monologue
夜明けに向けて
 



 ボビー・フラーの一行はロサンジェルス到着後、再訪を約束していたDel-Fiレコードのオフィスに新しいテープやレコードを持ち込んだ。ボブ・キーンはフラーの目覚ましい進歩を認めて契約を交わしDel-Fiのスタジオを使用できるようにして、かれらのためにバンドミュージックのレーベル「the Mustang Records」を創設した。そしてかれらはすぐに南カリフォルニアのクラブで演奏を始めた。すると評判を呼び滞米中のキース・リチャードやアメリカントップ40の創始者ケイシー・ケイセム やプロデユーサー、フィル・スペクターなど大物が見に来るようになったのだ。

 それまでかれのレコードはボビー・フラーの個人名でクレジットされてきたのだがボブ・キーンが「デーヴ・クラーク5」のように「ボビー・フラー4」というバンド名に決定した。いよいよ西部テキサスの若者たちがレコードをリリースしたりテレビ出演したり夢の都ハリウッドのショー・ビジネスのまっただ中に飛び込んでゆくのである。
fumio
 

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