ネタは降る星の如く

とりとめもなく、2匹の愛猫(黒・勘九郎と黒白・七之助)やレシピなど日々の暮らしのあれこれを呟くブログ

『週刊現代』を買って読んだ

2007-09-17 15:07:11 | 時事
 立花御大の煽りに乗せられて(苦笑)、土曜日に発売した週刊現代を買ってしまった。立花御大は、先日の連載に続いて関連記事を掲載。

立花隆の「メディア ソシオ-ポリティクス」
第117回 週刊現代が暴いた"安倍スキャンダル"の全容
週刊現代が安倍事務所に突きつけた質問状

(中略)

週刊現代の記事は、12日の夜に書かれ、13日に校了になり、14日に印刷製本され、15日に発売というスケジュールでことが進行していく。

まだ書かれてもいない記事に対する安倍事務所の過敏な反応が何に対して起きたのかというと、「週刊現代」からの取材依頼に対してである。

依頼書には、

「亡父安倍晋太郎氏から安倍晋三首相への政治遺産の継承がいかに行われたかの詳細な分析から浮上したいくつかの政治資金と税金に関する疑問点についてお尋ねします」


という書き出しで、いくつかの疑問点が具体的に、安倍晋太郎・晋三親子の多数の政治資金団体の帳簿から抜いた詳細なデータ付きで書かれていた。

この取材依頼書を一目見ただけで、安倍事務所はビビってしまったのである。

安倍首相側の過剰反応

そして、雑誌が出る3日も前から(記事が実際に書かれる前から)、報道機関各位に警告書をバラまくというようなことをはじめたわけである。

そして安倍首相自身は、取材依頼を受け取ったその日のうちに電撃的に首相を辞任して、さらにその翌日午前中から病院に入院してしまうという形で公衆の前から姿を消すという道を選んだわけである。

ここまでやりましたから、どうかもうカンベンしてくださいということなのかもしれないが、もう雑誌は校了になって、輪転機がまわっているところだ。大見出しの記事が間もなく出る。

安倍側がこれだけ過敏な反応を示したのも、その取材依頼書を見ただけで、それがどれほど厚みのある取材の上に書かれたものであるかがすぐにわかったからだろう。

要するに身に覚えのある内容だったといういうことではないのか。


報道の関心や興味は後継者レースの方に移ってしまって、この記事については言及はないようだが……民主党はじめ野党は、この記事の内容について安倍首相を追及すべきだと思う。国政調査権もあることだし、行使する一大チャンスではないか。

 もし事実であれば、身内のカネの問題に対して認識が甘く、かばう様子すら見せた安倍首相こそが政治資金的にもっとも不透明だったという、呆れ返るような話なのだから。時効ゆえ脱税行為で罪に問うことができないとしても、政治家としての道義や倫理規範への意識を問題とすることはできるだろう。

 参院選での大敗にもかかわらず、内閣を改造してまで延命を図り、所信表明演説をした直後で、なぜ安倍首相は辞めたのか……まだその説明は十分になされていないのだ。

『人事が変われば、会社は変わる』香本裕世

2007-09-14 23:38:30 | 読書
『人事が変われば、会社は変わる』香本裕世(日本経済新聞出版社) リンク先はamazon.co.jp

 「制度屋人事」からビジネスパートナーとしての人事への転換を、架空の会社を舞台にした小説仕立てで解説している。

 従来は人事評価制度の下請けであった教育研修の機能が、戦略的な意味づけをもって人事部門の機能を変えるという、人材開発の職にある自分にとっては気持ちよく読めた(笑)ストーリー。

