monologue
夜明けに向けて
 

食料  


知恵伊豆は1月11日に一揆軍に対してオランダ船のデ・ライブ号に要請して援護射撃をさせて一揆軍を精神的に愕然とさせてから、食料の供給の般入を断ち兵糧攻めに持ち込んだことが功を奏した。そのため2月下旬には原城内の兵糧はほぼ尽きてしまう。
fumio

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


mikata  


安吾によれば、戦死した板倉重昌に代つた松平伊豆守は石火矢台というものを築かせて大砲をすえた。正月十日、オランダ船に海上から砲撃させた。そして二十八日にオランダ船から大砲を借りうけて、石火矢台にすえて射撃した。味方であるべきオランダが大砲を撃って来たことで一揆軍に大きな動揺が起こって戦況が変化したのだった。
fumio



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




小説家坂口安吾によれば、天草島原の乱においてリーダーとなった天草四郎の父益田甚兵衛がプロデュースした一揆軍は原城に十二月朔日(ついたち)から籠城にかかって、十二月廿日(はつか)に戦争が始まり、正月朔日(ついたち)に幕府方の総大将板倉重昌が鉄砲に乳の下を射抜かれて戦死したので知恵伊豆と呼ばれる松平伊豆守が代わって出陣している。それが大きな転機となったのである。
fumio

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )