思いついたままのことを毎日記録していこうと心に決めて、3/11からのことを書き続けている。
父親が震災前に入院し、震災後、病院閉鎖寸前のところで亡くなったことも自分にとって大きい出来事ではあった。
が、その「プライベートの一大事」だけだったら、けっしてブログを毎日書こうと考えはしなかっただろう。
また、大震災の被災者というだけのことだったら、私よりも大変な思いをした人はたくさん居るし、考察を発表すべき人も、リアルタイムで報告すべき現場で闘っている人も、他にたくさんいるに違いない。
私が特にゴミを増やすには及ばなかった。
しかし、死に向かおうとする父の姿と、家の瓦が落ち、水も無いところに原発が爆発事故を起こして放射能を飛散させ、圧倒的な破壊をもたらした地震と津波の中で、仕事場である高校も震災被害を受けて立ち入れない状況になったとなると、自分の身の回り全てが非日常の裂け目に放り投げられた状態だと否応なく気づかされる。
そんな中で考えたことをゴミ箱に捨てる反故のようにであっても、毎日書き落としていくことは、とにかく必要だと考えたのだ。
自分にとって?いやいや。
他人のために?まさか。
でも、この現場に立ち合ったときのことを、無力ながら書いておくべきだろう、とは思った。
もう少し筆力があるのなら、お昼ご飯と犬の散歩のことだけ書いていても、この状況の貴重な描写になったのかもしれないが、残念なことに、そういうことは無理。
だから、素朴におもいついた疑問をできの悪い連想ゲームのように続けていくしかなかった。
そうやっているうちに、
「自然」と「人為」の関係に目が行き、
「公共的なるもの」に関心が向いてきた。
あとはやはり「隙間」に瞳を凝らすことの大切さ、かあ。
理屈の整合性ではなく、傍らに立ち続けて「共振」することの大切さを学んだのかもしれない。
「間」、とか「痕跡」、とかずっと言葉はいじってきたけれど、ようやく身をもって生き始めている感触がある。
それを十分説明はまだできていないけれど、自分と世界とを見つめ直す、とてもよい演習の機会を与えてもらったと思う。
そういう意味では、神様に感謝したい。
だからといって、人は幸福からは学べないものだ、などとは思わない。
きっと、私が幸福からきちんと学ぶことができないほど愚かだっただけだ。
それで、今日思いついて、明日には忘れてしまうかもしれないことを一つ、メモしておきたいと思う。
天皇制のこと。
天皇ご夫妻が避難所を訪れ、膝を屈して被災者ごとに耳をそばだてて(お二人ともご高齢、ということもあるのだろうが)話をひたすら聞く姿勢は、私を勇気づける。
でも、その天皇夫妻の姿をみると「日本人が皆癒される」と報道されると、いささかむっとする。
この天皇夫妻、つまり「日本文化」を統べる象徴天皇二代目は、「日本人」にしか通用しないとこの人たちは思っているのだろうか、と。
私にとっては、天皇夫妻の避難所訪問は(むろん日本の宮内庁的政治パフォーマンスの関数に関わるのではあろうが、それでもなお)、「世界」の問題であり、「自然」の問題でもあり、「宗教」の問題でもあるのです。
日本なんていう「共同体」だけに帰属させるには勿体ない。
このあたり、太田光=中沢新一=宮台真司系列の発想、ってことに分類されるのかもしれないけれども、私は「日本」を称揚する共同体主義的な文脈に「絶対化」されてしまうことは、天皇を結果として矮小化する手続きに入ってしまうのでは、と思うのですよねえ。
だって、文化と伝統を司る「王」が、被災民に膝を屈して「共鳴」するのよ。
これは「世界」と「自然」と「人為」の関係を記述するべき宗教性を持つよねえ、どう考えても。
その「力」を「社会」とか「共同体」としての「日本」に回収してはほしくない。
「公共的なるもの」の場所に、この祈りを送り出す手立ては本当にないのか?
スピノザ関係本を2ヶ月ぶりに開いて、連休の始まり、そんなことを考えはじめています。
今、この天皇夫妻の身振りと、日本という「社会」や日本という「共同体」の枠組みだけで受容して終わってしまうことは、東日本大震災を「国難」と捉えるぐらいアナクロだと思ってしまうのです。
勿体ない!
