やっと、考察に必要な材料は出尽くしたようなのでこれまでの記述をもとに本当に起きたことを推し量ってみる。
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生前のボビーの最後の目撃者であるアパートの管理人は午前三時にかれとビールを飲んでいるので犯行時間は1966年7月18日午前 三時から死体発見時刻午後五時までの14時間の間に特定できるが、そのうち三人の隣人に目撃された白いマスタングのようなスポーツカーがスピードをあげて走っていった時刻、午前四時頃が最も近いと思われる。犯行はボビーのアパートの駐車場では行われなかった。もしそこで胸や肩に打撲傷を負い右人差し指を折るほどの乱闘またはリンチがあったのなら三人の隣人のだれかが痛みを訴えるただならぬ悲鳴を聴いているはず。普通あの町ではそんなことが起きればすぐにだれかが緊急電話911番に電話して夜中でも警察のヘリコプターが飛んでくるのだ。
ボビーと部屋をシェアしている弟 、ランディがボビーは午前1時から2時までの間に出ていって帰って来なかったというのだから午前三時に管理人とビールを飲んでからかれは部屋には戻っていないことになる。すなわちその後犯行が行われた地点に自分の車で出向いたのだ。オールズモビルは家族の車だが母が朝用事で使うかもしれないので私用には使えない。エルパソで新メンバーを募っているときもその車に乗っていたので新メンバー達はボビーの車を認知していたから駐車場にボビーの車がないとわかってドアベルを鳴らしたのだ。
その日、ボビーは自分の車で新たなプロジェクトに反対する影の投資者たちと話しをつけるためにに呼びだされたPJ’sクラブに行った。ボビーはフランクリンアヴェニューを東に走りヒルハーストアヴェニューで右折してキングスウエル通りまで走ってヒルハーストアヴェニュー( Hillhurst Ave,)1751番地にあるPJ's クラブまで走った。奇しくも射殺された日のサム・クックと同じ道を通って…。そこはボビー達のバンドの本拠地で通い慣れているし閉店後なので正装することもない。その時は話せばわかると信じていたのだ。しかしながら投資者たちにとってはタレントは金を儲けるための投資対象であってアーティストではないのである。自分達が見つけ水をやりここまで育てた金のなる木に勝手な行動をとられて商品価値が落ちると困る。投資者たちはなんとかバンドのミーティングまでにボビーを翻意させようとした。それで命令された実行犯たちはボビーを脅し翻意を迫った。もう操り人形ではなく自立しようとしていたボビーはOKせず諍いになった。多勢に無勢で袋だたきにあって胸肩に打撲傷を負い右人差し指も折れた。動かなくなったボビーを見て犯人たちはやりすぎたことに気づいた。そこが殺人事件現場になるのはまずい。死体をマスタングでアパートに運んで自殺にみせかける工作をした。フラー一家の駐車場でテキサス州・エルパソ・ナンバーのかれの家族のオールズモビルを見つけてボビーのキーでドアを開けた。フロントシートに座らせてキーをイグニッションに挿してスタートしようとしているように見せかけてその上に手をおいた。人差し指の折れている手でキーを廻してスタートしようとするはずがないのに。ガソリンをかけて証拠すべて残らないように燃やそうとした。ところがガソリンをかけると車内にガソリンが揮発して充満して呼吸もできないので窓を全部開けた。ブック形マッチを出してで火をつけようとしたが点けた途端爆発して自分も燃えてしまいそうで怖くなってやめてそのままにしてマスタングで逃げた。ドアをキーでロックしていてもカー・ステレオを盗られたり車内の物すべてを盗まれるこの町でロックもしないでドアを閉めただけで駐車場にこの車が置いてあった謎の答えはキーをイグニッションに挿したので逃げる時キーが手になくで外からロックできなかったということである。それが午前四時頃であった。あまり人々に信用されていない検死でガソリンの吸引による窒息が死因というのがもし本当ならこのときボビーはまだ死にきってはいなかったのでガソリンが肺に入ったと思われる。それを検出して死因としたのだろう。
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そんな事件の推移が思い浮かぶ。はたして真相はいずこにあるのだろうか。
fumio
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