
右が村長作・・・


公民館の陶芸教室に久しぶりに行ってきた。
先生は自宅工房でも教えている若い先生。
先般、初の自前轆轤で散々な結果に終わった村長、色々と相談に乗ってもらおうと行った次第。
自分の腕を差し置いて、少々聞いた位で事が解決するわけではないが、聞かずにいられないので
あれこれ聞いた。
結論的には、一遍に大壷をやらず、まず1.5キロから2キロの粘土で筒を上げる練習から、筒が30
センチ位スーッと上がるようになったら壷に。
また、大きな玉の土殺しが上手くできないのも、余分なところに力が入り肝心なところに力が行
っていないためとか・・・
等々色いろ聞いた上実践だ、先生にアドバイスを受けると その時はなぜかまずまずになる、しか
し一人でやると駄目だつまり自分のものになっていないのだ。
で今日は、村長が作ったものと同じものを先生に作って貰った、それを生乾きの内に縦に切って
見本とするためだ。
持ち帰って早速切ってみた、まぁ切る前から出来は歴然と違うのですが、切って断面を見ると余
分な肉が底や下部に残っている。
今後は当分、これを見本に練習だ、これが出来たら壷に。
ともかく練習・・・

切る前。

只今工事中、これ3月20日に撮ったもの。


広島市の平和公園にある原爆ドーム、昨日4月5日が誕生して100年だそうだ。
人類初の原爆を受けた、被ばく70周年の原爆ドームとして、あるいは世界遺産としての原爆ドーム
として、村長の頭をよぎるが、建設されてから100年という捉えかたはしていなかった。
ところが昨日の中国新聞天風録や、今日の広島都市圏の記事を見て、うーんそりゃーそうだ。
原爆を受けるために建てられたわけはない、しかし村長の知識では県産業奨励館だった・・・くら
い。
しかしかの新聞を読むと、ドームは1915年4月5日県物産陳列館として完成、その後県産業奨励館と
変えていた1945年8月6日に被ばくしたそうだ、そして1996年には世界遺産となる。
で、昨日で建立100年を迎えた、被ばく70年も大切ですが、建物からみると我が生い立ちを正しく
伝えろ・・・・と行っているかも。
しかし、次の節目200年まで保存出来るのですかねー、技術的な事は分かりませんが、それこそ原発
の廃炉手段のように透明の石棺で覆いますか?
今、その保存に向け調査・工事中のようです。
新聞の1行 勉強になります。

シルエットの原爆ドームもいい・・・

この現実・・・


昨日、お大師さんの接待講が無事終わり、今朝はゆっくり昼前まで寝ていた。
しかし女房殿は朝から、お大師さんのお料理を入れる小さな食器を洗ったりの、小さな後片付け
をしていた・・・大変ですなー女性軍は。
それはともかく、午後から延び延びになっていた電動轆轤の試運転というか、轆轤を先生の力を
借りずに自立する第一歩。
若い先生にお願いして、電動轆轤の中古を買ったのはまだ寒いころ、それをようやく回した。
轆轤はよく回った、しかし村長の技量がついて行かない、大物に挑戦すべきとして、10キロの粘土
を取り出し、4キロ、3キロ、2.5キロ、1.5キロの玉に。
4キロ玉からやりました、途中まで順調に伸び上がり、ひょっとしたら上手くいくか? と壷にすべく
腹を出したら・・・・うーん無念にも底が垂れました。
以下同じ、どの玉やっても巧く行かず、最後の1.5キロはいつもならどうにかなるはず、しかしこれ
もダメ、既に腕の力が無くなって・・・
散々の試運転? でした、しかし今まで先生のところで、年度は練ってあるは、大物の時はサポート
を受けるわの過保護状態ですから、あたり前でしょうねー
それでも勉強になったのは、粘土の荒練り、菊練り、練習した粘土の再生を全て村長がやる、この
プロセスですね、荒練りも菊練りもまだまだ巧く出来ませんがその内に。
しかし、実態は疲れました、轆轤回しているより粘土を練っている時間が長いのですから・・・
肩はバンバン。
自立の道は通し・・・

