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ネット上の多くのサイトを調べて事件の概要をもう少し詳しく見てみると、1966年7月18日月曜の暑い遅い午後、弟 のベーシスト、ランディ・フラー(Randy Fuller)とシェアしているアパートの横の大きい駐車場でかれの母の愛車オールズモビルのフロントシートに横たわるボビー・フラー(Bobby Fuller)23才の死体が発見された。
ドアはロックされず窓は固く閉まり、車のキーは車内で発見されなかった。最初のハリウッド地区警官が到着して運転席側ドアを開けた時、フロントシート上のフラーの脇のシート上にブック状マッチがあることに気付いた。目撃証人によればフラーは顔と胸が打撃を受けたように青ずみ顎と口のまわりに乾いた血液の跡があった。かれの髪と衣服はガソリンにびしょ濡れだった。右腕はゴムチューブでまだ固く結ばれていた。
犯罪現場捜査官たちは判断にあまりに多くの不可解な失敗をした。それはまるでなにか警察によるごまかしがあったかのように。バックシートで見つかった空のガソリン缶がそれを明らかに捜査に重要と思わない警官に取り除かれ近くのゴミ捨てに投げられた。オールズモビルは指紋検出のための粉をかけられなかった。それ以上の証拠の調査のために保存もされなかった。相反する多くの視覚的証拠にかかわらず明らかな自殺という発表を受けてラジオテレビはこの非現実な意見を最初のニュースとして世界に発信したのであった。
ボビー・フラーの住所を調べると、1776 N. Sycamore Ave, Los Angeles, 90028のアパートでその駐車場が犯行現場であった。わたしはそのあたりをグーグルマップで見てあれっと思った。そうだったのか。この場所はスターの手形などで有名なチャイニーズ・シアターのある区画の北西の角なのだ。チャイニーズ・シアターは封切館なので新作映画が封切りされるといつも家族で見に行った。顔見知りになったドアマンが息子に風船をくれたりした。チャイニーズ・シアターの向かいのビルのスタジオでわたしはSFのアルバム「プロセス」をレコーディングしたのであのあたりはなじみが深いのである。土地勘があるのでなつかしい気持もわいてくる。
たった23才のロックスターがなにに巻き込まれてこんな不可解な死に方をしたのだろうか。この人工の闇の向こうにかすかに点滅する光りを求めてゆこう。ボビーが手招きしているようだ。
fumio
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ウイキペディア からボビー・フラーの死についての記載部分を抜き出して以下に和訳しておく。
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"I Fought The Law"がトップ10ヒットになったすぐあと、ボビー・フラーはかれのロサンジェルスの家の近くに停めていた車の中で死亡して発見された。警察はその死を明らかな自死事故と考えた。しかしながら人々はフラーが殺されたと信じている。捜査は初めからやり損なった。現場は保たれず指紋は採取されなかった。ある証人は警官が現場で見つけたガソリン缶をゴミ箱に放り込むのを見たと申し立てた。加害者たちが車を燃やす前に逃走したと人々が推測するようにフラーは全身に複数の傷を負いガソリンをかぶって発見された。警察はのちに死因を犯罪の証拠がないとして「不慮の窒息」と変更した。公式死亡原因が当局から発表されたにかかわらず噂と憶測がフラーの怪死を取り囲んだ。
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ということである。高校時代はこんなことはまったく知らなかったけれどなにか変だ。この事件の裏にはなにが隠されているのだろうか。むづかしいだろうけれど調べてみる価値があるかもしれない。
fumio
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Pop Idol in the UKを皮切りにアメリカンアイドル(American Idol) Australian Idol, Canadian Idol,など全世界のアイドル発掘番組の仕掛け人として今をときめくサイモン・フラー(Simon Fuller)のフラーという名前を見てふとボビー・フラーのことを思い出した。1966年 FEBRUARY 26,付けキャッシュボックス(CASH BOX)誌 Top 100 Singlesをチェックすると以下のようであった。
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1 THESE BOOTS ARE MADE FOR WALKIN’ Nancy Sinatra
2 THE BALLAD OF THE GREEN BERETS SSgt. Barry Sadler
3 LIGHTNIN’ STRIKES Lou Christie
4 UPTIGHT (Everything’s Alright) Stevie Wonder
5 MY WORLD IS EMPTY WITHOUT YOU Supremes
6 MY LOVE Petula Clark
7 LISTEN PEOPLE Herman’s Hermits
8 CALIFORNIA DREAMIN’ Mama’s & The Papa’s
9 DON’T MESS WITH BILL Marvelettes
10 WORKING MY WAY BACK TO YOU 4 Seasons
11 CRYING TIME Ray Charles
12 ELUSIVE BUTTERFLY Bob Lind
13 BARBARA ANN Beach Boys
14 AT THE SCENE Dave Clark Five
15 I FOUGHT THE LAW Bobby Fuller Four
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この週ボビー・フラーのバンドのI FOUGHT THE LAW が15位に上がってきていた。そして翌週にはトップ10に入った。それはバディ・ホリー風のシンプルなロックで大好きだった。ところが売り出し中のそのボビー・フラーが1966年7月18日にロサンジェルスの自宅の車のところで怪死を遂げたというニユースが流れたのである。高校生のわたしはその時、そうか死んだのかとだけ思った。それが事件だったのか事故だったのかにも関心がなかった。ところがなぜか今頃、本当になにがあったのか知りたくなったのである。
fumio
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サム・クックはアンクル・トム型のアフリカ系アメリカ人ではなく黒人の権利を主張する急進的なマルコムXやモハメッド・アリとの親交も有名で新時代の旗手だった。音楽出版社やレコード会社を立ち上げこれまで白人の会社にいいようにされてきた著作権や原盤権を管理し始めた。かれは人種平等社会を目指す黒人の代表として活躍してヒーロー視されていた。既得権益を守るために歴史の潮流を押しとどめようとする勢力は、かれのあとに続こうとする活動家への見せしめの意味も含めてヒーローを地に落とす方法としてセックスス・キャンダルを選んだ。普通に殺害するのではなく社会的名声をも抹殺しようとしたのだ。
検事は審問において事件関係者の姓名、年齢、職業を訊くぐらいは当然と思われるのになぜエリサ・ボイヤーの職業を訊くのを邪魔したのだろう。初めから売春婦であることを知っていたのだろうか。そして新聞はなぜ欧亜系歌手(Eurasian vocalist)であるとしたのだろうか。歌手ならサムは女たらしのようで娼婦であれば強姦と騒ぐのはおかしい。サム・クックに着せた汚名ををなるべく汚くしたかったようにさえみえる。それでもサムの死から丁度ひと月後にみんなで隠したボイヤーの職業、売春婦がばれたのはサムの無言の怒りを感じる。
イタリアレストラン、マルトニズ(MArtoni's)でターゲットであるサムが食事しているとき仕掛け人達はPJ's ナイトクラブに連絡していたのだろうか。PJ's ナイトクラブはマフィアが経営していると噂されるクラブだった。そこでエリサ・ボイヤーと事件の遂行者達は待っていた。
