昨日は勤務校の入学式だった。
あいにくの雨で、保護者の晴れ着も駐車場にした校庭の泥で台無しになってしまいました。
私も警備係で外に立ってクルマの誘導をしていたら、風邪を引いてしまったようで、昨夜はもう夕方から寝込んでいました。
熱はないけど咳がひどい。
病気をしてベッドで寝込んでいると、外側で大変なことが起こっていても、何やら今ひとつリアリティが感じられず、ついつい自分の体調にかまけてしまう。
そういうものかもしれない。
ただ、今ここで自分の周辺に起こっていることばかりではなく、地域や世界に起こっている事件について耳をそばだてていなければならない、という「緊張感」は、あきらかに3/11以降頭から離れたことはないのも事実だ。
今だに続く余震もそうだし、万一福島第一原発に爆発が起こった場合、どうやってその瞬間の風向きとか強さとかの情報を手に入れられるか否かで、自分の人生は大きく分かれてしまうのだから。
考えてみれば、飯舘村の土地は、シミュレーションのデータ予測を何も知らされないまま、結果として住めないほどの蓄積線量になってしまったわけだし。
経済的な限界がなければ、次回の爆発による放射能飛散まで考えて退避させればいいのかもしれないが、現実のソロバン勘定として福島市30万人といわき市34万人を「避難」させるのは現実的ではないのだろう。
大気中の汚染は確かに逓減している。
だから、私たちいわき市民は、一見「普通」の日常生活に戻ったかのように見える。
しかし、もう一度爆発があれば、そして風向きの如何によっては福島市やいわき市が「飯舘村」の二の舞になるリスクはまだまだ高いと言わねばなるまい。
原発事故の現場では、体力の限界の中で作業員が命がけで闘っていると聞く。
水素爆発の再発が起こらないことを祈りつつ、
我々30キロ権内に隣接した市町村の住民たちは、平たくいうと「緩衝地帯」居住区のような役割を結果として担わされているようなものだ。
つかのまの静けさが、どこまで続くのか。
潜在的な不安を抱えたまま、
「装われた日常生活」
が幕を上げようとしている。
ぶっちゃけた話、いくら安全だ、
とか百曼陀羅聞かせられても、「ストレス死に」しそうだよって感じもするね。
仕方がないから、私たちは「忘却装置」としての日常を生き始めるわけだけれど。
そして、それは、原発が稼働していたころの地域住民の置かれた心理状況と、そんなに変わらないよね。
あいにくの雨で、保護者の晴れ着も駐車場にした校庭の泥で台無しになってしまいました。
私も警備係で外に立ってクルマの誘導をしていたら、風邪を引いてしまったようで、昨夜はもう夕方から寝込んでいました。
熱はないけど咳がひどい。
病気をしてベッドで寝込んでいると、外側で大変なことが起こっていても、何やら今ひとつリアリティが感じられず、ついつい自分の体調にかまけてしまう。
そういうものかもしれない。
ただ、今ここで自分の周辺に起こっていることばかりではなく、地域や世界に起こっている事件について耳をそばだてていなければならない、という「緊張感」は、あきらかに3/11以降頭から離れたことはないのも事実だ。
今だに続く余震もそうだし、万一福島第一原発に爆発が起こった場合、どうやってその瞬間の風向きとか強さとかの情報を手に入れられるか否かで、自分の人生は大きく分かれてしまうのだから。
考えてみれば、飯舘村の土地は、シミュレーションのデータ予測を何も知らされないまま、結果として住めないほどの蓄積線量になってしまったわけだし。
経済的な限界がなければ、次回の爆発による放射能飛散まで考えて退避させればいいのかもしれないが、現実のソロバン勘定として福島市30万人といわき市34万人を「避難」させるのは現実的ではないのだろう。
大気中の汚染は確かに逓減している。
だから、私たちいわき市民は、一見「普通」の日常生活に戻ったかのように見える。
しかし、もう一度爆発があれば、そして風向きの如何によっては福島市やいわき市が「飯舘村」の二の舞になるリスクはまだまだ高いと言わねばなるまい。
原発事故の現場では、体力の限界の中で作業員が命がけで闘っていると聞く。
水素爆発の再発が起こらないことを祈りつつ、
我々30キロ権内に隣接した市町村の住民たちは、平たくいうと「緩衝地帯」居住区のような役割を結果として担わされているようなものだ。
つかのまの静けさが、どこまで続くのか。
潜在的な不安を抱えたまま、
「装われた日常生活」
が幕を上げようとしている。
ぶっちゃけた話、いくら安全だ、
とか百曼陀羅聞かせられても、「ストレス死に」しそうだよって感じもするね。
仕方がないから、私たちは「忘却装置」としての日常を生き始めるわけだけれど。
そして、それは、原発が稼働していたころの地域住民の置かれた心理状況と、そんなに変わらないよね。