 会社の風土変革を一般社員のキャリア研修から始めるというところは「???」と思ってしまうのは、自分が外資系に勤めて長くなっているからだろう。日本の会社に勤めると自分のキャリア設計を会社にゆだねて「会社はこれから自分をどうしてくれるのか」という意識を持ってしまうものらしいが、自分は最初に勤めた会社が日本企業でも小さかったこともあって、定年まで勤めるだろうという展望を最初から持たなかった(そして、自分が海外に留学して転職して何年かたったところで、同業他社に吸収合併されて社名がなくなってしまった……)。会社がキャリアについての考え方を教えてくれるというのは、きわめて日本的な感覚だなぁ(もちろん、再就職支援といった局面では、外資系もサポートはしてくれるのだが)。

 外資系というかグローバル企業だったら、若手一般職社員全員という広い層にターゲットは置かないだろうと感じた。実際、この5年間、人材開発機能を再構築した時にまず手がけたのは会社の屋台骨を背負って立っている、そしてさらに成長することが期待される、幹部人材の選別と選抜的な教育育成だったからだ。そして、それは、戦略的な投資という意味での優先順位は、今でも変わらない。

 もちろん、たとえば現場のニーズを聞きに行くとか、管理職の部下育成能力を改善することによって全社的に人を育てる風土をつくるとか、方法論として同じものは見られた。

 現場のビジネス課題を研修やワークショップという方法論をはさんで問題解決につなげる組織開発(英語ではかつてOrganization Developmentと言っていたが、最近はPerformance ImrprovementとかPerformance Consultingと言っている)をかじっていると、その分野での方法論が出てこない分、人材開発の専門家として出てくる女性主人公にはまだまだ修行を積んで欲しいと思ってしまうのは……ちょっと採点が辛いかな?

連載対談『国家と罰』

2007-09-13 22:49:23 | 時事
 久し振りにじっくり読みたい連載ものを見つけた。

日経ビジネスオンライン
【第1章】 誰が主権者を吊るせるか?
二重の職人芸

 国家とは何か、権力とはどう使うべきものなのか、死刑には何の意味があるのか。これまで日本では真正面から議論、考察されたことがあまりないテーマについて、現在最もホットな作家である佐藤優氏と伊東乾氏が5時間以上にわたって熱く議論した。自ら512日間も拘留された経験や地下鉄サリン事件の実行犯を同級生に持つ作家たちだけに、観念論に陥ることなく具体論で喝破していく。迫真の議論をテーマ別にシリーズでお届けする。


 佐藤優氏は「在英国日本国大使館、在ソ連(その後、ロシア連邦)日本国大使館勤務を経て、95年より外務本省国際情報局分析第一課にて勤務。勤務の傍らモスクワ国立大学哲学部、東京大学教養学部で教鞭をとる。2002年5月、鈴木宗男疑惑に絡む背任で逮捕され(同年7月、偽計業務妨害容疑で再逮捕)、512日間にわたり東京拘置所独房に勾留される。2005年2月執行猶予付き有罪判決を受け2007年1月控訴棄却。現在上告中。起訴休職外務事務官・作家の肩書きで、新聞・雑誌を中心に執筆活動を行っている」という経歴。

 自分は死刑廃止論者だけど、決意が固いわけではなく、巷でとても凶悪な犯罪があって被害者家族が犯人に「極刑をもって償ってほしい」というコメントを見聞きしてしまったりすると、今でも心が揺れてしまう。そんな中で、佐藤氏のような経歴の人が裁判を受けて独房に勾留された経験を経て死刑廃止論者になったという話を聞くと、読んでみたくなる。

 そして、対談を読みながら、神ならぬ身の人が、人が人為的に創り出した「国家」というシステムの枠組みの中にいて、人を裁き刑を与えることがどういうことかを、改めて考えてみる。

 我が国の裁判は、(1)犯罪の事実関係の確定、(2)被告人の犯行とされる行為に対する認識、(3)犯罪の事実関係と被告人の認識に対する法律専門家の評価で成り立っています。

 つまり、事実、認識、評価という構成ですね。実は、犯行を行った人間の認識は、密室の中での検察官の取り調べでいかようにも作り上げることができます。それは職人芸と言っていいほど見事なものです。検察官が「上手に」取り調べ、その過程で、元来は被告人が持ってもいない「認識」を引き出し、もっともらしく文書(検察官面前調書)に整える。