第三者の関与が明らかなのはフェラーリの中にスコッチのボトルがあったことである。午前2時過ぎに派手な高級車に乗ってロサンジェルス市内を走っていると必ずパトカーに停められて運転免許証とピンクスリップ(法的車両所有者証明書)の提示を求められる。その時、車内にアルコール類があれば飲酒運転とされる。アルコール類を運ぶ時はトランクに入れて運ばなければいけない。戸外での飲酒は禁止でどうしても酒を飲みたい時はマーケットの買い物袋に入れたまま飲んでごまかす。シカゴ出身だがロサンジェルスで仕事をし慣れているサムがスコッチのボトルを車内に置いたままにしておくとは考えられない。極力飲酒運転の疑いがかからないようにアルコール類は買ってもトランクに入れておくのだ。だれかがなんらかの偽装工作のためにスコッチのボトルを置いた可能性が高い。ナイトクラブから出てきて飲み足りないので車の中で飲んだというのはあちらの生活ではあまりにも不自然なのである。レストランで目撃された千ドルほどの紙幣のカタマリと運転免許証とクレジットカードを入れた札入れが見つからなかったことも金に目がくらんだ実行部隊の仕業だろう。有名歌手が1文なしではおかしいので108ドル程度をクリップにして残したようだ。よってたかって遂行者達がさまざまな工作をして事件の真相は闇に封じられたのだ。それでもいつか事件の封印も解かれる日が来ることだろう。わたしの出した結論はこの事件は何者かによる暗殺あるいは謀殺である。
この1964年12月11日のサム・クックの不可解な死後、急進派マルコムXは1年後の1965年2月21日、そして穏健派マーティン・ルーサー・キング・ジュニア (Martin Luther King, Jr.)牧師は1968年4月4日に暗殺されている。しかしながら歴史の流れは止めようもなくサム・クックが 「A Change is Gonna Come 」と予言したように2009年1月20日正午、バラク・フセイン・オバマ・ジュニア( Barack Hussein Obama, Jr.)は、建国以来初めてのアフリカ系アメリカ人(アフリカ系と白人との混血)の大統領となったのである。ついに変革(チェンジ)は達成されたのである。サムの早過ぎる死は無駄ではなかった。
サム、高校時代わけがわからなかった不名誉な死に方さえもきみを怖れた者達のあがきだったことがわかった。きみはやっぱり時代を開くヒーローだった。ありがとう。こじ開けてくれて…。合掌。
fumio
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こうしてこの事件は新時代の寵児、新進人気ソウル歌手、サム・クックが女性をモーテルに連れ込み強姦に失敗して裸で追いかけてモーテルの管理人に正当防衛で射殺されたという一大スキャンダルとして報道されたのである。
強姦未遂の被害者、エリサ・ボイヤーは審問で「バーでサム・クックに会って家に連れていってくれると期待して一緒に出た。ところがそのかわりにかれはモーテルにドライブしてあの部屋に引きずり込んだの」と話した。クックの家族が雇った弁護士がエリサ・ボイヤーがなにをして暮らしているのか、尋問しようとすると検事は「われわれはこの女性の職業に関心がない」とうち切った。陪審員たちは15分であの射撃が生命財産を守るのに正当と裁定した。ボイヤーの職業について新聞はボイヤーが欧亜系歌手(Eurasian vocalist)であることを示唆した。しかし事件からひと月後の1月11日にボイヤーは電話で40ドルでセックスの約束して覆面警官にハリウッドのモーテルにおいて売春罪で逮捕された。しかし、売春容疑はおとり捜査だったので裁判所は結局とりあげなかった。ボイヤーは部屋から脱出するのに急いだので思わずクックの服をとっていったと申し立てた。
サム・クックの事件の夜の足取りを地図上で辿ってみるとまずハリウッドフリーウエイの下のカウエンガ・ブルヴァード( Cahuenga Boulevard) 1960番地のイタリアレストラン、マルトニズ(MArtoni's)で食事して1000ドルほどの紙幣のカタマリの中から支払いを済ませて愛車フェラーリでフランクリンアヴェニューを東に走りヒルハーストアヴェニューで右折してキングスウエル通りまで走ってヒルハーストアヴェニュー( Hillhurst Ave,)1751番地にあるPJ's ナイトクラブでエリサ・ボイヤーに出会った。ここからボイヤーの証言のようにモーテルにドライブしたのならまず東に走りフィゲロア通り( Figueroa Street)で右折して南下して9137番地のハシエンダモーテル( Hacienda Motel)まで走ったことになる。ハシエンダモーテルは取り壊されてもう検証のしようがないがみすぼらしい一晩3ドルの安モーテルだったという。その駐車場にフェラーリは似合わなかっただろう。ハリウッドからはかなりの距離があるのだ。途中にはまともなモーテルがたくさんあったはずである。だれもがなにか不自然なことが多すぎると感じる事件であったようだ。その裏になにが隠されていたのだろうか。
