monologue
夜明けに向けて
 



わたしのサイトのトップページに置いてある曲の中でプレイボタンの押される数が圧倒的に多い『手をかざしてごらん』 という歌がある。この歌についての思い出を記す。
 以前、西田ひかるさんがNHK教育テレビでやっていた『痛快人間伝』という子供向け番組があった。
マーティン・ルーサー・キング牧師を採り上げた回の再放送をなにげなく見ていると、
涙が溢れだした。その涙は次ぎからつぎへと湧いてきた。
自分の涙腺にこれほどの水が貯まっていたのかと不思議だった。
目から絨毯まで二本の糸になって連なってこぼれた。
そのとき、覚えた感想をつらつら思い出してみると
キング牧師は与えられた役割を見事に果たした、というようなことだった。
今、振り返るとそれが、大の男が嗚咽するほどのこととまでは思えない。
 人は一体、何に感動するのだろう。
心の琴線というものがどこにあり、どんな風にプログラムされていて、いつ、どんなとき、なにがそれに触れるのだろう。
自分自身の感動の仕方でさえ、謎である。
 平成元年(1989)、頚椎損傷の治療後、退院してきたわたしは、
最も初期のヤマハのミュージックコンピュータを使って曲を打ち込んでいた。
この『手をかざしてごらん』という歌を仕上げているとき、
七十代位のご婦人の来訪を受けた。
ご主人が亡くなってから地域の民生委員を引き受けて、あたりのお年寄や病気の方の家を訪問しているという。
色々話していると、今作っている歌を聴きたいというのでコンビューターをカラオケにして歌ってみせた。
歌い終わってご婦人の表情を窺うとなにやらこわい顔をしている。
わたしは不安になって声をかけようかと迷った。
すると突然、うおわぁぁーん、うわわわぁぁぁー、と吠えるような叫び声があがった。
わたしはびっくりして対処に困った。
ひとしきり、叫びが終わって落ち着いた婦人は涙を拭きながら少しはにかんで、
「わたしは、情の強(こわ)い女で何十年も泣いたことがない。
去年、夫が亡くなったときも泣かなんだ」と言った。あれから二十年近く過ぎてあのご婦人は今頃どこでどうされているだろう。もう霊界でご主人とお会いになっているだろうか。
fumio



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