 実際の犯行時と異なる「認識」であるのに、それが認識だ、と法廷で確定され、それに従って裁判が進んでいくケースが圧倒的に多いのです。そういうプロセスによって、犯罪がいかようにも作り出されることになる。これは経験してみないとなかなか分かりません。

伊東 なんとも恐るべきことだなぁ。

佐藤 検察実務の世界では、何ら恐ろしいことではなく、これが日常です。私の事件に関しても、外務官僚が署名、指印した、実態から乖離したものすごい調書がたくさん出てきたんですね。

 例えば、2000年にイスラエルのテルアビブで行われた国際学会に袴田茂樹・青山学院大学教授や田中明彦・東京大学大学院教授たちを派遣した案件でも、検察は、私が個人的目的のために鈴木宗男さんの政治力を使って違法な資金支出をさせたという筋書きを作ろうとしました。

 そうするとほとんどの外務官僚が検察の筋書きに迎合するのです。「支援委員会から予算を支出することは違法と思っていたが、同意しないと佐藤優の背後には鈴木宗男がいるので、恐かったのです」という調書が次々と作られていくのです。

 その過程で検察に過度の迎合をする人も出てきます。当時、鈴木さんの覚えをめでたくしようと思い、自発的に追従の手紙を書いて持参した人物が、検察に対しては「鈴木に脅されて詫び状を提出した」などという供述をするのです。そして、違法であるという認識を持ちながら、鈴木宗男が恐いので決裁書類にサインしたという調書を作るのです。

 私に言わせれば、違法だと思っている決裁書にサインしたらその瞬間に公務員としての資格を失います。こういう人が現在、外務省で北朝鮮を担当する北東アジア課長を務めているのですから、まともな対北朝鮮外交などできるはずがありません。

 裁判における真実は、客観的な事実とは異なります。検察官面前調書に書かれたことが真実です。私の弁護人の1人は、最近、検察庁を辞めた人でしたが、検察庁では「事実を曲げてでも真実を追究する」「いかにして被疑者を何でも供述する自動販売機にするかが検察官の腕だ」と教えられたそうです。私を取り調べた検事も「フニャフニャの証人を3~4人揃えれば、どんな事件だって作ることができる」と率直に述べていました。

 ここから論理的に考えていきましょう。殺人を犯した場合、「自分はとんでもないことをしたと思った」という人間ほど、つまり罪の意識が強い人ほど、取り調べの過程で検察官に歩み寄ることになります。被疑者は正直に罪を認めているつもりで話す。その過程で、人を殺めた時点で、明確な殺意はなかったにもかかわらず、あったと過剰な認識について供述してしまう。そういう調書ができ上がってしまうと、計画的な殺意を持って人を殺めたという「非常に凶悪」な「認識」が法廷の場で認定されてしまって、死刑が言い渡される。


最近の凶悪な事件を見ていて思うところは、この辺り。「誰でもよかった」とかいう通り魔的な犯罪が、毎日のように全国で起きている。そんな犯罪の犠牲者になった方々の悔しさ、遺されたご家族ご親族の怒りや悲しみはいかばかりかと思う。

 で、そうした「誰でもよかった」と開き直る加害者は罪の意識が低い側の例。その対局に罪の意識が高い加害者がいて、そういう人の供述は計画的な殺意のもとに行われた犯罪と認定されて、死刑が言い渡される。皮肉というか、矛盾ではないだろうか。

そうやって作られた調書を見る裁判官も裁判官で、証拠として提出された物に対しての、証拠力の評価というのが「何人にも冒されない自由」の下でなされている。それが本当に正確に行われていればよいのですが、法理という枠の中で無謬的であろうとするために、社会的に見て、あるいは自然科学、医学などの見地から見ると、明らかに誤った判断だって、素人であれば、下してしまう危険性を免れない。三権分立の落とし穴だと思っています。

