西暦1638~1640年(寛永15年~ 17年)の 島原の乱において原城に立てこもって投石作戦で抵抗する天草四郎ら一揆軍の鎮圧に当たった有馬家の客分として剣豪宮本武蔵が養子伊織とともに出陣して有馬軍から「やあ、やあ、われこそは作州牢人、二天一流 宮本武蔵 玄信 有馬殿の助勢に参った。尋常に勝負せよ」と呼ばわった。当時武蔵の名は佐々木小次郎との試合で有名になっていたので一揆軍内で動揺が起こったがオランダ帰りや海外の知識を持つ進歩的切支丹参謀たちの協議がすぐに終わると美しい16歳の少年が「ラヴアンド・セイ アイオオ サクティシム・サクラメント」Love and say I,oh SẨCTISSIM・ SACRAMENTO (最も貴い秘蹟を愛おしみ唱える)、と歌いながら出てきたのだった。武蔵は思わず息を呑んだ。
fumio
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