龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCの応援、ソロキャンプ、それに読書、そしてコペンな日々をメモしています。

4月14日(木)のこと<カゴメさんありがとう、というべきなのかもしれないけれど>

2011年04月14日 00時07分58秒 | 大震災の中で
カゴメさんありがとう、というべきなのかもしれないけれど。

カゴメが、契約していた福島県のトマト農家に対して買い付け額の1/3の資金援助を行い、今年度は買い付けをしないものの、来年へむけて事業の継続に役立ててほしい、という申し出をした、という報道があった。

ちなみにデルモンテもそれについては検討中、とのこと。

福島の農家をバッサリと切りっぱなしにするのではなく対応してくれたことは、福島県人として素直に感謝したい。

ただ、欲深いことを言わせてもらえば

「自分たちが生殺与奪の権を握っている」

ことがあからさまな順序、

つまり「奪っておいて与える」という身振りじゃなかったらよかったのにね、とつくづく思う。

朝三暮四の話をしたいわけではない。前にいった尊厳の問題として。

必ずしもカゴメさんに限らず、とりあえずより少なく表現してより多くコントロールしたい「欲望」に振り回されて、結果として出来損ないの
「後出しじゃんけん」
みたいになっちゃう危険をさいきんよく感じる。

そういうのは、お互いのために不幸じゃないか。

本気で言葉も金も手間も小出しに出し惜しみして、陰でこそこそうまくやりたい、というならそれはもう論外なんだけど、必ずしもそんなつもりじゃなくて、でも結果として拙いことになっちゃう役立たずの「少し足りない誠実さ」って現象、多いと思う。

もし「奪ってからより少なく与える」という順番自体が、ちゃんとマネージメントされた権力行使のための身振りだとしたなら(つまりはそういう確信犯だとするなら)、もはやコメントするだけ野暮というものかもしれないけど……。


にしてもやっぱりさ、自分たちの権利や権力行使を感じさせるような(あるいは倫理的な意識の不足を露呈するような)身振りを、踏んだり蹴ったりフルボッコ状態的「フクシマ」に対してことさらつきつけなくてもいいだろうにね。

あれ、倫理とは表現問題なのか?
と自問してしまいそうな話ではあるけれど、書いておきます。