佐藤 そうですね。検察、特に東京地方検察庁特別捜査部が全知全能であるというのは神話です。ごく標準的な霞が関官僚に過ぎません。

伊東 またさらに、その先で量刑を決めるところでも情状の酌量という、「さじ加減」とも言い直せる領域が存在していて、素直に自分の罪を認めてしまうようなナイーヴな人が「自覚的である」「よく反省はしている」「だがそれをもっても極刑をもって臨まざるを得ない」なんてことになる。なんで「臨まざるを得ない」のか、説明しろと言われると、実は決定打なんかないんですね。裁判官が確信を持っていることが一番大事。つまり、この人は「確信を持って人に死を言い渡す」。法服って、そういうことを言うために黒色なわけではないと思うのだけれど。


 で、第2章になると、さらに生々しい話に。

【第2章】 となりの死刑囚 1 
確定者の髭剃り


佐藤 いまの死刑制度は死刑囚に自分の罪を語らせないで終わってしまう。死刑囚を社会から隔離するのではなく、社会と向き合うことで自らの犯した犯罪について考えることを放棄できないような状況を作る必要があると私は思うのです。

 そこから、何らかの教訓を読み取って、同じ形態での殺人が繰り返されることを避けるための手がかりを得る。この努力を国家と社会が怠ってはなりません。

 伊東さんが本に書いておられた「あれこれ政治に口出しする陸軍と違って、海軍はだまって任務を遂行し、失敗しても言い訳せずに黙って責任を取る」という「サイレント・ネイビー」という行動様式は、日本を誤らせたもので、僕は行政官の視点から見てすごく嫌いなんです。

 それが自己充足した閉ざされた世界だからです。

伊東 まして現職閣僚が死んで責任を取る、なんて、何一つ建設的には責任取れてないと思わざるを得ないな。

佐藤 伊東さんが言いたかったのは、海軍の黙して語らずという伝統では、日本人は失敗を通じての学びの機会が永遠に失われる。それは大きな問題だ、ということと私は解釈しましたが、妥当でしょうか。

伊東 全くその通りです。


 ついこの間も、カネの問題で疑惑が生じた大臣が、黙したまま死を選びましたね……。

 で、この辺りからが、生々しいお話。

 拘置所では、拘留中に判決が確定する人が出る。判決が出ると、無罪・執行猶予の場合を除きその日のうちに丸坊主にされる。それから服を全部着替えさせられて、囚人服を着る。

 すべての差し入れが全部1回取り上げられ、留置させられる。食料品は一切買えなくなって、買い物の品目も全部変わっちゃう。それで、その日から袋張りを始めるんですね。そのうち1~2週間ぐらい経つと、刑務所に移送されていく。

 ところがそうならない人たちがいるんですよ。判決が出た後も、ずっと私服を着たままで。それどころか判決後の方が、逆に購入品目が多くなるんです。

 それが看守が言うところの「確定者」つまり確定死刑囚なんです。ビデオを観ることができるという「特権」を確定死刑囚は持っています。こうした処遇のちょっとした差異が、閉鎖空間の拘置所では、ものすごくでかい。だから死刑が確定すると、その瞬間から、日常の処遇では「特権」とそれに伴う「うれしさ」がある。

伊東 なんかものすごい話だなぁ。

佐藤 ビデオだけじゃありません。食品の購入についても確定死刑囚は「特権」を持ちます。例えば、私はカンロ飴しか買えなかったんですね。

 ところが、死刑囚はライオネスコーヒーキャンディーが買える。そうすると、コーヒー好きの私としては、「ライオネスコーヒーキャンディーが買えるなら、死刑囚に変えてもらえないかな」なんてことが、一瞬頭をよぎるんです。


 「カンロ飴」と「ライオネスコーヒーキャンディ」の比較なんて、一体いつの話だと思うのだけど(汗)、それが死刑囚のいる拘置所なんだなぁ。そして、「ライオネスコーヒーキャンディが買えるなら、死刑囚に変えてもらえないかな」なんてことが、一瞬頭をよぎるってとこが……何というか、見てきた人でないと言えない生々しさだなぁ。

