monologue
夜明けに向けて
 



島原天草の乱の一揆は一向に治まる気配がなかった。幕府の鎮圧隊が四郎のカリスマに魅了されて見とれてしまって攻撃をせずいつまでも埒があかない。オランダ帰りの参謀森宗意軒は妖術使いと呼ばれるほどにわけのわからない秘術によって鎮圧隊の戦意を殺いでしまう。南蛮絵師山田右衛門作は文筆にも優れていて幕府と様々な裏取引を持ちかけて騙して翻弄していた。その山田右衛門作はただひとり最後の最後まで生き残る。
fumio

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その時、剣豪武蔵は、歯にお歯黒をし、髪を後ろで束ねて前髪を垂らし、額に十字架を立て、美しい艶やかな衣装を身に着けて妖しいオーラを発する四郎少年と対峙して大小の剣をふりかざし構えながら、見とれた。するとなぜか身動きできない。困った武蔵は有馬家の当主有馬直純への手紙で「拙者も石にあたり すねたちかね申故 御目見得にも祗候(しこう)仕(つかまつ)らず候猶重(なほかさねて) 可得尊意候(そんいをうべくそうろう)恐惶謹言」と述べて脛が立ちかねて歩くこともできないがどうしましょうと弱音を吐いている。なにもないのに動けなかったというのは不自然なので投石に当たったことにしているが実は四郎のカリスマ性にはまってしまったのだった。
fumio

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西暦1638~1640年(寛永15年~ 17年)の 島原の乱において原城に立てこもって投石作戦で抵抗する天草四郎ら一揆軍の鎮圧に当たった有馬家の客分として剣豪宮本武蔵が養子伊織とともに出陣して有馬軍から「やあ、やあ、われこそは作州牢人、二天一流 宮本武蔵 玄信 有馬殿の助勢に参った。尋常に勝負せよ」と呼ばわった。当時武蔵の名は佐々木小次郎との試合で有名になっていたので一揆軍内で動揺が起こったがオランダ帰りや海外の知識を持つ進歩的切支丹参謀たちの協議がすぐに終わると美しい16歳の少年が「ラヴアンド・セイ アイオオ サクティシム・サクラメント」Love and say I,oh SẨCTISSIM・ SACRAMENTO (最も貴い秘蹟を愛おしみ唱える)、と歌いながら出てきたのだった。武蔵は思わず息を呑んだ。
fumio


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