「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

光市母子殺害事件の本村さん(2)

2006年03月20日 19時28分22秒 | 光市母子殺害事件
 
 きのうの記事「光市母子殺害事件の本村さん」にコメントとTBをいただきました。
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/29181389.html

 先方に付けさせていただいた僕のコメントを、こちらにも掲載したいと思います。

(文脈の関係上、一部加工しました。)

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 まず、僕は元々死刑反対の立場です。

(今は必ずしもそう言い切れなくなっています。

 正にそれは本村さんの影響ですが。)

 加害者の甦生プログラムと、犯罪被害者支援、遺族の癒しのシステムの必要性も強く感じています。

 僕は被害者遺族の本村さんのお話を直接聞いたこともありますし、メディアを通じて拝見したりしていました。

 当事者でありながらとても理知的で、客観的に見つめている方だと思います。

 一審の無期懲役判決が出たとき、悲憤と涙に打ち震えながら訴えた本村さんの下記の言葉は、非常に心に響きます。

 「怒りや憎しみやを乗り越えて、再び優しさを取り戻すためには、死ぬような努力をしなければならないんです」。

 怒りに身を任せてしまうだけでなく、その先にある優しさのことまでを踏まえた、深い人間性とその苦しみには計り知れないものを感じます。

 これほどの人格と品位を備えた被害者の言葉を、僕は他に知りません。

 その本村さんをして、「死刑にならないなら釈放してほしい。自分が殺す」と言わしめざるを得ないほどの、底知れない憤怒の被害者感情。

 死刑反対論者でも、この本村さんの言葉には耳を傾けざるを得ません。

 犯罪被害者支援運動の黎明期にあって、正に「神が与えた被害者」と言われる存在です。

 

 本村さんは憤りだけを持ち続けているわけではありませんでした。

 絶望や自暴自棄に陥っていた時期もあります。

 被害者遺族や被害者の言葉を、本人でない人は誰も代弁することはできないでしょう。

 ただし、被害者遺族もまた人それぞれで、加害者の極刑を望まない人も大勢います。

 もしこの事件の加害者が死刑になったあと、本村さんがどう感じ、生きていくか、それは誰にも分からないことだと思います。
 

 なお、「自分が殺す」という本村さんの言葉は、それほどの気持ちだということの表れで、実際に本村さんが加害者を目の前にして、手をくだすなどということはないと思います。

(続く)

最高裁上告審判決
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/36556382.html

差戻し審
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/47777510.html

被告人質問
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/48536162.html

第2回集中審理
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/49124214.html

第3回集中審理
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/50202257.html

差し戻し審判決
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/53880108.html


死刑制度について
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/29545347.html
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51895139.html
 
コメント
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