 本の貸し出しのエピソードも、看守としか接点のない死刑囚が隣りの監房の囚人とわずかに接点を見いだすところがあって、その間接的なコンタクトしかないというところが、印象的。

 そして、髭剃りのお話。

佐藤 それに、私がその人のことを気にしていることを看守たちも知っていました。しかし、絶対に名前を教えてはいけない。私も死刑囚も他の房の人間と言葉を交わすことを固く禁じられている要注意人物だったので、直接言葉を交わしたことはないのです。

 実は、差し入れの時に、ものを購入する一覧表があって、そこから普通の囚人たちの名前を知ることができるんですよ。例えば、ミカンを購入したら、「ミカンを確かに受領した」、と黒い色の印肉に左手の指をつけて判を押すんです。

 名前がずらっと並んでいるから、例えば何房になんていう名前の懲役囚がいるかが、分かる。ところが死刑囚は購入簿が別で、名前が分からないんです。

伊東 なかなか込み入っていますね。

佐藤 ところで、拘置所では、月曜日と木曜日に髭を剃ります。その時は32房の私の房にも鏡と電気かみそりが配られる。

 髭剃りは、みんな同じ形をしているので、一つひとつ房と名前が別に書いてある。それがある日、間違えて「31房 X」と書いてある隣人のが、僕の房に入ってきた。それで、隣人の名前が遂に分かったんです。

伊東 そういう細かなところから情報が得られたのは佐藤さんだからだと思いますよ。普通の人間なら、見落として絶対に分からない…

佐藤 「あっと間違えた」と言って、看守がすぐ回収してしまいましたが…

伊東 ほら

佐藤 いや、そんなの絶対に間違えるはずはありません。当然わざとやっているんです。

伊東 なるほど。そういう人情ですか。看守が佐藤さんに合法的に隣の人の名前を教えてくれたわけですね。そういう確立された方法が、塀の中に無数にあるんでしょうね?


 そういうエピソードを聞かされると、看守さん自身はどういう思いで死刑囚と接しているのか、それも気になるなぁ……。

立花御大も金銭スキャンダルの可能性に言及

2007-09-13 19:55:37 | 時事
 久し振りに立花御大の記事に言及させていただく。

立花隆の「メディア ソシオ‐ポリティクス」第116回
政界を大混乱に巻き込んだ安倍首相電撃辞任の真相
「遺産相続で3億円の脱税」報道

 はじめ永田町に流れた情報は、「週刊文春」が安倍首相の一大スキャンダルを出す予定になっているということだった。早速、「週刊文春」に問い合わせると、「それはウチではないです。『週刊現代』らしいです」ということだった。

 毎日新聞の夕刊が小さな記事で報道したことであるが、安倍首相自身が、これが噴出したら命取りという一大政治資金スキャンダルをかかえていたというのである。

 それは、父の安倍晋太郎氏から首相への資産相続の際に、晋太郎氏が資産を自らの政治団体に寄付する形にすることで、首相は相続税をまぬがれていたという「脱税」疑惑なのである。週刊現代の記事では脱税額は3億円にものぼるという。

 安倍内閣は第1次、第2次とも、成立当初から政治資金の問題に悩まされてきた。しかしそれはいずれも、佐田玄一郎行革担当相の政治資金問題、松岡利勝農水相の「ナントカ還元水」問題、赤城徳彦農相の事務所費問題など、有名な諸事件をとっても、金額的にはそれほど大きな問題ではない(億単位の金額ではない)。これが本当ならば、それに比較して、この遺産相続問題はケタちがいに金額が大きい。

突然の辞任会見の引き金になったもの

 安倍晋太郎氏が亡くなったのは、91年のことであるから、いま現在脱税で訴追されるかどうかという話ではないが、このようなことは、世の常識の問題として、政治資金の問題にとりわけ厳しくあたってきた内閣の長として、ヤミからヤミに葬ってあとは知らんぷりできるという話ではない。

