monologue
夜明けに向けて
 

重税  


島原天草の乱の一揆プロデューサー益田甚兵衛好次はオランダ帰りの森宗意軒、南蛮絵師山田右衛門作など海外の先進知識を持つ人々を参謀として妻(洗礼名:マルタ)との間に設けた長男・四郎(ジェロニモ、フランシスコ)、福(洗礼名:レシイナ)、萬(洗礼名:マルイナ)の三人の子とともに決起した。
  1637年(寛永14年)10月7日、大矢野本島の宮津に天草四郎の拠点として礼拝堂(宮津教会)を設けた時、、甚兵衛は「お前は、今日からわが子ではなく天草島原の救世主だ」と言い含めたのだった。原城に籠もった四郎は、歯にお歯黒をし、髪を後ろで束ねて前髪を垂らし、額に十字架を立て、美しい艶やかな衣装を身に着けて妖しいオーラを発して見る人々を魅了して、森宗意軒ら参謀の指導によって鎮圧に当たった幕府の松平伊豆守に当てた矢文には「近代、長門守殿内検地詰存外の上、あまつさへ高免の仰付けられ、四五年の間、牛馬書子令文状、他を恨み身を恨み、落涙袖を漫し、納所仕まつると雖も、早勘定切果て――」と書いて領主松倉長門の課す重税の非道を訴えている。
fumio

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