この項、つづく、ですね。
父親が震災前に入院し、震災後、病院閉鎖寸前のところで亡くなったことも自分にとって大きい出来事ではあった。
が、その「プライベートの一大事」だけだったら、けっしてブログを毎日書こうと考えはしなかっただろう。
また、大震災の被災者というだけのことだったら、私よりも大変な思いをした人はたくさん居るし、考察を発表すべき人も、リアルタイムで報告すべき現場で闘っている人も、他にたくさんいるに違いない。
私が特にゴミを増やすには及ばなかった。
しかし、死に向かおうとする父の姿と、家の瓦が落ち、水も無いところに原発が爆発事故を起こして放射能を飛散させ、圧倒的な破壊をもたらした地震と津波の中で、仕事場である高校も震災被害を受けて立ち入れない状況になったとなると、自分の身の回り全てが非日常の裂け目に放り投げられた状態だと否応なく気づかされる。
そんな中で考えたことをゴミ箱に捨てる反故のようにであっても、毎日書き落としていくことは、とにかく必要だと考えたのだ。
自分にとって?いやいや。
他人のために?まさか。
でも、この現場に立ち合ったときのことを、無力ながら書いておくべきだろう、とは思った。
もう少し筆力があるのなら、お昼ご飯と犬の散歩のことだけ書いていても、この状況の貴重な描写になったのかもしれないが、残念なことに、そういうことは無理。
だから、素朴におもいついた疑問をできの悪い連想ゲームのように続けていくしかなかった。
そうやっているうちに、
「自然」と「人為」の関係に目が行き、
「公共的なるもの」に関心が向いてきた。
あとはやはり「隙間」に瞳を凝らすことの大切さ、かあ。
理屈の整合性ではなく、傍らに立ち続けて「共振」することの大切さを学んだのかもしれない。
「間」、とか「痕跡」、とかずっと言葉はいじってきたけれど、ようやく身をもって生き始めている感触がある。
それを十分説明はまだできていないけれど、自分と世界とを見つめ直す、とてもよい演習の機会を与えてもらったと思う。
そういう意味では、神様に感謝したい。
だからといって、人は幸福からは学べないものだ、などとは思わない。
きっと、私が幸福からきちんと学ぶことができないほど愚かだっただけだ。
それで、今日思いついて、明日には忘れてしまうかもしれないことを一つ、メモしておきたいと思う。
天皇制のこと。
天皇ご夫妻が避難所を訪れ、膝を屈して被災者ごとに耳をそばだてて(お二人ともご高齢、ということもあるのだろうが)話をひたすら聞く姿勢は、私を勇気づける。
でも、その天皇夫妻の姿をみると「日本人が皆癒される」と報道されると、いささかむっとする。
この天皇夫妻、つまり「日本文化」を統べる象徴天皇二代目は、「日本人」にしか通用しないとこの人たちは思っているのだろうか、と。
私にとっては、天皇夫妻の避難所訪問は(むろん日本の宮内庁的政治パフォーマンスの関数に関わるのではあろうが、それでもなお)、「世界」の問題であり、「自然」の問題でもあり、「宗教」の問題でもあるのです。
日本なんていう「共同体」だけに帰属させるには勿体ない。
このあたり、太田光=中沢新一=宮台真司系列の発想、ってことに分類されるのかもしれないけれども、私は「日本」を称揚する共同体主義的な文脈に「絶対化」されてしまうことは、天皇を結果として矮小化する手続きに入ってしまうのでは、と思うのですよねえ。
だって、文化と伝統を司る「王」が、被災民に膝を屈して「共鳴」するのよ。
これは「世界」と「自然」と「人為」の関係を記述するべき宗教性を持つよねえ、どう考えても。
その「力」を「社会」とか「共同体」としての「日本」に回収してはほしくない。
「公共的なるもの」の場所に、この祈りを送り出す手立ては本当にないのか?
スピノザ関係本を2ヶ月ぶりに開いて、連休の始まり、そんなことを考えはじめています。
今、この天皇夫妻の身振りと、日本という「社会」や日本という「共同体」の枠組みだけで受容して終わってしまうことは、東日本大震災を「国難」と捉えるぐらいアナクロだと思ってしまうのです。
勿体ない!
この項、つづく、ですね。