 これが事実ならば、過去の話ではあっても、これは政治的にはいま現在でもホット情報として扱われるべきアクチュアルな話である。安倍首相には道義的に説明責任がある話だ。安倍首相の在任中にこんな話がオモテに出たら、安倍内閣はそれだけでふっ飛ぶこと確実なスキャンダルだったといってよい。

 この話を、「週刊現代」が取材して、今週末土曜日発売予定の号に載せるはずになっていた。

 そのために、「週刊現代」は安倍事務所に真偽確認と、その理由釈明の問い合わせの書筒を送り、返答の期限を昨日の午後2時に設定していたと伝えられる。

 その午後2時になったら、安倍首相の突然の記者会見が開かれ、政界関係者全員が唖然として見守る中で、突然の辞意表明が行われたわけである。


 『週刊現代』は買ったことがないのだが、今回は買ってやろう。

 「政治とカネ」の問題で次々と大臣を辞めさせざるを得なかった安倍政権だが、一番黒いのはご自分だったわけだ。そりゃ、「お友達」たちのスキャンダルに甘くもなるものだわ……(嘆息)。

 でも、もう、カネをめぐるスキャンダルに対する国民の許容量はかつてないほどに低くなってきていると思う……自分たちの年金が支払われるかどうかも危うくなっている時に、億単位の金を平気で裏金にする政治家たちの金銭感覚は受容れられないもの。




KY(空気読めない)タイミングの辞任表明?

2007-09-12 20:24:12 | 時事
 安倍首相、このタイミングで辞意表明ですか。数日前に「職を賭す」と言っていたのに、その舌の根も乾かない内に職を放り出すとは……(苦虫)。

 辞めるなら選挙で負けた時にすりゃよかったのに、内閣改造して、所信表明演説して、その上3日前にテロ対策特別措置法の継続に「職を賭す」とまで大見得切っておいて、今になって「辞める」とはねぇ……。

 外遊の後にいよいよ健康が不安になってきた説、今週後半発売の週刊誌に政治とカネにまつわるスキャンダルが暴露されているので一般の目に触れないうちに辞任する(しかも父晋太郎の遺産相続にまつわる脱税だとか、かねてより関係が噂されている新興宗教団体を利用した脱税だとか?)説、そういう噂もあるようですが。

週刊誌が「脱税疑惑」取材=安倍首相の辞任表明前に

週刊現代が「安倍首相の脱税」疑惑を取材中

 とりあえず、KY(空気読めない)タイミングで辞任表明した安倍僕ちゃん辞任の心境を忖度してみました。

 「だってぇ、アメリカさんを怒らせちゃったら僕ちゃんたち生きてけないんだもん。だから僕ちゃん、総理大臣の名にかけてアメリカさんとの約束を守るつもりだったんだけど、小沢君が僕ちゃんの話を聞いてくれないんだもんっ。このままだとアメリカさんのお遣いが果たせないから、責任取って辞めるしかないんだもんっ

 僕ちゃん一生懸命やったのに、誰も助けてくれないんだもんっ。くすん」

 ……「はじめてのおつかい」失敗の子供にたとえてみました(^^ゞ。

☆★☆★

追記。関連するニュース記事のリンクを追加しました。

☆★☆★

さらに追記。

 参院選大敗の後、まだ政権を維持するつもりで内閣を改造し、所信表明演説をしながら直後に辞任した安倍僕ちゃんの行動、誰かに似ていると思ったら……徳川幕府最後の将軍、徳川慶喜でした(爆)。

 鳥羽伏見の戦いで大敗した幕府軍を大坂城に置き去りにしたまま船で江戸に逃げ帰り、京都で成立した薩長政権を相手に和戦両様の構えをするも、間もなく降伏恭順。慶喜の行動については明治維新で流した血が少なくて済んだとする肯定的な見方もありますが、徳川の名の下に戦った末に敗戦、さらに置き去りにされた徳川方の侍たちにとっては、唖然とするしかないものだったでしょう。

