monologue
夜明けに向けて
 

musasi  


西暦1638~1640年(寛永15年~ 17年)の 島原の乱において原城に立てこもっていた天草四郎ら一揆軍は投石で抵抗したが一見そんなものは役に立たないように思えるが鎮圧に当たった有馬家の客分として剣豪宮本武蔵が養子の伊織とともに出陣している。当時五十七歳頃の武蔵は自分を老足 (ろうそく)と謙遜して有馬家の当主有馬直純に返書として次のような書状をしたためた。
「付尊札(そんさつおぼしめされつけ)忝次第御座候(かたじけなきしだいにござそうろう)随而(したがつて)せがれ伊織儀 御成に立申趣(おやくにたちもうすおもむき)大慶に奉存候(ぞんじたてまつりそうろう)拙者儀 老足 可被成御推量(ごすいりょうなさるべく)候 貴公様 御はた下(もと)様 御家中衆へも手先にて申置(もうしおき)候 殊(こと)に御父子共 本丸迄 早々被成御座候趣(ござならせられおもむき) 驚目申候(きょうもくもうしそうろう) 拙者も石にあたり すねたちかね申故 御目見得にも祗候(しこう)仕(つかまつ)らず候猶重(なほかさねて) 可得尊意候(そんいをうべくそうろう)恐惶謹言」
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つまり言いたいことは
「敵の投石攻撃によって石に当たって、脛も立てないので面会にも行けませんがどうしましょうか」と失礼を詫びているのである。
生涯不敗伝説に彩られる剣豪でさえも四郎側の一揆衆の投石戦法にかなりひるんだようだ。
fumio




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Do not kill another human,
if you were a real human.
fumio

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