龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
いわきFCの応援とキャンプ、それに読書の日々をメモしています。

4月23日(土)のこと(その2)<「日常性」という忘却装置に身を寄せずに生きる術>

2011年04月23日 18時03分47秒 | 大震災の中で
 週末、家の年寄りと一緒に長野方面の温泉にいくつもりだった。
 しかし、年寄りも自分も風邪を引いてしまい、旅行はあえなくボツ。

 キャンセル料を支払うために送ってもらった書類は、被災地のため届かずに返送されてしまった、と旅館から電話があった。

 郵便ポストには、ぼちぼちダイレクトメールやらはがきやらが届き始めているので、「返送されてしまった」と言われたのには少々驚いた。
 繋がっている、と思っていたネットワークが実はどこかに綻びがあって、自分の居る場所はその「外部」として扱われているのだ、と知ると、なにやら得たいの知れない疎外感が生じる。
 ま、被災地気分が蘇る、ということで、それはそれで「自覚」が促される効果はあるんですがね(苦笑)。

 でも、市内の郵便物や、損保会社からの地震保険の損害調査の書類は届いている。
 長野からの手紙はブロックされてるのかなあ……。

 自粛とか意味が分からない。
 被災者だって酒飲みはするし、花見もする。普通の人はなおさらだろう。

 東日本大震災と福島第一原発事故の傷跡は、自粛するしない程度の小さな出来事ではないしね。
 ずっと、これからの日本を考える上では、通奏低音のように底流に流れ続けていく「事件」だから。

 そういう意味では、私達の基盤を根底から考え直させる「力」のある出来事として、捉え直していけばいいのだろうと思うし、そうしていくしかない。

 お風呂に入り、水を使い放題にしているとき、ふとあの断水の(併せて)10日間ぐらいの日々を思い出す。
 雨が降ると、原発事故で未だ飛散し続けている放射能を思い出す。
 海岸線を走ると、あの恐ろしい壊滅した住宅地が瞳の奥に蘇る。

未だ避難所で生活している家をなくした方々に比べたら被災者とは呼べないような、無事家に住んでいる自分でも、3/11以前と以後では、決定的に物事を見る角度が変わってしまった。
自分は、あのとき以前にはもう戻らないのだ、と分かる。

これから先、残された時空間をどう生きていくのか。
それが幸いなのか不幸なのか、いいことなのか悪いことなのか、という二分法じゃなくて、否応なく選択してしまった後、選択させられてしまった後、を私は、わたしたちは生き始めてしまっている。

家は余震で揺れ続け、隣近所ではもう住めない家も出てきた。
雨漏りが次第にひどくなる家もあると聞く。
同僚の家も、3/11の時は無事に見えたのに、傾きがしだいに大きくなってきて、ビー玉が転がるようになった。
まだ住むことが出来ている自分の家も、壁のひび割れはどんどん大きくなっている。

薄膜の上に、それが堅固な大地だと勘違いして安穏と生きてきた時は、私にとっては終わった。
ノマド的な生き方、にすぐ乗り換えられるわけではないけれど、私はもともとこの土地の住人でもない。
また、どこかに移住することも考慮に入れることはできる。
そこからもう一歩進んで、動きつつ生きる、といった感覚を持ってもいいのかもしれない。

1000年に一度の災害を「考慮」していたら何もできない。
だから、何事もなかったように、何も変えずに生きていく、とうそぶく人もいる。

それはそれでいいだろう。私は、そんな風に生きられる人が正直羨ましくもある。
だって、こんなに大きな「世界」の変化を目の当たりにして、
「何もなかった日常」=「劇場」=「箱庭」
のみを、自分の世界像として改めて選び直す頑固さは、信じられないものね(苦笑)。

それでもフクシマ第一原発は、リアルタイムで危険をはらみつつ発熱し続けているのです。

この決定的な変化について、慌てずに私にしては珍しく「粘って」考えていきたい。



4月23日(土)<「爆発の危険」は続いている>

2011年04月23日 17時18分35秒 | 大震災の中で
昨夜から雨が降り続いている。
桜の咲く頃の暖かい春の雨は心地よいものだが、今年はそうのんびりしたこともいえない。
いちいち原発と結びつけて考えなければならない状態が続いていて、それが相当なストレスになっている、と気づかされる。

考えてみれば、不信は、水素爆発の時に始まっている。あの爆発によって飛散した放射能の影響により、何のアナウンスもないまま、福島市や飯舘村は高い放射線量を記録した。
そういう状況を放置しておいて、十分な説明もないまま、IAEAの勧告があってさえ、現況安全だ、といいはっておいて、結局は避難の強要である。

今回の学校に対する国の活動基準も、大人の基準をそのまま当てはめ、何の対策も採らなくても学校が始められる程度に基準を設定して「安全」だと宣言して見せただけのことではないのか?

十分な説明なく大丈夫だといわれたあげくに避難させられることになった飯舘村の二の舞にならないと、どうやって信頼できるというのか。

真面目に、このストレスと日々向き合っている市民と真剣に向き合って対話してほしい。

例えば、原発事故がまだ落ち着いていない以上、もしあの水素爆発が再度起こったら、どうすればいいのか、せめてそのときの対応ぐらいシミュレーションして市民に示す義務が行政側なはあるのではないか?

学校は安全だ、とばかりいってこどもを学校に縛り付けるのは勘弁してほしいものだ。

もし、福島第一原発であの爆発がまた起こったら、また安全だといいはった挙げ句の果てに、やっぱりごめんなさいするのかしらね。
水温が上がれば、再度の爆発は避けられない。
懸念材料として検討・説明が必要だとは思わないのだろうか。
安全なはずのものが「想定外」に大事故をひきおこしたのであれば、それにふさわしい慎重さで事後の対応はなされてしかるべきだろうに。