 かつての長州、山口県出身の安倍晋三(選挙の時以外はほとんど帰らないそうですが)が辞任に際して示した行動が、徳川慶喜の行動に似ているというのは、歴史の皮肉……でしょうかね。

Gmailを使い始める

2007-09-11 21:14:45 | 日常
メインで使っている無料メールアドレスが、環境によってはHTML形式のメールに返信できないので、Gmailを使い始めた。

POPサーバーやサーバーに入っているメールの処理の設定に手間取った。Gmailから返信すると、オリジナルのメールが消えてしまったりした(汗)……返信メールに引用文を残しておいていたから、大事にはならなかったが。

まだまだ使い方がわかっていないのだが、一連のメールのやりとりがスレッド形式になるとか、フォルダはなくキーワードをつけてキーワードで管理するとか、なかなかユニークな仕掛けがある。今はとまどっているが、使い慣れたら便利かも。

ウィルスメールやスパムメールの振り分け機能は凄く強力だ。

グローバル人材とローカル人材の育成

2007-09-10 12:31:00 | 時事
 なかなか興味深い記事だ。

富士通経営執行役の相次ぐ退社の波紋 落ち目のIBMに代わり流出の宝庫に?
 富士通でこの夏、相次いで現役の経営執行役が、しかもグローバルビジネスができる人材が2人退社した。一人は米EMCの副社長兼EMCジャパン社長に転じた諸星俊男氏。もう一人は韓国サムソンの経営企画室から富士通コリアに入り、4年前に富士通初の外国籍を持つ経営執行役に就いた安京洙氏だ。諸星氏は 10年ぶりに米国から帰国してグローバル戦略本部担当、安氏は経営執行役常務としてAPAC総代表を務めた。

 2人の退社から、「富士通で出世するのは、やはりドメスティックで泥臭く仕事をこなすSEやサポート経験者か」とか、「グローバル展開が課題である秋草(直之会長)・黒川(博昭社長)体制の求心力に陰りが出始めた」と取りざたする向きも出た。ある富士通OBは、「秋草・黒川氏の2代にわたる、安部政権にも似た“お友達登用”に、実力派の幹部社員らに内在していた不満が顕在化した証かもしれない。“見限り”は今後も続く」と見る。しかし秋草会長は人事に関してあくまでも強気の姿勢を崩さない。「長い目で見たら富士通にプラス。日本IBMに代わって今度は、富士通が人材を世に送りネットワークを築く」と、幹部の退社を少なくとも表向きは歓迎しているようなのだ。

 確かにこれまで、IT業界における人材拠出の宝庫は日本IBMであった。しかし日本IBMの優秀な人材が、米IBMのGIE(グローバルに統合された企業)戦略の中に埋没し始めたと言われる中で、富士通がそれに取って代わることができるなら、秋草会長が指摘する通り富士通のパートナー戦略上プラスだ。米 IBMで10年の経験を持つ日本IBMの技術OBは、「富士通にグローバル感覚を持つ人材が育っているかもしれない。日本に進出したIT外資系には、あくまでも一部だが、グローバル感のある富士通幹部はターゲットになる」と、秋草会長の期待を肯定する。

 さらに同技術OBは、日本IBMの今の環境を次のように話す。「日本IBM社員の不幸は、現実の仕事で欧米のIBMと丁々発止のやり合いを通じながら仕事をする機会がほとんどなかったことだ。そのため欧米流の仕事の仕方が身に付かず、ますます英語圏の人たちの後塵を拝することになっている」。だから米 IBMは日本IBMを早急にグローバル企業に変えるため同社を直轄統治することとし、幹部を大量に送り込み始めたのだ。椎名武雄氏(3代前の日本IBM社長)の強い意志による“日本化”を見直す嵐は吹き止まない。

