかに簡単に回収しようとするのはたぶん無理なんじゃないかなあ。

そのあたりをうろうろ考えたいってことなわけです。
ちょっと立ち止まってぐだぐだしてみました。

参考図書『公共性』齋藤純一(岩波書店)







公共性と共同性の差

2011年04月26日 22時20分46秒 | 大震災の中で
学校は、いちおう地方公共団体の管轄下にあるから、お役所の出先現場だ。
だから全ては文部科学省が決めた枠組みの中で動く。
放射線量の安全基準もだから、お上から降ってくる。
それはまあいい。

でも、学校の全てがそのシステムで動くわけじゃない。

原発事故も、文部科学省の基準に従って爆発してくれるわけじゃあない。

このとき、「公共的」なるものは、どこに発現しているのか、という問いを問いたかっただけだ。

学校は役所の手下だから、全てはその通りに動くよりほかにない「社会的制度」に過ぎない。

しかし、保護者は、そして生徒は違う。

人為の共同性を圧倒的な力でまたぎ越して降り注ぐ、原発事故による飛散放射能もまた、違う。

学校は現在、「社会的制度」の産物で、「公共性」とはむしろ遠いところに置かれている側面がある。
「公共性」はむしろ災害の側にあって、学校は「社会的制度」に支えられた「共同性」のお約束の上でしか機能していないように思われるのだ。

だからもどかしい。

今、圧倒的に「公共的なるもの」の源泉は、大震災と原発事故の側にある。

そして、保護者も生徒もその「人為=&≠自然」という「公共的なるもの」と、じかに向き合わされている。

いくら政府の指示を待っていても、それはほぼ遅れてしか立ち上がらない。
だからといって、無視できるわけではない。
私達の目の前の事件は、単なる「社会的事件」ではないけれど、単なる「天然自然の驚異」でもないからだ。

「人為=&≠自然」

とか、

「公共的なるもの」の源泉

とかいったこなれない言葉で敢えて、大震災や原発事故を敢えてすくい取ろうとするのは、人為と自然の裂け目に、私達は今もっと茫然として瞳を凝らすべきだと、真剣に考えるからだ。

答えは、もちろんそこにはない。
問いかけることばも、私達は持たない。
ただ、茫然として見つめる。無視はとうていできない。命がけの出来事なのだから。

そういうとてつもない事件の現場にいるのだということを、啓蒙する義務があるように思うのだ。
誰に頼まれたわけでもないのに、ね。

今日、東浩紀が「原発20キロ圏で考える」という記事を朝日新聞(2011.4.26火曜日 12版 文化欄)に寄稿していた。
記事の末尾ちかくの、二つの言葉が印象に残ったので引用しておく。

(引用その1)
「町を捨てるとは、単なる人口の移動ではない。それら無形の財産を無残に破壊し放棄することを意味している。(中略)、取材を経て、今後原発のコストを巡る議論には以上のような「喪失」を算入する方法を考え出してほしいと、それだけは切に願うようになった。喪失の大きさを忘却したところに、復興も希望もありえない。」

(引用その2)
彼(福島県在住の詩人:FOXYDOG注)がふと漏らした「ぼくたちはどこかでこの事態を予感していたと思う」との言葉が、いまも心にのしかかっている。

二つとも同感。しかし、引用1についていえば、それはどうしてもソロバン勘定には乗らないものでしょう。
「町一つが消える」
っていうのは、ほぼ「小説的想像力」=「妄想」に近い。

この場合、津波自体が町を飲み込んだわけではなく、原発の事故自体が町を焼き尽くしたわけではない。

「人為=&≠自然」

「町一つが消える=町一つを消した」
のだ。

人間の営みが自然の摂理と出会い、引き裂かれて空白の闇、時空間の凍結をもたらしてしまったのである。

引用2については、

むしろ私にとっては、

「いったい福島県に住む者の誰が、この事故を『考えもしなかった』と言えるだろうか」

という反語の方が身に寄り添う表現なのだが、指し示そうとする→については深く同意する。


私達は原発がそこに稼働している限り、今日のように「町一つが消える」という事態を、全く想像しないでいられるほど愚かではなかったと思うし、他方、その想像だけを頼りに原発を否定できるほどナイーブでもなかった。

遠く離れた人なら、本当に「想定外」とか「知らなかった」とかということも可能かもしれない。
原発賛成とか反対とかも議論できよう。

でも、福島県の住民にとって、今日の事態は、そんなに予想だにできなかった天から降ってきたようなあり得ない事故、ではないんじゃないかな。

そういう意味では、詩人の言葉はすこし飾りが過ぎるだろう。

「予感」、じゃなくて「想像の範囲内」だと思うよ。

想像の範囲内なのに、止めることができなかった「人為=&≠自然」の姿を、だからせめて、茫然としてでも、手遅れになりつつも、瞳を凝らそう、と思うのだ。


もし、詩人が本気で「予感」と言ったとしたら、彼は瞳を逸らしていた、というだけのことだろう。
詩人の言葉は、そういう形で力を発揮してはならないと思うのだが、余計なお世話だろうか。

単なる訪問者に過ぎない東浩紀氏が引用してみたくなる気持ちは分からないでもないけれど。

「分かっていたはずなのに
後になってからしか予感できないことがある」

っていうのなら、賛成に一票。