monologue
夜明けに向けて
 

舞台  


16歳の美少年天草四郎時貞は薄化粧して美しい艶やかな衣装を身に着けて、原城を舞台として踊った。キリストを讃美する言葉 LOVVAD・SEIAOを反乱軍みんなで「ラヴアンド・セイ アイオオ サクティシム・サクラメント」Love and say I,oh SẨCTISSIM・ SACRAMENTO (最も貴い秘蹟を愛おしみ唱える)、と歌った。一揆衆たちはその言葉をみんなで唱和した。どんどん声が重なってコーラスになった。四郎の踊りに合わせて踊るとだんだんなにがなにかわからなくなってくる。
幕府の鎮圧部隊は攻めることを忘れて一揆衆のパフォーマンスにただ見とれた。自分たちもわけがわからないながらも一揆衆の言葉に似た言葉を唱えて身振り手振りを真似してみた。すると自分たちもまたわけのわからない高揚感に包まれた。四郎の放つ妖しいオーラがカリスマ性を持って見る人々を魅了したのだった。

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感謝  


白人女性教師ミセス・イエーツに「デイサピア」と言われて英語教育プログラムから追い出されたような形でアメリカでのミュージシャン生活が始まったのだが
リトルトーキョーの栄菊というクラブでアルバイトしているクラスメイトの女性が栄菊でエンターテイナーを探していると教えてくれた。
それで栄菊にアプライしてオーナー、ロイさんの前でギターを抱えて「マイウエイ」を歌うと店のエンターテイナーとして雇われた。それがわたしのアメリカでの最初の仕事だった。
すぐに噂が広まって色々な店のオーナーたちが次々に見に来た。自分の店で演奏してくれと引き抜きが始まり、沖縄出身のクラブ「アシビ」のオーナーがどうしてもと強く要請するので
移籍した。それからハリウッド、中華飯店、クレンショー地区、ロサンジェルス全体のクラブを掛け持ちしたのだった。それがレコード制作やバンド活動のためにすごく役立った。
「デイサピア」と言ってくれた白人女性教師ミセス・イエーツに感謝…。
fumio

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