 ある日本IBMの営業OBはこうかみ砕く。「日本IBMはローカルで人を育ててきた。日本の顧客を第一に考えてきたからだ。逆にグローバルな人材は育ちにくかった。それでもモノ作りのベースで重要な役割を担っていたから、日本IBMの“日本化”は許されてきた。だがガースナー氏が日本IBMからモノ作りを奪った時点で、日本IBMの社長はグローバル人材の育成に政策を転換すべきだった」。椎名氏の後継者2人がそれをしなかったため、日本IBMのグローバル化を米IBMの手に委ねざるを得なかったのだ。


 外資系の日本法人だからといって自動的にグローバル人材を輩出できるわけではない。むしろ外資系の日本法人は世界第2位の市場で売上を確保するための販売会社という位置づけになることが多いのだ。だからこそ、意識的に欧米との人材交流を推進していかないと、グローバル人材は育ちにくい。そう読み取った。

 自分が置かれた環境を見ると、まさしく、ローカル人材だけでなくグローバル人材も積極的に育成しろというプレッシャーがかかってきている。

モロッコ風 仔羊(ラム)のクスクス

2007-09-08 22:30:43 | ものぐさグルメ
 会員制のレストランでおごっていただいたので、どこで食べたかは紹介できないのだが……たぶん、クスクスを食べたのは20年ぶり。

 メニューの名前は、「モロッコ風 仔羊(ラム)のクスクス」だったと思う……英語で書かれていたので、うろ覚えだが^_^;。クミンがはいった少しスパイシーな、ハッシュドビーフ風の煮込みの中にラムの肩肉スライスが結構入っていて、クスクスもたっぷり。

 おいしかったので、量が多かった割に、ほとんど完食(汗)。ご馳走様でした。

『戦略プロフェッショナル』三枝匡

2007-09-08 22:18:19 | 読書
『戦略プロフェッショナル シェア逆転の企業変革ドラマ』三枝匡(日経ビジネス人文庫) リンク先はamazon.co.jp

 自分の読書歴からすると、単行本が出た1991年に読んでいてもおかしくない本なのだが、この年はちょうど自分がアメリカのコロンビア大学経営大学院に入学した時だった(93年にMBAを取得して卒業)。しばしば通った紀伊国屋書店に置かれていた記憶もあるが、ビジネススクールの聞きしにまさる読書やレポートの課題量に追われて、課題の読み物以外に手を出す余裕はなかったのだった。

 後回しにしているうちに今に至ったのだが、コロンビアに留学前に読んだ大前研一の『企業参謀』シリーズに匹敵する、企業戦略の入門書だと思う。また、小説仕立てになっているので、ハーバードビジネススクールをはじめとする欧米ビジネススクールのケースよりも臨場感をもって読めると思う。

 ちなみに、ビジネススクールのケーススタディという学習の方法論の是非については、またいずれ、ミンツバーグの著作をちゃんと読んだ上で考えてみたいものだ。自分個人の感覚としては、仮想の世界ではあっても自分をその環境に置いて考えるということさえできれば、有効な学習手段だと思っている。学習姿勢によっては、所詮は他人事で後付けの議論しかできない評論家で終わってしまうというリスクを内包していても、有効性はあると思う。

 ボストンコンサルティングがアベグレン博士のもとで日本法人を開設した時の若手コンサルタントのひとりで、スタンフォードMBAで、ベンチャーキャピタリストの経験があり、ターンアラウンドのスペシャリストで、あのミスミの代表取締役CEO。戦略コンサルティングと企業経営という、似て非なる立場のどちらでも成功しているというだけでも凄い人だと思う。

 ケースにとりあげている業界が自分のいる業界に近い(グループ会社のひとつが同じ業界で事業を展開している)ので、扱っている製品のビジネスモデルについては、すぐにわかってしまったが……要はコピー機業界と同じなのね、と。ただ、そのモデルを見抜いて自社の事業戦略に応用できたという点は、やはり凄いと思う。