龍の尾亭<survivalではなくlive>版

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4月18日(月)のこと<「世の中は地獄のうへの花見哉」一茶>

2011年04月18日 22時10分35秒 | 大震災の中で
始業式で、大震災以来初めて生徒と会った。
様々に大変な事情があるけれど、とにかく全員無事だった。

今日ばかりはなぜかクラスの生徒の顔を見ると思わず顔が緩んでしまう。

中には髪の毛の色が虎のようにまだらになっている子もいたりして、

「暇があるとろくなことをしない」

なんて怒ったりもしたけれど、なんだか彼らの顔を見ると、心底ホッとする。

何のことはない、おそらく私自身が不安だったのかもしれない。

賑やかにおしゃべりしている彼ら彼女らもまた、同じだろう。

クラスの生徒だけを見ても、家が流されたり、余震で家が崩壊し住めなくなってしまったり、避難区域で家に戻れないままだったりしている。

おそらく彼らの人生は、この一ヶ月で決定的に変わってしまった。

一茶の句(「世の中は地獄のうへの花見哉」)ではないが、私たちは牛乳を一端沸騰させ、少し冷めた後表面にうっすらとできる薄い膜のような場所に立っているのかもしれない。

そういう風に世界ができている、ということは、これほどの大惨事が起きて初めて分かる。そういう認識の限界を私たちは持っている。

今はだから、せめてこの獲得した世界像をたやすく抑圧してしまったり忘却しようとしたりせずに、むしろしっかりとこの大変な体験を携えつつ、未来への回路をつなげていってほしい、と切に思う。

沈黙や空元気で性急に日常生活を「召還」するのではなく、しばらくは呆然としていたほうがいい。

目標を持って耐えるのはいいが、抑圧や我慢はできるだけしないでほしい。無意識の中にもっとひどいモノを育てることになりかねないから。

教育の大切な意義って、むしろこういうどえらく大変なときに対応できる適切な身振りを、きちんと習得していくことにあるんじゃないかな。

もちろん、自分たちの人生を決定づけるほどのこんなに大きな出来事は、すぐにはその全容や意味はつかめないに決まっている。

急ぐ必要はないから、今起こっていることをしっかりと瞳を凝らして、見つめておけばいい。

そんな気持ちで彼らを迎えた。

もっとも、学校が被災していて校舎が使えないから、授業は連休明けまで再度休みに入る。

だから、とりあえず、生徒にとっては長い春休みがまだまだ続く、ということなんだけどね(^^;)

3月11日以来の緊張が解けてホッとしたせいか、なんだかかぜをひいてしまった。今日は早く寝るとしよう。