fumio
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高校時代にはどんなことがあったかさえよくわからなかったが現在はネット上の情報を検索すればかなりわかるようになった。サム・クックの死亡について実際になにが起こったのか調べてみる。
1964年12月11日、カリフォルニア州ロサンジェルス市 南フィゲロア通り(South Figueroa Street)9137番地のハシエンダモーテル( Hacienda Motel)で管理人バーサ・フランクリン(Bertha Franklin)は警官にサム・クックがかの女を脅かしたので防衛のために射殺したと告げた。警官はフランクリンの管理人室でスポーツジャケットと靴だけを身に付けシャツもズボンも下着もなく性器を出したままのかれの死体を見つけた。そして結局、射殺は正当防衛と裁定された。
モーテルのオーナー、エヴェリン・カー(Evelyn Carr)はフランクリンが受話器を置き酔っぱらいと話しをつけるためにドアへ行ったのを聞いた。発射音を聞いたあとカーは電話を切り午前3時15分頃、警察に"I think she shot him,"と電話した。
その7分前に警察はモーテルの1区画先の電話ボックスからエリサ・ボイヤー(Elisa Boyer)から誘拐されたという通報を受けていた。かの女は下着姿で逃げて服を着るために吹き抜け階段で止まった、と言った。パトカーがサイレンを鳴らして現場に駆けつけ、そしてサム・クックの死体を発見した。かれのフェラーリはまだオフィスの外に置かれ運転席側のドアは開きエンジンは回っていた。警官が到着して数分後エリサ・ボイヤーが自分が死んだ有名人の被害者であるとして歩いてやってきた。
警官はフェラーリの中にスコッチのボトルを見つけた。クックの所持品は、腕時計、108ドルの紙幣のクリップとバラ小銭。クレジットカードと運転免許を入れてある薄い札入れは見つからなかった。マルトニズ(Martoni's )レストランの証人はかれは多分千ドルのカタマリを持っていたと言った。しかし警官はカタマリではなくキチンとクリップにされた紙幣しか見つけなかった。かれらはボイヤーの財布を調べたが20ドル紙幣一枚だけしかなかった。
バーバラ・クック(Barbara Cooke)は米国中にニュースで報じられる夫の死亡状況を羞じた。それでも三日に渡る最上の別れを開催した。プラスチックの蓋から見える、バーサ・フランクリンにホウキの柄で打たれた顔のアザを多くの来場者は指摘した。
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以上のようなことが起こったという。あれから45年も経過して初めてわたしは高校時代のアイドル、ソウル歌手、サム・クックの死についての情報を得ることができた。さぞ無念だっただろう。
fumio
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アメリカンアイドルシーズン8の決勝第二ラウンドでアメリカンアイドルの番組プロデューサーのサイモン・フラーがアダム・ランバートに与えた課題曲はサム・クックの A Change is Gonna Come であった。決勝が終わり優勝を逃したアダムはこれまで知らなかったこの曲を課題曲 として歌えたことに感謝していた。
この歌唱によってわたしの記憶はふと高校時代にタイムスリップした。あの頃、米国のトップ40に入ってくるサム・クックの曲ワンダフル・ワールド、シェイク、ユー・センド・ミー やアニマルズがカバーしたブリング・イット・オン・ホーム・トゥ・ミー などがお気に入りで大好きな黒人シンガーだった。
サム・クックは、音楽出版社やSARレコードを設立して黒人アーティストも著作権を管理するということを始めた先進的なアーティストだった。人種平等社会の到来を願って公民権運動の象徴歌風に吹かれて や A Change is Gonna Come を歌ったのである。