今日は全て没、この後の1.5も・・・・もうヘトヘト。



いゃー終わりました、お大師さんの接待講。
疲れたー、これで一安心・・・というのが率直な感じ。
村長だけでなく、今回携わった5軒の家の皆さん同じだろう。
いつから始まったのかは知りませんが、四国八十八か寺に習っての向島八十八寺、この
島だけでなく尾道市の町毎に沢山あるようだ、もちろん他の市町村でも。
そしてその八十八寺毎に、この時期接待講を行う。
我々の場合は向島八十八寺 12番承山寺が担当で、5年に一度当番が回ってくる。次の5年
先 体が動くかいのー・・・
それはともかく、心配した天気 ナント曇りのち晴れだった、昨日ずぶ濡れでブルーシート
準備したのに・・・
しかし おかげさまで、推定600人位の老若男女の方が来られた。
11時前には品切れで閉店の盛況。
お疲れさまでした。


接待場所の設営、前の家の駐車場を借りました。


昨日に続いて、明日4日のお大師さんの接待準備。
悪い天気予報が当たってしまい雨、そのため午後から集合が急遽10時からの集合だ。
男ども(3人しかいない)はブルーシート張りだ、シート張りの準備をしてないので、何もかも
行きあたりバッタリでモノ集め。
竹を切り、ブルーシートを持ってい行き、柱の代わりに大小の脚立を各家から集め、鉄杭を調
達し等々・・・・
とにかく集めてブルーシートを張った、多少たるんでますがまぁ何とかなったのでしょう?
ずぶ濡れになっての昼休憩は、2時間取ってシャワー浴びて着替えだ。
午後からは、案内板を立てて回ったり、テーブル準備、そして接待用お菓子の分別・・・
その間 雨の中2度ほど、十二番札所阿波焼山寺に上ったり下ったり。
ともかく午後4時前には準備完了、ホント疲れました。
明日本番は朝6時集合。
とにかく、早くお接待終わらなければ、当番5戸の気が休まらない・・・

案内板、明日ビニール取る予定。

向島 阿波八十八か所の案内地図、今日の朝刊チラシに入った。

逆光で鮮やかさ見えませんが・・・


4月4日のお大師さんの接待が近づき、女房殿は何かと世話をやいている。
今日も昨日も花を買いに行ったり、焼山寺に登って生けたり、座布団やテーブ
ルクロス洗ったり・・・
それに比べ村長というか男性軍は動く範囲が限られている。
そうはいっても、明日はトラックでお菓子が到着する予定なので、午後から全員
集合し分別ししたり、案内板出したり、テント張ったり・・・だ。
雨が降らないこと願っていたが、どうも明日も明後日も降るようだ、残念。
その焼山寺に行く途中の荒れた畑の後に土筆が満開?、足の踏み場がないほどだ、
まぁいくらあっても食べる量は知れてるので、一握りほど取った。
同じ道筋の山に昔植えたであろうソメイヨシノがある、高さ7.8メートル、幅は10メ
ートルくらいと結構大きい。
桜の下で花見としゃれたいが、残念ながら周りが手入れされておらず近づけない、少
し離れたところから写真撮ったら逆光だ・・・
さて、明日は接待準備頑張りますか。

どうですビッシリと、結構長くなってます。

本日のつまみ、多分玉子とじに。

貴重な一輪咲きました。


待っていた庭の紫木蓮が咲いた。
昨日から開く前ぶれで、蕾が大きく膨らんでいた、しかし朝起きたらあいにくの雨。
それでも庭に出て見ると半ば開いた3分咲き。
で、昼から買い物に行って帰ってきたら、一輪だけでなく6つ程咲いていた、はやり
気温が上がると一気ですねー
残念なことに、この紫木蓮の蕾 今年9つしか付いてない、原因は分かっている昨年
花の後 虫にやられたのだ、木にびっしり付いてるを見つけ消毒したが間に合わず。
そんな経験したので、今年は早めに薬を散布するつもりだ。
ところで、モクレンとは園芸上は紫木蓮(シモクレン)のことを言うのだそうだ、村長
白い木蓮(ハクモクレン)と思っていたのですが。
シモクレンの咲く庭に山鳩とスズメ。
のどかです。

寂しい花数・・・

山鳩に。

スズメに、草の種でも食べてるのでしょうか?