ところが、そのサム・クックが1964年12月11日、ロサンゼルスのハシエンダモーテル( Hacienda Motel)で管理人バーサ・フランクリン(Bertha Franklin)に射殺された、というニュースが流れた。まだ33歳。どうして撃たれたのかよくわからなかったけれどそのニュースは衝撃的だった。アダムの歌唱はわたしにとってのアイドル、サム・クック射殺の報を聞いた頃に時を巻き戻してくれた。そして高校時代にはとても気付かなかったある疑念が胸にわいてきたのである。
fumio
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「バベルの塔」について旧約聖書「創世記」11章は以下のようなことを語る。
人類はもとは同じ言葉を話していたのだが南メソポタミア地方のシンアルの平野で人々は、煉瓦とアスファルトを用いて天まで届く塔をつくってシェム(名)を高く掲げ、全地にばらばらに散るのを避けようとした。するとカミは人々に違う言葉を話させるようにした。それでかれらは混乱し、世界各地へ散りバラバラになってしまった。
そしてバラバラになった全部族の中で、カミはイスラエル部族を選び、バビロンからカナンの地へ移住させた。
ここで語られるカミはひとつであった言葉を民族ごとに変えることによってコミュニケーションをとれなくして人類全体の統合と発展を阻んだ。そしてイスラエル部族だけを自分を信奉する一神教徒として庇護した。
ということは人類がここまで積み上げてきた「バベルの塔」を崩壊から守る鍵はコミュニケーションにあるということがわかる。コミュニケーションの混乱や断絶が崩壊を招いたのだから共同体構想によるコミュニケーションの復活、活性化が人類全体の統合と発展、繁栄を約束するのだろう。闘争の元になってきた民族主義、異教徒迫害も結局互いを認め合うコミュニケーションによって解決するしかないのである。
fumio
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今年、2009年7月4日、ラジオ・テレビのヒット曲カウントダウン番組の草分けディスクジョッキー司会者ケーシー・ケイセムCasey Kasemが77才で39年間に及ぶカウントダウン番組生活に幕をおろした。ラジオではAmerican Top 40 と称するポピュラー音楽カウントダウン番組を司会していた。毎週日曜日の午前中この番組を流しながらあれこれ家事をするのがアメリカ人の生活のスタイルになっていたのだ。わたしも滞米時代は毎週楽しみに聴いていた。日本に帰国してからもそのカセットテープをなつかしく聴き返したものである。テレビではAmerica's Top 10 に出演していた。声優としても有名なだけあってその流麗な口調は多くのディスクジョッキーが追随して取り入れたがかれのもつ華やかさは真似できなかった。
番組の最後を締める"Keep your feet on the ground and keep reaching for the stars."というフレーズももう聴けないと思うとさびしい。American Top 40 は役割を終えてひとつの時代が終わったのだろう。
fumio
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共同体構想といっても茫洋としていてイメージしにくいかと思うがアジアを東の巨大な龍として像を描けばわかりやすい。その目と鼻がどちらが優れているといってもしかたがないし、右足と左足がつかみ合いをしてもなにもならない。心臓と肝臓が競い合うこともない。ともに龍を活かすためにそれぞれの機能、役割を果たすのだから。互いの機能を羨むこともなく尊重し対等の関係でともに龍の一部として生きるのである。
翻って西洋をみればかれらは西の巨大な白虎。損得勘定で自国の利益ばかりを主張しあうばかりでは永遠にEUは統合できなかっただろうし英国も自国だけの利益にこだわることをやめてヨーロッパ全体を活かすために働けば白虎は大活躍するのだろう。
最終的には元亀、青龍、白虎、朱雀と分かれていた四神も巨大な地球意識へと統合してそれもまた各惑星をつなぐ太陽系意識、銀河意識、そして全宇宙を活かし発展し繁栄する意識に目覚めることになるのだろう。それこそがこれまでに核戦争その他で絶滅をくり返しながらも今回またこの星に種を蒔かれた人類が存続する意義なのだから。今回こそは同じ過ちをくり返してはならない。わかってはいてもせっせとここまで積み上げたバベルの塔は欲望や感情に支配されて崩壊してしまうのだろうか…。
fumio
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